フラット or ラウンド
昨夜読んだガルシア・マルケスの短編『大佐に手紙は来ない』がとてもおもしろかったので、この作品に対する論考に関心を抱き検索してみましたらば、Wikipediaに次ぐ二番手に立教大学学術リポジトリの受講生セミナー報告『イメージから読み解くガルシア=マルケスの文学─『大佐に手紙は来ない』における排泄のイメージをめぐって─』(鈴木愛美さん)のPDFがあり、ざっと目を通しました。なるほどねえ。
《小説のキャラクターはフラット・キャラクター(“flat character”)とラウンド・キャラクター(“round character”)の二通りに分類される。ラウンド・キャラクターが物語において多様な側面を見せ、変化していくのに対して、フラット・キャラクターは思考や性質が単一であるために、いつ登場しても変化が見られないのが特徴である。》
これはイギリスの作家E.M.フォースターが掲げた定義のようですが、これまたなるほどねえ。
私の作品でいえば、
『麗しの巫女姫』の主人公は――緩慢ながら――ラウンド・キャラクターを志向。ラウンド・キャラクターたろうとするところに物語性があるといえますね。
『幸運な狩人』の主人公はごりごりのフラット・キャラクター。
『血の鎖』の主人公は変化を欲しながらもそれを果たせないフラット・キャラクター。
『エステファニア・ヴィラロボス』に関しては各話語り手の特性が時系列的に連続せず断片化していますので、そういった定義にあてはめることに意味はないかな。
ふむ。
《(アメリカ文学者の)平石貴樹はフラット・キャラクターの特徴として「フラットであるため読者にわかりやすい、という好条件を担保としながら、孤独の思想へ行動へとかれらは邁進する》とのこと。また、作中にラウンドなキャラクターが存在するのであれば、その人物との対比によって主人公の内面性や行動哲学が際立つことになるでしょう。
実際、『大佐に手紙は来ない』の主人公であるフラット・キャラクターそのものの《大佐》は、時流に合わせて変化し金稼ぎに邁進する他の登場人物との比較において、絶望的なまでに受け身で硬直的な姿を、ある種の滑稽さと哀愁をまとわせながら、無惨なまでに露呈するわけなのです。
『大佐に手紙は来ない』はガルシア・マルケスの、いわゆるマジック・リアリズム的な文学的方法からは完全に離れた、純粋なリアリズム小説なのですが、個人的には「これ傑作!」といいえますねえ。終わり方もイイ。永遠に救われず、永遠に困窮からまぬかれないフラストレーションの揺曳が感取される幕引きです。好き。
はい。今日はこんなところで。ばいにゃ〜
ハルカ彼方 鈴木彼方 @suzuki_kanata
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