第29話

 唯志は、詳しくは教えてくれなかった。

 ただ、時期が来たら、公一をしばらく預かってくれ、とだけ言い、あとはいっさい何も言わない。

 何度も、止めようと思った。

 そして、実際何度か口にした。

 だが、唯志の意志は固く、そして何より俺の中にも確かにあったのだ、復讐の気持ちが。

 たぶん、今唯志が考えていることを実行すれば、計画的な殺人、ということになるのだろう。

 だが、母だって殺された。

 この思いが、唯志を止められなかった原因。


 心のどこかで連絡が来ないことを祈りながら、それでもやっぱり俺は、連絡を待っていた。

 普通に生活をして、大学にも行って、当然公一にも会って……それはとてもツラいことだった。

 俺達がしようとしていることは、まぎれもなく殺人で。

 殺そうとしているのは、公一の実の父親。

 俺達の母を死に追いやった奴。

 しかし。


(公一には、関係ない。何も、関係ない)


 できれば、公一は傷つけたくない。

 でも、それが無理なことは分かっている。

 公一は、父親を尊敬しているのだから。


(ならば、その傷が最小限ですむようにしよう)


 そう自分に言い聞かせて、俺は揺れる気持ちを無理矢理抑え込んだ。



「なぁ、純平」

「なんだ?」


 昼食時。

 学食でAランチを注文した公一は、皿の上の目玉焼きをじっと見つめている。


「……どうしたんだよ。お前、目玉焼き好きだろう?何、してんだ?」

「親父がさ」


 ボソッとつぶやいたその言葉に、一瞬心臓が止まりそうになる。だが、公一はゆっくりと目玉焼きの黄身だけを器用に切り離しながら、


「これ、食えなくなっちゃったんだよ」


 一気に気が抜けた。


「は?卵、嫌いなのか?」

「違うよっ。食えなくなっちゃったのっ。好きなのに」


 切り離した黄身を再びじっと見つめる。


「何で?アレルギーでも、出たのか?」

「ううん、痛風だってさ。兄貴が言ってた」

「痛風?」

「うん。ま、贅沢病なんだけどね。だから、卵はダメなんだって。たらこも筋子も数の子も。かわいそうだろ?」

「そうだな」

「だからね、おれが、親父の分まで食ってあげるんだっ」


 言うなり、ペロッと黄身を平らげる。


「だから、純平のもちょーだいっ」


 言うより早く、目玉焼きは既に俺の皿から公一の皿へ移動していた。


「しょーがねぇなぁ……でもお前、その白身、どうすんだよ。」

「え?いらない。」


 あっけからんと、公一は言った。


「お前なぁ……」

「だって、白身って味無いんだもん。それにおれ、黄色い食い物が好きみたい。ミカンとかパインとか……あとはそうだな、バナナとか?」

「サルか、お前は」

「え?サルも卵は黄身しか食わないの?」

「知るか!」

「何だよ、それ」


 こんな他愛もない会話を、俺はこの先ずっと続けることができるんだろうか、公一と。


 ふと、こんなことを思った。

 できることならば、続けていきたい。

 だが、できるのか?

 もう、歯車は動き出した。

 もう、元には戻れない。

 でも俺は、公一を……


「純平?」


 公一の笑顔を……


「どうしたんだよ?」


 失いたくはない。


「この頃変だぞ?純平」


 これは、不可能なことなのだろうか?


「せっかく兄貴が元に戻ったってのに、今度は純平がおかしいなんて……どうしたんだよ、いったい」

「どうもしないさ。ちょっと疲れてんだ、この頃」

「ならいいけど……だめだぞ、純平は変になっちゃ。兄貴の時みたいな思いをするのは、もうゴメンだからな」


 公一はうんざりしたような顔をした。でもその瞳から、その雰囲気から、俺のことを気遣っているのがわかる。


「大丈夫だって、言ってるだろ?余計な心配すんな」

「心配なんて、別にしてねーよっ」


 口をとんがらせて、でも安心したように、ちょっと照れたように笑う公一。


「お前こそ、そのまま変わらずにいろよ」


 思わずこんな言葉が口から洩れていた。


「……へっ?!」


 ポカンとした顔の公一を残し、俺はさっさと歩き出す。


「……やっぱ変だ」


 背後で公一がボソッとつぶやくのが聞こえた。

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