健忘のきらいアリ

 過日、短編賞なんてあるんですね的なことを書きましたけれども、代表作『血の鎖』の企画参加履歴を見てみたらなんと2022年の短編賞にエントリーしていたことが発覚っ……! それを目にしたとき「あ」と当時の敗北主義的な――いまもかわらない――気分まで芋づる式に思い出され、ド赤面禁じえず彼方は七転八倒の末に爆死でございます。R.I.P.


 いやしかし、これまでに書いてきたノリの作品ではコンテストなんて参加しても無駄だなあって思いますね。さすがにわかってますもん。私にとっての「楽しい」は大半の人にとって「つまんない(≒ネット小説でわざわざこういうたぐいの作品を読みたくはない)」わけですから、根本的なところを変えないといけません。


 大切なのは、私にとっての「楽しい」を担保しながらも同時に多くの人が「おもしろい(≒こういうのを読みたい)」と思ってくださるようなものをこしらえるべしってことなんですよね。ひとりよがりではいけません。


 不人気作家が陥りがちな「でもわたしは迎合できない」みたいなアレはダメです。バツです。自分が表現したいものを多くの人が受容できるかたちにするのがむつかしいわけで、そこから目を背けて「わたしはわたしにしか書けないものを追求しているんで」っていうのはまったくもって逃げ口上でしかありません。みんながあたりまえのように、無意識なりとも注いでいる努力を放棄していながら、妙ちくりんな上目線でふんぞり返っているようなものです(自らを省み吐血し震えながら書いています)


 ところでアマチュアブンガクってのは、プロフェッショナルのそれに劣後するイメージが娯楽作品に比し圧倒的に強いような気がします。それを読むくらいならほかに読むべき作品が山ほどある、と。私なんかわりとそう思っちゃってます(超小声)


 逆に、エンターテインメントに寄った作品においては、プロフェッショナルのそれに劣後するのだとしても、その劣後する諸要素をある程度許容できてしまう感じがありますね。細かいことはいいのです。


 極論、散文的構造体は読み終えれば落花生の殻のごとしといったところなので、詩学的領域から距離を取りがちな娯楽作品においてはなおさら、シンタックス的な観点から評されるあれこれはそこまで重要でないかもしれません。人物像や舞台装置、出来事のおもしろみこそが要諦といいますか。私はそこから一歩二歩踏み込んで境界を超えるような作品が好きですが。小説でも映画でも漫画でもなんでも。


 はい。今日はここまで。1000文字くらいだと『日常の彼方』時代を思い出しますね。


 んじゃまた!

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