第37話
「親父さん、普通じゃないか」
唯志の入れてくれたコーヒーを飲みながら、俺は言った。
「なんで、あんなところに閉じこめとく必要があるんだ?」
「純平さん、僕たちの目的、忘れたの?」
声が俺を咎めている。
「いや、そうじゃないけど」
「まぁ、ね。さっきはたまたま普通に見えただけ。正気を失うと手がつけられないんだよ」
「どうなるんだ?」
「暴れるね。そこらじゅうのもの、壊すし。ほら」
言って、唯志は袖を二の腕までまくりあげた-白い皮膚に無数の赤い線が刻まれている。
「あいつにやられたんだよ。たまたま同僚が家に来てたから抑えつけられたものの……僕一人だったらとっくにやられてた。って言っても、そうさせたのは僕なんだけどね」
さらりと言って、唯志はコーヒーをすする。
「え?」
俺は驚いてその端正な横顔を見つめた。
「薬だよ」
カップを優雅に操りながら、唯志は不敵な笑みを浮かべた。
「薬?何の?」
「表向きは、痛風の薬。ま……言ってみれば、麻薬のようなものさ。ただし、僕も医者だからね、あいつが死んだら検査にまわされることくらいわかってる。ちゃんと、薬物反応の出ない薬を使ってる。このまま飲み続ければ、いずれ正気に戻らなくなって……事故死するんじゃないかな?僕の不注意でね。そうだな、果物でも剥きに行って、ナイフを置き忘れてくる、なぁんてどうかな?」
クククっと、唯志は肩を小さく揺らして笑った。
俺は、唯志が怖くなった。
唯志こそ、正気じゃない。
それに、あの男性は、本当に母を死に追いやったのだろうか?
本当に、そんなに極悪人なのだろうか?
そんな思いが頭をよぎり、俺は今すぐにでも唯志の側から離れたくなった。
衝動的に、椅子から立ち上がる。
と、唯志も立ち上がった。
「どこ、行くの?」
それまでとは打って代わった、心細そうな声。
思わず、振り向いてしまう。
そこには、母親とはぐれて迷子になってしまったような、何とも寂しそうな唯志がいた。
「もう、帰るの?」
「え……あ、いや。もう一度あの人の所へいこうかと」
「そう」
俺の言葉に唯志はホッとしたように微笑む。
「良かった」
「どうしたんだよ?」
「公一に、取られるかと思った」
再び椅子に腰を掛け、唯志は俯く。
「純平さんは、僕の兄さんなのに」
つられて俺も、再び腰掛ける。
「公一は、純平さんに預かってもらうしか方法が無いからしょうがないんだけど、それでも僕は、ずっと純平さんと一緒にいられる公一がうらやましくて、どうしようもないんだよ。こないだの電話だって……もう、感情が理性で抑えきれないくらい暴れ出して、兄さん、取られちゃうんじゃないかって、僕はいつだって、怖いんだ。怖いんだよ……」
「ばかだな」
俺は腕をのばして、唯志の-どうしようもなくブラコンな俺の唯一の弟、強太の頭をクシャクシャッと撫でた。
「俺の弟はお前だけだよ、強太」
こう言うしか、なかった。
唯志は、安心したように、照れ臭そうに微笑んでいる。
しかし……。
(どんどん嘘が上手くなるな)
俺の心の呟きは、俺自身をうんざりさせるものでしか無かった。
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