こんなにうれしいことはない

 ガンダム未鑑賞なのにネタとしては知っていて……です(私アニメ苦手なのでほとんど観ません)


 そう、こんなにうれしいことはないっ……!


 といいますのも、最新作『エステファニア・ヴィラロボス』にレビュー文を投じていただきまして! あじさいさん、ありがとうございます!


《文章力で殴り、キャラ造形で刺す!》


 このひとこと紹介文には救われますねえ。

 これで救われるぞ!(手塚治虫『MW』賀来神父の最後のせりふ)


 いやね、作者本人としては、ところどころよく書けているところもあると思っているんですが、なにせワタクシひとりよがりが大得意ですから、もしかしたらカンチガイかもしれないなんて不安な気持ちになることもあるんです。


 実際、《言語明瞭、意味不明》みたいな難詰なんきつにはひるまざるをえない文体ですし、語り手の性質/声質にもよりますけれども、ともすれば衒学げんがく的であるとのそしりもまぬかれないところでありまして、またそれとともに、読む側が翻訳文学にどのくらい慣熟しているかによって評価がわかれるかもしれないなとも思っており……種々鑑みますと、カクヨム読者の大半からすれば、私の文章は「へたっぴ」かもしれないなあって。そういうのに抗弁するのはとても格好悪いですし、こまったなあって。


 文体論は置いておくとして、その作品にふさわしい語り方というものがありましてね、出来事の連鎖、それらの総体としての物語によって、言葉の質が実用のそれから文学表現のそれへと変容浸潤して立ちあらわれるパターンと、そもそも実用の言葉とはことなった趣をたたえる文学表現の言葉(のごときもの)によって語られていくパターンと、ホントいろいろあるんだと思うんですよ。


 論理展開が複雑で長尺なセンテンスを避けるとか、単調な文末表現を避けるとか、同語を反復しないとか……つまり簡潔明瞭シンプルを志向するその向きを〈最善〉ととらえるのはナンセンスで、それは数ある語り方のいち類型でしかないわけです。

 もちろん、それは多くの物語によくなじむでしょう。〈わかりやすさ〉というホスピタリティが発揮されているがゆえに支持されるだろうとも思われます。それに、わかりやすいかたちで複雑怪奇なものをあらわすことだってできますし、それが成功しているのだとしたら、その物語の語られ方として至適だったといえるわけでしょう。要するに、そういうことです。ふさわしい語り方かどうか。最適化されているといえるのか。ある語り方が正しくて、ある語り方が間違っているとか、そういうことではありません。


『エステファニア・ヴィラロボス』に関しては各話それぞれ5人の語り手によって語られるので、声調は必然的に各話ばらばらになります。第1話、第3話、第5話の語り手は辺境的、第2話と第4話の語り手は都会的といえるかな? 物語の舞台である集落を基準地点と考えると、内と外、土着と外来でわけられるような気もします(第2話の語り手は《新参者》であり、第4話の語り手は《どこからやって来た何者なのか》わからない)

 私はこの作品において、この順番が至適だろうと考えて組み上げ書き上げました。今般投じていただいたレビュー文のおかげで、ちょっぴり自信が回復した感じ。ワタクシ調子に乗りやすいわけですが、ちょっとくらいイイでしょう!? 感謝感激でございます。重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました!


 ではでは!

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