第35話

 日曜日。

 約束通り俺は唯志の家に向かった。

 公一は俺の部屋で留守番。


「企業に勤めてるOBに会う約束があるんだ」


 こう、嘘をついた。


「そっか。頑張って来いよ。おれ、ちゃんと留守番してっからさ」


 快く送り出してくれた公一の顔をまともに見ることができず、そそくさと家を出る。

 約束の時間より少し早めに、唯志の家に着いた。


(いよいよ、ご対面、か……)


 話には聞いていたものの、公一の父親とは会ったことも無かったし、写真で見たこともない。

 公一が尊敬してやまない父親。

 唯志が憎んでやまない養父。

 俺の母を死に追いやった男。


(いったい、どんな人なんだろう?)


 考えながら、呼び鈴を押す。


(俺は、どう感じるんだろうか?)


 しばらくして、ドアが開いた。


「純平さん?」


 声と共に唯志が顔をのぞかせる。

 こころなしか、やつれたように見えた。


「ああ」

「入って」


 唯志にうながされ、中に入る。

 唯志の-公一のでもあるが-家に来たのは初めてだった。

 医者の家、ということで、多分でかいんだろうとは想像していたが、思ったよりだいぶでかくて、そして、思ったよりも薄暗いのに驚いた。


「先に見てみる?あいつ。」

「そ、そうだな」


(いきなりご対面か)


 にわかに鼓動が早くなる。


「今はたぶん寝てると思うから、大丈夫だよ」


 事も無げにそう言い、唯志はずんずん家の奥まで進んでいく。

 俺も唯志のあとに続いた。


(しかし、広い家だな。どこまで続いているんだ、この廊下は)


 しばらく歩くと、突然唯志が振り返った。


「ここ」


 唯志の指の先には、鍵のついた扉。


(……鍵?)


 唯志は馴れた手つきで鍵穴に鈍い銀色の鍵を差し込み、ゆっくりとまわす。重たそうな音をたてて、扉が開いた。


(……これはっ?!)


 鉄格子のついた小さな窓が、丁度頭の高さくらいにある6畳くらいの小さな部屋。その中央の布団に、男性が一人、横たわっている。

 しかし、その男性に近付くことはできない。

 なぜなら、部屋と俺達を木の格子が隔てているからだ。


(……座敷牢……)


 唯志の言葉は、まさにぴったりの表現だった。


(それじゃ、母さんもここに……?)


 俺の疑問に、唯志は答えてくれた。


「母さんもここにいたんだ。そして、ここで死んだ。あいつのせいで」


 語尾が、かすかに震えていた。

 たぶん、こみ上げた怒りのためだろう。

 その目は、隠そうともしない純粋な怒りでギラギラとしていた。


「唯志……」


 俺の言葉にハッとしたように目を伏せ、唯志は部屋に背を向けた。


「ごめん、つい感情的になっちゃって。最近、どうしても抑えきれない時があるんだ。誰にも見られるわけないからいいんだけど。どうしちゃったんだろう?前はこんなことなかったのに。……ごめん、僕コーヒーでも入れてくるよ。純平さん、ちょっとあいつのこと見ててくれる?」


 そう言って、唯志は部屋から出ていった。

 俺は一人取り残された。

 なんだか、複雑な気分だった。

 確かに、母さんはここに閉じこめられて、ここで死んだのだろう。

 そして今、母さんを死に追いやった本人がここにいる。

 しかし、その寝顔は穏やかで、俺には唯志のような激しい感情は湧き起こってこなかった。

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