短編賞なんてあったの

 コンテストにうとい彼方でございます。なぜなら、通るわけないのを知っているから! です!(かかとを合わせて敬礼!)(あいつ、きれいな目をしてやがるっ……!)


 《優秀作はコミカライズ!》


 ――いま要項を見てきましたが、コミカライズをニンジンにしている時点で、カクヨムがどういう作品を募集しているのか、主要読者がどういう作品を求めているのか、本当によくわかりますね。わかりすぎてつらい! うそ! べつにつらくはないですね。むかしの彼方だったら自虐的にのたうちまわっていたわけですが、いまはそうではないのです。みんなが楽しいと思える作品を書けばいいのに、なんでかひねくれていてごちゃごちゃかったるい作品を書いてしまうんですねえ。「つまりテメーはなにがいいたいんだ」的な作品ですね。いうまでもなく、私はとにやにやしているわけですが、この世に必要とされていないものであるのはたしかすぎるほどたしかなのです。これは自虐ではございません。ピース。


 はい。個人的には「気晴らしにどぞ」的な作品を書いているつもりではありますが、とはいえ似非文学の悪臭ふんぷんたるところではあろうと思いますし、アマチュアのほど読む価値の疑わしいものはないと断言できます。ホントに。


 もちろん、自作を読み返してみて「これはこれでおもしろいじゃない」(のび太)って思うんですが、読む気にならない人びとの気持ちが痛いくらいわかるっ……!


 実際、私だって他の作家さんの読むのはモチベ育てるのきっついもの。読みはじめれば「ふむふむなるほどなるほど」だし、読み終えればぴゃっと軽率に♡と☆を送っちゃったりもします。でもなかなか「よし読んでみよう」までいかないのです。わかるでしょ? でしょでしょでしょ?(うざめに)


 一方、コミカライズにフィットする娯楽作品は「とりま」と気楽に〈読む〉ボタンを押せちゃう。そう、やっぱり〈楽しい〉にもいろいろあるんですよね。


 しかし……コミカライズとかアニメ化がステップアップ的報酬になってるって、それってほとんど、根っこっから漫画原作ライクな? ああ……ちょっと前に☆四桁級作品を流し読みしてみて《絵のない漫画》と(肯定的に)評しましたが、のっけから狙いだとするとなるほど感も増すといいますか。そうなってくると、読者が読んでいるのは小説のかたちをした漫画みたいなものなんですかね。とすると、それらの読者はそもそ(それ以上よくない)(マンネリな後略手法)


 でもまあ、そんなふうに単純化はできません。《絵のない漫画》的手法にも強度があります。ぶっちぎると逆にコミカライズは遠のくんじゃないかな。なんとなくそう思います。それはつまり省略の強度ともいえるわけですし、省略は技術です。たぶん。それは時間のコントロールとも関係していて(めんどいからここで思考停止)


 もちろん、文学作品も映画化したりしているわけなんだけれども、言語芸術ならではの想像力的なるものの特異さが十全と発揮されている作品に関してはそもそもメディアミックスになじまないと思われ(成功したとしてもそれは別モノでしかない)。なんかそこらへんの親和性の有無とか、ミックス後(という表現はおかしいだろうけど)の類似性? 近似性? のレベルとかが、曖昧ながらも、〈娯楽作品の楽しさ〉と〈文学作品の楽しさ〉を隔てる基準になるようなならないような。


 ああでも、たとえば劇作家でもあったブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』なんかはドラマ版めっちゃ出来がよいみたいですし、一概に親和性の有無で言語芸術の純粋性みたいなものを語ろうとするのは幼稚ですね。うん。やっぱ如上ぜーんぶなしで(テヘペロ)(アンタそういうの多すぎるんだよなあ……)


 ちなみに私は猫を飼うならベゲモートと名付けます。


 今回も書かなくてもよかったタワゴトなので「またなんかなめたこといってらぁ」程度でお願いしますね。んじゃまた!

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