第21話

 ミュリエルは薬店のポーチに立ち、中の様子をざっと見渡した。


 ほとんどの患者が流感のようで、見慣れたウイルスによるものでありますようにと願った。


 より一層の感染対策が必要だ。もしも、モーリスやギャビーやフィンが感染して命を落とすなんてことになったらミュリエルは自分を責め続けるだろう。


 ミュリエルが大人しくカルヴァン邸にいれば、こんなことに巻き込まれることはなかったはずだ。皆の命を危険に晒したのはミュリエル自身なのだから。


「モーリスさん、遅くなりました。お手を煩わせてすみません」


「どうってことない、皆一様に流感だからポーションを渡すだけだしな」モーリスはミュリエルの顔をじっと見た。「何かあったのか?」


「後で話します。今は患者さんを優先します」ミュリエルは白衣を翻して、患者に向き合った。


 モーリスはフィンと目配せした。


 この数日フィンの働きぶりを見ていて、モーリスはフィンがどんな人物なのかある程度評価していた。一見剽軽ひょうきん者に見えるが、本質は思慮深く、いざというときには頼りになる男だ。それに思いやりがあり、知識が豊富で洞察力に優れている人物だ。そういった問題の本質や他人の発言の意図を見抜く力は、生まれ持った性質というよりは成長の過程で得た能力だろう。


 ミュリエルがフィンは訳あって家出してきたザイドリッツの貴族のようだと言っていたから、それ相応の教育の賜物なのかもしれない。


 ミュリエルもそうだがフィンもまた然り、平民にとっては羨ましい限りの高等教育を受けて育ったようだが、家族には恵まれなかったらしい、モーリスが知っている貴族はこの2人だけだが、見合い結婚や恋愛結婚が多く、お互い納得した上の結婚である平民と違って、貴族というのは当人の意向を無視した政略結婚が多いと聞く、往々にして家族の人間関係が希薄なのかもしれない。


 その彼が今、ミュリエルを案じているようだと悟ったモーリスは、何か手に負えないようなことが起きたに違いないと確信した。


 早朝から起き出し、朝の7時から孤児院の子供を診察し、午後16時までノンストップで診察し続けたミュリエルは、フィンが淹れてくれたホットチョコレートに息を吐いた。


 フィンが淹れる飲み物のなかで、このホットチョコレートは絶品だった。


「モーリスさん、今朝サンドランス教会で診察した患者さんが、流感の症状だったのでポーションを飲ませたのですが、効かないような気がします。新型のウイルスに感染しているのではないかと疑っています」


「新型か厄介だな。100年くらい前にも一度起きたんだ。祖父じいさんから聞いた話だけどな、当時祖父さんは子供であまり覚えていなかったようだが、混乱に陥った都民の間で自警団が作られた。彼らは感染者と分かると殺して遺体を焼いてたそうだ。ミュリエルはどのくらいの確率で新型だと考えてるんだ?」


「——九分九厘」


「ほぼ確実ということか……」


「今晩、再度サンドランス教会へ往診に行ってきます。ポーションが効いていれば良いのですが、もしも回復の兆しが見られなければ、保健所へ警告すべきでしょう」


「俺も教会へ一緒に行くよ、ポーションが効いていなければ俺が保健所まで知らせに行ってくる」


「よろしくお願いします。その時に野戦病院の建設についても提案してもらえますか、100年前の悲劇を繰り返さないために」


「任せとけ、保健所の中でそれなりに発言権があって、話のわかる奴に心当たりがある。そいつに話してみる」


 既存のポーションが効かなければ、感染は広がり死者が増える可能性が大いにある。群衆の暴徒化を防ぐためにも早急な感染者の隔離が必要だ。


 保健所が迅速に動いてくれればいいが望みは薄い。平民が何人死ねばその重い腰は上がるのだろうか、役人は多額の寄付をしてくれる貴族に媚を売るので忙しいというのも世の常だ。


 貴族たちだって邸宅で医師の診察を受けられるのだから、平民がどうなろうと知ったことではないのかもしれない。平民に疫病が広がったなら屋敷に閉じこもればいいとでも思っているのだろうか。


 この状況がいかに危機的状況なのか、蔓延すればパトリーの経済は立ち行かなくなり、パトリーのみならず全国土に甚大な被害をもたらす。


 10年もかかったが、ミュリエルは魔法を独学で会得した。失敗することもあったし、上手くいかずつまずいたこともあった。その度、1人で試行錯誤しながら身につけ、薬学の知識を頭に詰め込んだ。


 この国で誰よりも優れた薬師だ。それでも自分がとても弱く、何の力にもなれないと感じるのはどうしてだろうか。焦りと不安で頭の中が支配されてしまったように感じた。


 ミュリエルの暗澹あんたんとした表情を見て、不安に駆られているのだろうとフィンはミュリエルの心を案じた。


 天才薬師ではあるが、未熟で経験の浅い齢17の少女が、人の命を脅かすウイルスに立ち向かおうとしているのだ。周りが支えてやらなければ恐怖に足を絡め取られ身動きできなくなってしまうだろうとフィンは考え、ミュリエルの肩を励ますように掴み、暗く沈んだ瞳を覗き込んだ。


「ミュリエルさん、大丈夫ですよ。俺たちがついてます。何かあれば全力で助けるし、逃げ出したいと言うのなら、喜んでここから連れ出してあげます。あなたがどんな選択をしたとしても必ず味方になります。だから、ミュリエルさんはただ思う通りにやったらいいだけです。最悪なことなんて絶対に起きないと断言します。だってミュリエルさんほど優秀な薬師ならやり遂げられると信じてますから」


 ここまで自分の胸の内を読み解ける人はいなかった。きっとフィンは心の声が聞ける魔法を使っているに違いないとミュリエルは思った。


 目を見開き驚いた表情で、胡乱な視線を向けてきたミュリエルにフィンは面白くなり声を立てて笑った。


「昔から相手が何を考えているのか何となく分かるんですよ。第六感みたいなものです」


「へー、そりゃあ便利だな。ミュリエルは表情や態度を変えないから俺もジゼルも最初の頃は、ミュリエルを理解するのに苦労したんだ。対話を重ねてようやく何に喜び何に怒るのかを知っていったってところだ」モーリスが言った。


「モーリスさんやジゼルさんには、私が不出来なばかりに気を揉ませてしまいました。すみません」


「謝る必要ないさ、俺たちが好き好んでやったことだ。追い出すことだって出来たが、そうはしなかった。やっと出来た目に入れても痛くないほどに可愛い娘を手放してなるものかと必死だったんだ」モーリスはミュリエルの頭をわしゃわしゃと撫でた。


 その大きな手にミュリエルの心が温かくなり、自分を信じ助けると言ってくれて、愛していると態度で示してくれる人たちがいるという事実に先程まで強く感じていた不安が消えていった。

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