第28話

『今日は兄貴と一緒に夕飯食べるんだっ』


 公一は浮かれた様子で、めずらしくまっすぐ家に帰っていった。

 公一のあんな笑顔を見たのは、久しぶりのような気がする。

 あいつの笑顔を見ると、俺まで楽しくなれるから不思議だ。

 邪気のかけらも見えない笑顔。

 それが、公一に戻ったのは、素直にうれしい。

 だが。

 俺はどうもひっかかっていた。


(唯志が元に戻った?……そんなハズは)


 唯志のあの目。あの言葉。


 人殺しの息子。


 唯志は確かに公一をこう呼んだのだ。

 でも。


(家に帰って公一に会って……公一の一途さに気持ちが変わった……?)


 ならば、それでいい。

 しかし。

 やはり何かがひっかかる。


(いったい何を考えているんだ、唯志は……)



 落ち着かない気持ちのまま、それでも一応大学の4年で、卒業と就職とを控えていた俺は、何かと忙しい日々を過ごし、気づくとひと月近くが経過していた。

 その間、唯志も公一も俺の家には来ていない。

 もっとも、公一とは大学に行けば顔を合わせてはいたが。


「このごろ、兄貴、帰ってくるの早くてさっ。一緒に晩飯食えるんだ」


 などと、それはもううれしそうに、授業が終われば飛ぶように家に帰っていく。

 少し寂しい気もした。

 でも、公一に笑顔が戻ったのなら、それはそれでいい。

 あいつに、暗い顔など似合わないのだから。

 しかし。

 問題は唯志だ。

 あれ以来、一度も会っていない。

 連絡も、無い。

 公一の言う通り、本当に唯志が元に戻ったのなら、問題は無い。

 だが、あの瞳、あの言葉。

 俺には、唯志が元に戻ったなど、とうてい思えない。

 しかし、公一が嘘をついているとも思えない。第一、嘘をつく必要など無いのだから。


(あいつは一体、何を企んでいるんだ?)


 不安な気持ちは日に日に膨らみ続け、眠れぬ夜を何度か過ごしたある朝、フラリと唯志が家に来た。


「純平さん、ちょっと付き合って。一緒に行って欲しい所があるんだ」


 言われるがままに唯志の車に乗り込み、走ること一時間。

 着いた所は、墓地。


「今日、母さんの誕生日なんだ」


 いつのまにか、唯志は手に花束を抱えていた。

 かすみ草の、花束。


「母さんが家にいた時は、いつもかすみ草がテーブルに生けてあってね。『お花、好きなんだね』って言ったらら、『ええ。かすみ草が一番好きなのよ』って言ってた。優しい母さんだった……」


 唯志について歩いていくと、やがて大きな墓についた。

 有野家代々の墓

 墓石の前に花束を置き、唯志は手を合わせる。


「母さん、誕生日おめでとう。今日は兄さんも一緒だよ。母さん、兄さんも、純平さんも来たんだよ」


(ここに、母さんが……)


 足が、自然に墓石へと向かう。


(母さん……母さんっ!)


 幼い頃の記憶が蘇る。

 優しい、母の思い出。

 いつかまた、母と会えると心のどこかで思っていた。

 必ず会えると。

 そして、あの優しい声で俺の名前を呼んで欲しかった。


 母さん……。


 涙がとめどなく溢れ、頬を伝う。


(ごめん、母さん……来るの、遅すぎたね)


 少しでも母さんを感じたくて、墓石にそっと手を触れる。

 冷たい、石の感触。

 その冷ややかな感触は、まるで母さんの心の痛みのように思えた。


(辛かったんだろうね、母さん。ごめん、俺、何にも知らなくて。何にもしてあげられなくて)


「僕が今日、何でここに純平さんと一緒に来たか、わかる?」


 視界の隅に、唯志の靴。

 見上げると、唯志はじっと墓石を見つめていた。


「僕はね、母さんと約束をしに来たんだよ」

「……約束?」


 ツカツカと、唯志は墓石に歩みより、そしてそっと抱きしめた。


「母さんの悔しさは、僕らが晴らしてあげる。あいつに、母さんと同じ思いをさせてやる。必ず。だから母さん、僕らを……純平さんと僕を見守っていて」

「唯志?」

「強太、だよ、兄さん」


 墓石を抱きしめながら、唯志はクスッと笑った。


「ね、母さん」


 そして、一度、愛おしそうに墓石に頬を寄せると、


「じゃあね、母さん。また来るよ」


 墓石に背を向けて歩き出した。


「お、おい……ただ……強太っ」


 あわてて俺も追いかける。


「純平さんと母さんの前では、僕は強太に戻るんだ」

「え?」

「家では……公一や親父の前では、ちゃんと唯志でいるんだけど、母さんや兄さんの前では強太でいたい。いいでしょ?」

「どうしたんだよ、唯志?」

「違うっ、強太だよっ」


 強い口調に驚いて、俺は思わず立ち止まった。


「あっ……ごめん」


 ハッとしたように、唯志が俯く。


「このごろ、ストレス溜まってて。僕は、強太なのに……公一のいい兄貴の唯志でい続けるの、ツラいんだ。でもね、僕にはやらなきゃいけないことがあるから、その為には唯志でい続けることは絶対に必要なんだ。でも、やっぱりツラいんだ……」


 甘えるように、唯志は俺の胸に額をつける。


「だけどね、こんなの、母さんのツラさに比べたら、きっと笑っちゃうくらいちっぽけなツラさなんだろうね。それに、僕には兄さんがいる。母さんには、誰もいなかったんだ。だから僕、頑張らなきゃ。絶対に、約束は果たすんだ。……兄さんも、もちろん協力してくれるよね?」


 上目づかいに俺を見上げるその目には、ノーとは言わせない力があり、まるで催眠術にでもかかったかのように、俺は言葉を発していた。


「ああ、もちろん」

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