第47話

 ミュリエルはフランクール国王オーギュスト・ルフェーブルに呼ばれて登城した。


 ミュリエルが謁見室に入っていくとオーギュストは王座にどっしりとした態度で腰掛けていた。こうしていると彼は実際よりも一回り大きく見える気がすると、ミュリエルは常々思っていた。これが国王が持つ威厳というものなのだろう。


 オーギュストの隣には、人を射すくめることが趣味なのでは?と疑いたくなるほどに眼光鋭く如才ない宰相ジャン=バティスト・サンジェルマン伯と、アンドレと同じように眉目秀麗な王太子バスティアン・ルフェーブルが両脇に立っていた。


 バスティアンはアンドレよりも10歳年上で今年31歳になるはずだ。ミュリエルはバスティアンと挨拶程度にしか話をしたことがなく詳しくは知らないが、久しぶりに会うバスティアンは、子供の頃初めて会った時よりもずっとオーギュストに似ているとミュリエルは思った。それは容貌だけではなく、能力と人格が備わった優れた人間性まで受け継いでいるようだった。


 髪を頭頂部でひとつに纏め、ドレスではなくいつもの白衣を着た飾り気のないミュリエルは、王の御前に跪き頭を垂れた。


 オーギュストはミュリエルに優しく微笑んだ。「面をあげよ。ミュリエル、呼び立ててすまなかったな。連日の事情聴取で疲れているだろう」


「アンドレ王子殿下が取り計らってくださいました」


「あいつは君が好きだからな」


 どういう意味だろうかと探るような顔をしたミュリエルにオーギュストは笑った。


「何でもない、気にしないでくれ。それで、カルヴァンの密輸と海賊との癒着を暴いたのは君だそうだな」


「はい、カルヴァン邸で知り得たことです」


「そこで君の処遇だが、カルヴァンが海賊と関わっていたならばカルヴァンである君も処刑の対象となってしまうが、既にカルヴァン家から除籍されていること、ブリヨン侯爵領から収益を得ていないこと、先の疫病での功績、そして、本件の告発者だということ全てを考慮し、ミュリエルを無罪とする」


「ひとかたならぬご厚情を賜り御礼申し上げます」ミュリエルは深く頭を垂れた。


 堅苦しいことは終いだと言わんばかりに、オーギュストは肘掛けに肘をつき頬杖をついた。「魔法の力を宿したエクスカリバーにはどんな手練れでも敵わないそうだ。それなのに非力な女性はエクスカリバーと戦い勝利した。その理由を聞かせてくれ」


「カルヴァン邸から持ち出した魔道具を使いました。本日お待ちいたしましたので献上いたします」ミュリエルはオーギュストの従者にクリスタルリングを渡した。


 従者は受け取ったクリスタルリングをオーギュストの目前に差し出した。


「リングか、これを使ってどうやって戦うのだ?」


「呪文を唱えると精霊が応えてくれます。しかし、一度しか使えなかったようで、もう役には立ちません。体内の魔力を集めて放出することができるマジックワンドのように使うことはできるようです」


「そうか、魔法はもう使えないのか、少し残念だな。私も魔法を見てみたかったのだが、使えないのなら仕方がない」


 オーギュストがミュリエルの魔法の真実に気がついているのかいないのか判然としなかった。


「魔法は廃れました。魔道具も失われました。私はそこに魔導師たちの思惑を感じるのです。魔法や魔道具は人間界にあってはならないもの。神のような力を持てば人は考えることをしなくなってしまう。千思万考しなければこの世は発展いたしません」


「なるほどな、廃れるべくして廃れたということか……ミュリエル、今後もし国が危機に見舞われたらその時は力を貸すと約束してくれるか?」


 アンドレには口裏を合わせてくれるよう頼んだが、察しのいい人だ息子の嘘に気がついたのだろう、オーギュストはミュリエルの真実に気がついている。その上で見逃そうとしてくれている。


 大魔術師と認定してしまえば、国としては利用価値の高いミュリエルを他国から守るため保護せざるを得ず、王城の奥に隠してしまうよりも、薬師として国に貢献させた方が国力が上がると考えた結果なのかもしれないけれど、しゅうとになる予定だったオーギュストにミュリエルは深く感謝した。


「はい、私はフランクールの民です。フランクールのためにこの身を捧げる覚悟でおります」


「そうか、それならば良い。グライナー卿と結婚すると聞いたのでな、ザイドリッツに行ってしまうのではと心配だったのだ」


「フランクールを出るつもりはありません。ここには家族がいますから」


「カルヴァンと海賊の逮捕に協力してくれた褒賞は何が良いか?」


「勿体なきお心遣いに深謝いたします。願わくば看護師の育成をしたいと思っております」


「パナケイア病院で働く人員の確保か」褒賞と呼べるのかも怪しい願い事にオーギュストはこらえきれずにくっくっと笑った。


「はい、専門的な知識を学べる場所があれば、仕事を求めて若しくは夢を見て、看護師になろうと思う者が増えると思うのです」


「学校となると職員も必要だろう。雇用創出の機会にもなるな。いいだろう。此度の褒賞は看護学校建設とする」


「謹んで頂戴いたします」


「それとは別に結婚祝いもやりたいのだが、これだけは私的な物にしてくれよ」オーギュストはミュリエルをからかうように笑った。


 褒賞として学校建設はそんなに可笑しかっただろうかとミュリエルは首を捻った。「それでは、お言葉に甘えて、家族揃ってのマルセル旅行を頂戴したく存じます」


「そんな物でいいのか?王都の邸宅とかマルセルの別荘でも良いのだぞ」


「今の私に大層な邸宅は不要でございます。私は家族旅行をしたことがないのです。ですので家族旅行をしてみたいのです」


「よかろう、それならば好きなだけ旅行に行ってくるといい」


「ありがたき幸せに存じます」


「今日はよく来てくれた。気をつけて帰るように」


 ミュリエルはオーギュストの合図に従い謁見室を退出した。


 ミュリエルが馬車へ向かって廊下を歩いているとアンドレが声をかけた。


「ミュリエル、謁見が終わったと聞いて来た。謁見はどうだった?」アンドレはミュリエルと並んで歩いた。


「私は無罪になりました。それどころか褒賞を下さいました。看護師の育成のための学校を建設してくださるそうです」


「学校?ミュリエルらしいな。建設地は病院の隣にすればいい」


「土地を無償でお貸し下さり、ありがとうございます——それと結婚祝いを頂戴しました」


 結婚という言葉を照れながら言ったミュリエルにアンドレの心は締め付けられた。動揺が悟られませんように、声が震えて聞こえませんようにとアンドレは祈った。


「……結婚祝い?何にしたんだ?」


「家族揃ってのマルセル旅行です」


「そんな物でいいのか?邸宅をねだっても良かったと思うぞ」ミュリエルが微笑んだ。「なぜ笑うんだ?」アンドレはミュリエルの不意の笑顔に動揺して顔を赤くした。


「陛下と同じことを仰るので。私は家族旅行に憧れているのです」


「そうか……」アンドレは自分が連れて行ってやりたかったと心底思った。「フィンを選んだ理由は何なのだ?フィンのどこが良かった?」


 ミュリエルの頬がピンク色に染まった。「笑わなくていいと言ってくれたからでしょうか、今のままでいいとフィンさんは言ってくれたのです。私が人を不快にさせていることは知っています。ですが、自分ではどうにもできないことが歯痒いのです。それをフィンさんは理解してくださいました」


 2人が庭園に出ると咲き誇ったクチナシの花から艶やかな芳香が夏の暖かな風に乗って漂ってきて、ミュリエルの体を包み髪をさらりと撫でた。


 花の香りを纏ったミュリエルがより一層美しく見えてアンドレは息を飲んだ。


「——ミュリエル、私は君が好きだ。君のことを知るたびに強く惹かれた。もっと早くに君に目を向けていればと後悔している。フィンに言われたよ私はミュリエルのことを何も分かっていないと。その通りだ。私はこの数ヶ月、君に喜んでもらおうとばかりしていた、君の笑顔が見たくて、君が何に喜ぶのかも知らずに。家族旅行もフィンが言い出したことなのか?」


「そうです。マルセルに皆で旅行に行けば、皆がきっと喜ぶと言っていました」


 城壁の方から賑やかな声がして2人がそちらに目を向けるとミュリエルの家族がミュリエルの帰りを待っていた。


 ミュリエルにとって大事な人たちは城門の外にいて、アンドレには手が届かない。大きな隔たりにアンドレは疎外感を覚えた。


 ミュリエルには貴族や王族の権威も権力もアンドレからの庇護も必要ない、何故なら、どんな状況でも自力で立ち上がれる強い女性だからだ。


 フィンはそれを知っていて、ミュリエルにただ寄り添った。アンドレはそれに気づけず、ミュリエルの手綱を握ろうとした。そして、困っているミュリエルに手を貸すことで見返りを求めていただけだったのだとアンドレは気づき、浅はかな自分が嫌になった。


「やはりそうか」アンドレはボソリと言った。「ミュリエル、今まで君を邪険に扱って本当にすまなかったと思っている。それと、毎週会いに行って君の時間を邪魔してしまった。君に会いたかったんだ。自らの意思で離れたくせに図々しいと分かってはいたけど、まだ私にもチャンスがあると思いたかったんだ。でも、もうチャンスはないと知ったよ。これからは必要な時だけ行くようにする」


「アンドレ王子殿下」


 悲しそうに笑うアンドレを気遣うように声をかけたミュリエルにアンドレの心が痛んだ。こんな時になってようやくアンドレはミュリエルの微小な表情の変化を読み取れたのだ。ミュリエルの心配そうな表情にアンドレは涙がこぼれそうになりぐっと堪えた。


「何も言わなくていい、というより、今は聞く勇気が出ないんだ——幸せになってくれ」


 アンドレはミュリエルに拒絶される気がした。嫌われるようなことをしてきたのだから仕方がないけれど、それでも嫌いだとはっきり言われたら立ち直れなくなってしまう。アンドレは怖くてミュリエルと視線を合わせることもできず、俯いたまま歩き去った。


 ミュリエルが城門まで戻って来ると家族の他に今日のことをどこからか聞きつけたアタナーズ商会の面々、ガラス工芸店のドミニクとリュカ、サンドランス教会のシスターたち、ご近所の人たちが集まっていた。


「どうだった?」モーリスが緊張気味に訊いた。


「無罪だそうです。褒賞も頂きました。看護師のための学校を建設してくださるそうです」


 群衆から歓声が上がり誰とはなしにフランクールの国家を歌い始めた。

「だから言ったろう、陛下は救国の乙女を罰するほど馬鹿じゃないって」モーリスはフィンの背中をバシッと叩いた。「今日は宴会だ!」


 モーリスはアタナーズ商会の男たちに混ざって騒いだ。それをジゼルやソーニャはやれやれといった面持ちで呆れ返って見た。


 ミュリエルはギャビーに話しかけた。「ギャビーさん、学校が出来ます。ギャビーさんは看護師になりたいと言っていましたが、薬師も悪くないと思います」


「私が薬師に……ですか?」


「あなたの将来です。じっくりと考えてみてください。もしも迷ったら相談してください、力になります」


「はい、私は人から必要とされたい、そのためには何が最善なのか考えてみます」


 フィンはミュリエルを少し離れたところに連れて行った。


「それで、ミュリエルはどうして浮かない顔をしているのかな」


 ミュリエルは言いにくそうにした。「アンドレ王子殿下に好きだと言われました」


 フィンは額に手を当て、ため息を漏らした。「はあ、もう、あの人はどうして余計なことを、人の婚約者になんてことを言ってくれるんだ」


「返事は必要ないと言われました。幸せになってほしいとも言われました。私とフィンさんはまだ正式に婚約していません。だから想いを伝えるならば最後のチャンスだと思ったのではないでしょうか」


「まさか俺からアンドレ王子に乗り換えたりしないよね?」


「そんなことしません。私は……」ミュリエルは視線を落とし恥ずかしそうに言った。「フィンさんが好きですから」


 フィンはミュリエルを抱きしめた。「嬉しいな。俺も好きだよミュリエル。早く婚約式をあげよう、これ以上変な虫が寄ってこないように」


「それですが、陛下から結婚祝いにとマルセルへの家族旅行をプレゼントして頂きました。マルセル子爵が島に教会があって若いカップルに人気だと言っていたことを思い出したのです」


「決まりだね、婚約式はマルセルの教会であげよう。ギャビーは飛んで喜ぶだろうね」


「今晩からマルセル旅行の準備と婚約式の準備を始めてしまいそうですね」


 ミュリエルはフィンと手を繋いで皆の輪に戻った。


fin

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大魔術師は庶民の味方です 枇杷 水月 @MizukiBiwa

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