第38話

「じゃあ俺は、もう一回あの人を見てから帰るよ」

「うん。一人で行ける?」

「ああ」


 鍵を手渡しながら、唯志は言った。


「あいつ、公一は?って聞くと思うけど、適当にごまかしといて。でかけてる、とかって」

「わかった」

「僕のことなんて、ちっとも聞かないくせにね。公一のことばっかり心配するんだ。さすがは本物の父親だね」


 長い廊下を進み、あの扉にたどり着いた。

 扉の前で、深呼吸をひとつし、鍵を開ける。


「失礼します」


 男性は、まだロッキングチェアに座っていた。

 じっと動かない所を見ると、眠っているのだろうか?

 月明かりがわずかに差し込んでいる薄暗い部屋では、はっきりとは顔が見えない。


(母さんもこの部屋で、あの椅子に座ったりしたんだろうか……そして、あの窓から星を眺めたりしたんだろうか……?)


 男性に、母の姿を重ねてみる。

 胸が痛くなった。


(母さん……)


 感傷的な気分に耐えられなくなりそうで、俺は部屋から出ようと男性に背を向けた。とたん。


「公一は?」

「え?」


 男性は、じっと俺を見ていた。


「公一は?」

「あ……えーと、まだ出かけているんだと思いますが」

「そうか」


 ボソリとつぶやくと、男性はチェアから身を起こし、俺に近付いて来た。


「純平くん、だったね」

「はい」

「一つ、頼みがあるんだが」

「何ですか?」


 俺は、おそるおそる格子に近寄った。


「公一に会ったら、伝えてくれないか。唯志を頼むと」


 思ってもみなかった言葉に俺は驚き、男性の目を見つめた。

 と、男性は照れ臭そうに笑いながら、


「ご存じかと思うが、唯志は私の実子ではない。それを気にしてか、私にはうち解けてくれないんだよ、唯志は。あれが心を許しているのは公一だけだ。公一は甘ったれだが、あれでなかなかしっかりしている。心配なのは唯志の方なのだよ。しっかりしてそうで、実は傷つきやすいし、もろいのだ、あれは。私は今、このような状態だし、いつどうなるかわからない。公一にはしっかりと唯志を支えて欲しいと、一度話したいと思っていたのだが、最近さっぱり顔を見せないのでね。初対面の貴方にこんなお願いをするのは申し訳ないんだが……公一に伝えておいてくれないかね?」


 男性の目を見つめながら、俺は大きく頷いた。

「はい、伝えます」

「ありがとう」


(違う……)


 男性の笑顔が、俺の胸に小さな波紋を呼び起こす。


(……違う、俺は、俺達は……)


「しかし、君とは初対面な気がしないな」


 男性は、穏やかな顔で俺を見つめていた。


「君といると、とても心が落ち着く……不思議だ。そうか、君はあの人に似ているんだな、きっと」


 穏やかな顔が、よりいっそう優しさを増して、それに比例するように俺の胸に出来た小さな波紋はどんどんと大きくなってゆく。


(違う……違うんだ……母さん、俺は、俺たちは、間違っているのか?)


「また、ここへ来てくれないかな?」

「えっ?」


 男性はじっと俺を見つめ、


「何だか、君が他人のように思えなくてね」


 考える間もなく、俺はこう答えていた。


「ええ。もちろんです」

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