第12話

 早朝から薬草園の手入れをした後、休診日にミュリエルは街へ買い物に出かけた。


 ダークブラウンヘアのギャビーがミュリエルのようなプラチナブロンドヘアに憧れると言ったのがきっかけで、髪の色を変えられる薬剤を作る事にした。


 今日はその薬剤を入れるための容器を探そうと思って商店街まで、秋麗あきうららのパトリーの街を歩いた。


 テレポートすれば早いが、テレポートは魔力が多いミュリエルにしかできない離れ業だ。街中でテレポートなんて派手なことをすれば瞬く間に噂となり、王室やカルヴァン家の耳に入ってしまう。そうなればミュリエルはあっという間に貴族社会へ連れ戻されてしまうだろう。便利なテレポートだが、誰が見ているか分からないのだから封印したほうがいい。


 貴族が好みそうな、鮮やかな色のジャー容器を探し歩いていると、《ガラス工芸店ドミニク&リュカ》の看板を掲げた店で、めぼしい物を見つけ、店内に入った。


 店内には30歳前後の男が2人いた。どちらかがドミニクでどちらかがリュカなのだろう。よく似ているので兄弟なのかもしれないとミュリエルは思った。


 カラフルに彩られたジャー容器や、繊細な銀細工が施されたグラスが店内に並べられていて、目を奪われるほどに美しかった。


 ミュリエルは彩りが美しいジャー容器を手に取った。「素敵ですね。異国の絵柄のようですが、これはどこから仕入れているのですか?」


「このガラス細工はトルドー公国から買い付けてきたものです。美しいでしょう?光が当たるとまるで教会のステンドグラスのようなんですよ」


「ええ、とても華やかで神秘的ですね。これはどのくらい数がありますか」


「えっと、今あるのはここに出てるだけなんです」


「仕入れるとしたらどのくらいの日数かかりますか?」


「そうですね、鉄道はフランクールからブルンスヴィックまでしか通っていませんから、トルドーの業者にブルンスヴィックまで出てきてもらうしかないんです。なので、1ヶ月半か2ヶ月くらいはかかりますね」


 約100年前、フランクールにできた鉄道が今では2,500kmに延長され、各国を繋ぐ国際鉄道に発展した。まだまだ路線を延ばす予定らしい、いつかは全国に汽車で行ける日が来ると言われているが、旅行をしたことがないミュリエルには想像が出来なかった。


「とりあえず今ある分だけ今日買います。後は仕入れることができたら知らせてください。数は50個ほど欲しいです」


「分かりました。重いですし嵩張りますので、持って帰られるのは大変でしょう、お届けしましょうか?」


「お願いします。住所はここに」ミュリエルは薬店の住所と電話番号が書いてある名刺を渡した。


「もしかして、あの噂の?噴水広場で老婆を助けたレディ?」横から男が口を挟んだ。


「リュカ!失礼じゃないか——申し訳ありません」


 普段ならこの程度の言葉遣い問題にはならないが、良家の子女のような女性に対してはいささか馴れ馴れしい気がした。高価なガラスを8個も買ってくれた——しかもこの先も取引してもらえそうな上客を逃してはならないと思い、気分を害して突き返される前にどうにかしなければと、慌ててリュカの頭を押さえつけドミニクは一緒に頭を下げた。


 リュカと呼んだということは、無作法を窘めた男がドミニクなのかなとミュリエルは思った。


「いいえ、構いません。確かに噴水広場で数日前に、倒れている人を治療いたしました」


「不躾に尋ねて、すみませんでした。丁寧な言葉遣いって苦手で」リュカは照れて恥ずかしそうに笑った。「ただあなたの話は皆がしていて、居合わせた人たちはまるで天使みたいだったて言うもんだから、会えたことが嬉しかったんです……いやーそれにしても本当に天使みたいにお美しいですね」リュカは満面に笑みを浮かべた。


 ミュリエルは容姿を褒められたことに礼を言った。「ありがとうございます。お代はいくらになりますでしょうか」


「ちょっと待ってください。計算しますね」ドミニクは計算版を使って計算した。


「あなたのポーションはどんな怪我でも治るって聞いたんです。ガキの頃に馬から落ちて足を怪我したんですけど、未だに雨が降ると痛むんです。そういうのも治りますか?」リュカが訊いた。


「天気痛でしょうか、痛みが楽になるポーションでしたらお出しできます。詳しく診察してみたいので、予約を取って来店してください」


「予約ですか?」


「ええ、長くお待たせてしまってはいけないので予約制にしています。お電話か、直接来店して診察の日にちと時間を決めてください」


「分かりました。電話します」


「ガラスの容器が8個で1,040トレールです」ドミニクが計算版から顔を上げて言った。


「小切手でよろしいですか?」


「はい、構いませんよ」


 ミュリエルが小切手を書いて渡し、店を出ようとしたところで外から大きな物音がした。


「俺がちょっと行って見てきます。ミュリエルさんは危険だから店内にいてください」リュカは小走りで店の外へ出て行った。


 外へ出ようとするミュリエルをドミニクが止めた。「外には出ない方がいいです。この辺りは比較的安全な地区ではありますが、時々喧嘩もあるんです。リュカが戻ってくるまでここにいてください」


「怪我をした人がいるならば私が必要でしょう」


 そう言い、出て行くミュリエルをドミニクは店を空けるわけにもいかず、ただ見送るしかなった。


 ミュリエルが人集りの方へ近づくとリュカが話しかけてきた。


「ミュリエルさん、待っててって言ったのに、来ちゃったんですね。馬車から荷を下ろしていた彼の上に、チェストが落ちてきたらしいです。うう、痛そうだ」リュカは顔を歪めた。


「腕が折れているようですね」ミュリエルは怪我をした男に話しかけた。


「そのようです。これは医師に診てもらわないといけませんね」


「フランクールの人ではないのですか?」


「ええ、ザイドリッツから旅行で来てます。それが何か?」


「ザイドリッツとは違い、フランクールでは貴族しか医師の診察を受けられません。平民は薬師に診てもらうのです」


「薬師に骨折を治療してもらうんですか?それは何だか不安だな」


「お兄さん、このお嬢さんは天使の異名を持つくらいの立派な薬師さんなんだ。医師なんかよりずっと頼りになるぜ」リュカが言った。


 老婆を救ったレディは天使のようだったと言われているのを知っている人たちは、リュカの言葉でまさかあの噂のレディなのかと周囲がざわついた。


「申し遅れました、薬師のミュリエルです。リュカさんの言葉は大袈裟ですが、この国の薬師は骨折くらい治せますよ。今日は休診日なのですが、今から店へ帰るところですので、一緒に行かれませんか?」


「そうですか、まあこのまま自国に帰るというわけにもいかないから、そうですね、一緒に行きます。俺の名前はフィンです」


「手を貸しましょうか」ミュリエルはフィンが立ち上がるのを手伝った。


 堅苦しい感じがする口うるさいガヴァネスみたいな女だけど、案外物腰は柔らかいのかもしれないとフィンは思った。


 ミュリエルと一緒にフィンは5ブロックほど歩き、連れられてきた薬店の看板を見て、そういえば商業ギルドの求人書で見た薬店が、ミュリエル薬店だったとフィンはようやく気がついた。


(ということは、この子が噂のレディか、コリンヌが言っていた通り確かに美人だな、だけどなんでこんなに伏し目がちで無表情なんだろうか?笑った方が可愛いだろうに)


 ミュリエルはドアを開けてフィンを招き入れ、診察室のベッドを手振りで示した。「こちらに寝てください」


「くそっ!……失礼」フィンは悪態をついたことを謝った。


 ベッドに寝転がろうとしただけで激痛が走り、外は肌寒いくらいなのに、背中に汗が伝い落ちるのをフィンは感じた。


「痛み止めのポーションをお出ししましょう」ミュリエルは工房から痛み止めのポーションを持って戻ってきた。


「ありがとうございます」フィンは痛み止めのポーションを受け取り一気に飲み干した。


 医師が処方する薬しか飲んだことがないフィンは、薬師が作るポーションを飲むのは初めてで、とてつもない不味さだろうと思い気合を入れて飲んだが、苦味はさほど感じられなかった。これならば大きくて飲みにくい丸薬よりも余程に飲みやすいなと感心した。


 ミュリエルはフィンの折れた腕に手を置き言った。

「出血はなさそうです、血流の滞りが見られません。神経の方は少し傷ついてしまっているようなので治療が必要です。肝心の骨ですが、前腕の骨幹部骨折です。前腕とは肘と手首の間、中間の部分を骨幹部と呼びます。ここですね」ミュリエルは場所を一つ一つ指で示しながら説明した。「前腕には橈骨と尺骨という2つの細長い骨があります。フィンさんの骨は両方とも折れてしまっているようですね」


「何で分かるんです?ただ手を当てただけなのに」


「腕が大きく変形してますから、片方だけなら腕はさほど変形しません」実際はクリスタルリングで患部をスキャンしたのだが、薬師は通常マジックワンドを使う。失敗したと思ったミュリエルはそれっぽく聞こえるように誤魔化した。


「それもそうか、すみません変なこと聞きました」馬鹿な質問をしてしまったことにフィンは恥ずかしくなりミュリエルから目を逸らした。


「構いません。疑問に思ったことは何でも聞いてください。そのための専門家です。子供であれば骨癒合する能力が高いので、変形を出来る限り矯正し、ギプスで固定するだけで元に戻るのですが、大人の場合変形したまま癒合してしまうことがあります。そのため手術療法を行うことが多いです」


「手術⁉︎腕を切るんですか?」


「はい、骨折部位を露出し整復して金属のプレートで固定します」


「それをミュリエルさんがするのですか?」


「私は医師ではありませんので手術はしません。フィンさんはザイドリッツの貴族ではないですか?挙動を見ていてそう思いました。ならば貴族用の旅券をお持ちのはず、それを見せれば医師に治療してもらうことができます」


「ミュリエルさんも貴族ですか?」こんなところにいる理由は分からないが、ミュリエルの立ち居振る舞いもまた貴族令嬢そのものだった。


「元貴族ですが今は平民です。薬師の治療法をお教えします。薬師の場合は歪んだ骨を矯正し、固定します。そして骨が癒合するまでポーションを飲んでいただきます。どちらにされますか?」


「でも、それだと変形したまま癒合するかもしれないんですよね」


「普通の薬師であればそうですね」


「あなたは普通ではないと?」


「私の作るポーションは優れています」


 恥ずかしげもなく自分が優れていると言えるとは、天使と呼ばれて自惚れているのだろうか?見かけからは想像できないが、とフィンは思った。


「仮定の話です。もし、ミュリエルさんの大切な人が同じ状況になったとして、医師ではなく自分を選択しますか?」


「はい」ミュリエルは躊躇いなく首を縦に振った。「術後は細菌に感染しやすく、敗血症を発症してしまったら、フランクールの医学では助けられないでしょう」


「分かりました、あなたを信じます」


 腕を切って金属を入れられるよりはマシだし、家出した手前、旅券は極力使いたくない。それに最初は天才薬師の噂に作為を感じ、手品のようなものだろうと疑い全く信じていなかったが、ミュリエル薬店の評判を耳にするたび、それなりに実力のある薬師なのかもしれないと思っていたことと、痛み止めのポーションが効いてきたこともあって、ミュリエルに懸けてみようとフィンは決心した。


「それではまず、変形した腕を矯正しますが、痛みで失神される人がほとんどです。なので最初から眠ってもらいます。眠っている間に全てが終わって、痛みもあまり感じなくなりますから安心してください」


「それは助かります。弱虫だと笑わないでくださいね、でもこれ以上の痛みには耐えられそうにないです」


「笑いはしません。このポーションを飲んでください。すぐに眠くなります」


 フィンは渡されたポーションを一気に飲んだ。


「1から順に数字を言ってください」


「1、2、3……」


 フィンが眠ったことを確認したミュリエルはマジックワンドを取り出した。


骨折箇所を魔法でズレのないよう矯正し、傷ついた神経を治療した。これで痛みも抑えられるだろう。そして、ギプス包帯を腕に巻きつけ、水につけて固定させた。


 ミュリエルは眠っているフィンの横で椅子に座り、目覚めるまで本を読んで待つことにした。


「ミュリエル、ここにいたのか、昼飯が出来たぞって言いにきたんだけど、急患か?」モーリスは姿が見えないミュリエルを探していた。


「はい、買い物から帰って来る途中、事故で腕を骨折した人と会いまして連れてきました」


「そうか、彼の腕は大丈夫そうか?」


「治療は終わりました、目覚めるのを待つだけです」


「なら昼飯を食べて戻ってくる頃には目覚めてるだろう。早く行こう、俺は腹ペコだ」


「そうですね、行きましょう」ミュリエルはモーリスと一緒に診察室を出た。


「目当ての物は買えたのか?」


「8個だけですが、残りは仕入れてもらうよう頼んできました。商品は後で店に届けてくれるそうです。綺麗な入れ物なので、1つはジゼルさんにプレゼントしようと思っています」


「そりゃあ喜ぶだろうな」


 ミュリエルは喜ぶジゼルの顔を見るのが楽しみだと思った。

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