つれづれずれずれ
意識がとびとびに途切れ、それまで追っていた文章の先頭を見失い、取り出していたはずの意味のかたまりも曖昧にほどけていくあたりで「ああ、もう寝よう」と踏ん切りをつけるのが毎夜のこと……(その踏ん切りのときはあっという間にやってくる)
スマホのKindleにたっくさん好きな本が入っているので、むかし読んだものを開いたりもします。ほとんどが古い文学作品や理論書のたぐいで、娯楽作品は皆無にひとしいですね。娯楽をもとめているとき、私はほかのアプリで漫画を読んでいます。これ、ちょっと意味深な感じですね、われながら。
もちろん、文学作品やらなんやらも、私にとってはふつうに娯楽であり気晴らしなんですが、一般的な意味あいでの娯楽小説、とくにライトノベル的なものを読むことにはきわめて消極的な自分が見出されます。
「それなら漫画でいいよ」っていう心理でしょうか。コミカライズされているのなら原作はいらない、というスタンスなのかな。コミカライズされたそのコミックを読むと、巻末におまけの短編が掲載されていることがありますが、私、あれ、一度として読んだことはありません。いま振り返ってみてクローズアップされるその事実に自分で驚いています。ヤバない? なんなんですかね?
でも、カクヨムでは普通にエンタメ作品を「なるほどなるほど」いうて読めるんです。これはいったい……?
まあ、うん、とりあえず、これまたアレがアレでアレかもなので、ここらへんで。
今日思ったのは、特定の作家や作品が嫌いな人ってなんであんな攻撃的なのかなあってこと。私としては「すばらしい小説を書くなあ」と思える作家が、知恵袋とかでサンドバッグになっているのを見かけることがあるわけですが、正直「あなたに合わなかっただけなのに、なんでそんな屈辱感を覚えたかのごとく顔真っ赤にして罵倒するのですか……?」と思うのです。「難解だった」ことに怒りを覚えるその心理を逆算してみて恥ずかしくならないのかなと。
逆に擁護サイドも攻撃的なことがあって、それもいやらしいですよね。合う合わない、それだけですよ。もちろん、文章の構造的な複雑さに対してどの程度慣熟しているかにもよるかもしれませんが、それもまたおもしろみの要素ですし(私は「アタマのイイ人はわかりやすく書く」という意見には安易に同意しないタイプです。平易と明瞭はちがうといいますか……)。
さてところで、いまさら浅田彰の『構造と力』を読みはじめたんですが(Kindle版)、文章結構好きですね。ちょっと当時のニュアンスだなあってところもあるんですが、読んでいて心地よい語り口でございます。まだ序文ですけどね。もちろん難解なんでしょうけれど、わくわくします。
しかし……なんといいますか、創作のモチベーションはつねに前を向いているべきだと思っておりますが、私の関心はつねに後ろにあって、それはどうしようもないですねえ。そういう意味で、わたしは文学パロディはやれても、アクチュアリティを担保した未来志向の文学にコミットできない感じがします。
あとそうそう、そんなわたしが思うに、やっぱりこれからはジャンルレスっていうか、エンタメ寄りスリップストリームがイイんじゃないかな〜って思っています。エンタメだけどなかなか深い、そういう作品が好ましいですね。娯楽と純文はなかよくすべしデス。
はい。今回も猛烈にテキトーでした。ごめんなさい。
んじゃまた!
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