第38話

 「まずは街を歩いてみよう。気になった店があったら言って」フィンはミュリエルの手を取り歩いた。「モーリスさんたちにお土産を買って帰ったら喜ぶと思うよ」


「お土産ですか?」ミュリエルにとってそれは聞きなれない言葉だった。


「そう、旅に出かけたら親しい人たちに旅の思い出をお裾分けする意味でお土産を買うんだ」


「ギャビーさんとイザベルさんはアクセサリーなんてどうでしょうか、ユーグさんとティボーさんはおもちゃが良さそうですね」ギャビーとユーグとティボーに素敵な物を買ってあげられる口実ができてミュリエルは喜んだ。


「いいんじゃないか?アクセサリー屋とおもちゃ屋は決定だな。モーリスさんたちはどうする?」


「ジゼルさんは香辛料やお茶がいいかもしれません。シャンタルさんは寒がるので肩にかけるショールや膝にかけるブランケットも良いですね」


「モーリスさんは菓子がいいんじゃないか?あの人あの見た目で甘味が好きだからな」


「はい、戦場にいた時食べられなかったのでその反動だと言っていましたけど、ジゼルさん曰く子供の頃から甘い菓子が好きだったそうです。こっそり食べるのでいつも親から虫歯になると怒られていたとか」


「モーリスさんの以外な弱点だな。よし、それじゃあ沢山菓子を買って帰って、交際宣言をしよう。菓子と引き換えにすれば許してもらえそうじゃないか?」


 恋人ができるなんて過去の自分に想像できただろうか、優しい家族に素敵な恋人、この幸せがミュリエルはくすぐったくて、雪のように白く滑らかな玉の肌をピンク色に染めた頬を俯けた。「はい」


 フィンはミュリエルの手に口づけをした。「それじゃあ行こうか」


 ミュリエルとフィンはお店を辺り歩き目当ての物を買い、レンタルドレス店で今夜の衣装を見繕い、お昼ご飯はマルセルの人々のようにテラスで潮風に吹かれながら美味しいと評判のガレットを食べた。


「ミュリエル、今晩の晩餐だけど、マドゥレーヌ嬢は出てくると思う?」


「出席するのではないでしょうか。彼女の体のことですし、私と彼女に面識がある以上、挨拶くらいはしなければ失礼になります」


「昨日、出迎えに出てくるべきだよな、気まずかったんだろうけどさ、そんなの自業自得じゃないか、自分の行いのせいでアンドレ王子に捨てられたんだろう?」


「そんなことをするような女性には見えませんでしたが、暴言や暴力があったと聞いています」


「あの女がミュリエルを傷つけようとしたら、俺は手が出ちゃいそうだよ」


「暴力はいけません。マドゥレーヌ嬢はきっと心が乱れているのでしょう。産後は乱れやすいと聞きます。負の感情から抜け出せない女性もいるそうです。何があったのか分かりませんが、子がいるのに夫がいない、負の感情に囚われるには十分な状況でしょう。心の病は治してあげられないのが歯痒いです」


「心の病は、家族や友人でなければ治せないものだよ。ミュリエルがモーリスさんたちに治してもらったようにね」フィンはミュリエルの手を慰めるように撫でた。


 その後、ミュリエルとフィンは大聖堂や要塞の見物をしたり、公園でアイスクリームを食べたりしてマルセル観光を満喫した。


 爽やかな海の風と暖かな日差しは心地よくて、フィンと手を繋いで歩くのは恥ずかしかったが、観光はミュリエルが想像していたよりもずっと楽しかった。


 霞に包まれたおぼろ月が夜空に浮かび、マリーナをガス灯が仄かに照らす頃、ミュリエルはミッドナイトブルーのイブニングドレスを身に纏い、フィンはミュリエルと揃いのミッドナイトブルーのタキシードを素敵に着こなして、ホテルまで迎えにきたマルセル子爵家の馬車に乗りオートゥイユ邸へ向かった。


 昨日とは違い、ギャスパーとマドゥレーヌがミュリエルたちを出迎えた。


「本日は晩餐にお招きくださり、ありがとうございます」フィンが言った。


「お2人を邸宅に招いてもてなしたのは私が初めてではないですかな?」ギャスパーが訊いた。


「ええ、そうですね。2人揃って晩餐に招待されたのはこれが初めてですよ」


「ハハハ!これは光栄ですな。さあ立ち話もなんですからどうぞ中へお入り下さい」


 ミュリエルとフィンはダイニングルームに案内された。


「マドゥレーヌ子爵令嬢、お久しぶりです。お元気にされていましたか」ミュリエルはマドゥレーヌに話しかけた。


「ええ、元気にしておりました。ミュリエルさんは素晴らしい活躍をされたそうで、国家名誉勲章を受賞されるなんて、その傑出した才気に感服いたしますわ」


「お褒めいただきありがとうございます。ですが、私はポーションを作っただけ、薬師として当然のことをしたまでです。それよりも感染の恐怖に怯えていたのでしょうが、それを隠して無償だと知っていながら夜戦病院で働いてくださった人たちこそ賞賛されるべきだと思うのです」


「さすがは慈愛の天使と名高いお方ですな。謙虚で他者への思いやりに溢れている。こうして相対することが分不相応だと思えてしまいますな」ギャスパーが言った。


 マドゥレーヌは無理矢理この場に引き摺り出されたのだろう。不機嫌が顔に出ている。

 一方ギャスパーは、何とかしてミュリエルに取り入ろうとおべっかを使っているように見える。


 ミュリエルにとってこの状況は吉と出るか凶とでるか、分かっているのは、慎重に事を進めなければカルヴァンを捕まえるどころか、逃がしてしまいかねないということだ。


 世間話が苦手なミュリエルに代わってフィンが場を盛り上げてくれているのを有り難く思いながらも、どうしたらこんなにポンポンと言葉が出てくるのか不思議に思い、ある種の才能と言えるのではないだろうかとミュリエルはその頭の中を覗いてみたいという衝動にかられた。


 今後面倒な交渉はフィンに押し付ければ楽ができるとミュリエルに意地悪い考えが浮かんだ。


 アンドレが病院建設の細かい打ち合わせだと言って週に一度ミュリエル薬店に足を運んで来るが、本当に打ち合わせが必要なのだろうか、報告書を渡してくれれば済むのでは?と言いたくなるほど、彼は些細な事を長々と話していく。


 元々お喋りが好きな人なのだろう、子供の頃は弾丸のように言葉の雨が降ってきてミュリエルはいつも困惑していた。


 意外にもこれは2人の共通点ではないだろうか、お喋りが好きなアンドレと、お喋りが得意なフィン、打ち合わせを通して仲良くなってくれるかもしれないとミュリエルは期待を抱いた。


 ミュリエルがそんな事を考えているうちにディナーは終わり、パーラールームに揃って移動した。

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