#3 そして

ライブバーで演奏を終えた後、丈二は複雑な気持ちで煙草を吸っていた。最高の演奏をしてやったが爽快感を得たが同時に虚しさもやって来たのだ。

 一時的にかつて抱いた夢の輝きを取り戻せた気はするがやはりそれは一時的に過ぎなかった。今再度この手を離れてしまった虚しさを誤魔化すために煙を思い切り肺に吸い込む。


「よ、おつかれぃ」


 そこへ片付けを終えて帰る所の√'66のメンバーがやってきた。複雑な気持ちの丈二とは違い彼らは非常に満足そうな表情をしていた。


「どうよ久々にやってみて?」


 全体的に盛り上がらなかった事を皮肉るように質問してくる。しかし丈二はそれに関しては清々しい顔で答えた。


「手応えあったな、色々吹っ切れた気がする」


 その答えが予想外だったようで少し戸惑うメンバーたち。


「そっか……まぁ好き放題やってくれたからな笑」


「あぁ、機会くれて感謝してる」


「〜〜っ」


 やはり何処かメンバー達には心残りがあるようだ。少しむず痒いような表情を見せている。

 そして核心に触れる言葉を放った。


「正直もっと嗤ってやろうかと思った」


「そうか」


「ネットに書き込まれたんだ、創設者をクビにした恩知らずの連中だって。だから酷い演奏見せつけてクビは仕方なかったってのを証明したかったんだよ……」


 正直に白状するリーダー。なるほど、今回無理やり引き込んだのはそんな理由があっての事だったのか。


「でも吹っ切れたって言われた途端、急に敗北感がな……」


 実際に観客は盛り下がったし演奏も独りよがりで纏まりがなかった。しかし丈二個人として見れば誰よりも輝いていたと思われたのだ。


「もう閉店だって!お兄さん、行こ?」


 そこへ麗奈がやって来る。彼女を見た途端、丈二の顔は明るくなった。


「じゃあ俺ら行くから」


 軽く挨拶を済ませて背中を見せて去る。するとリーダーがたまらず声をあげた。


「お前、上手かったよ……!」


 その言葉を聞いた丈二はゆっくり振り返りこう返す。


「お前らの方が凄い。あんなに認めてくれるファンがいるんだしな」


 そして振り返り丈二と麗奈は去って行った。メンバー達から見えたその背中は儚くも美しかった。


「……お前にだっているだろ、誰よりも認めてくれるファンが」


 隣にいる麗奈の姿を見て呟いた。



 ☆



 夜遅くにライブバーに来たため演奏を終えて出た頃にはすっかり深夜だった。他に通行車の見当たらない真っ暗な道をロードスター1台だけが走る。明かりは前方を照らすライトのみ。


「すぅーすぅー」


 静かに運転する丈二の隣、助手席で麗奈ははしゃぎ疲れたのか眠っていた。ずっと音楽を掛けていたが彼女が眠っていると気付いた丈二は静かにスマホを触り音楽を止めた。


「止めないで……」


 すると寝ぼけながら麗奈が丈二の手に触れる。その言葉は音楽だけではない、旅そのものを止めないでと言っているように感じた。

 しかしいつかは現実と向き合わねばならないと考えている丈二は少し複雑な気持ちになる。


「今だけだ……」


 仕方なく丈二は麗奈が心地よく眠れるよう、美しい夢が見られるように静かなナンバーを流す事にした。

 その曲とはレッド・ツェッペリンの「天国への階段」だ。心地よいアコースティックギターの音色が辺りを包み込む。


 静かで儚い音楽が流れ麗奈が心地よい眠りについた頃、辺りが徐々に明るくなって行った。日が昇り始めたのだ。真っ赤な朝日が窓から差し込む。


「ん……」


 その朝日が顔に当たり麗奈が目覚める。まだ眠い目を擦りゆっくりと起き上がった。


「起きたか」


「うん……」


 そのまま視線を窓の外へと向ける麗奈。すると突然目を大きく開き大きな声をあげた。


「うわぁ!海!!」


 丈二も麗奈の声で気付く。真っ暗だったため気付かなかったが自分たちのロードスターは今、海の横を走っていたのだ。真っ赤な朝日に照らされ海も赤く輝いている。

 その光景はとても美しかった。思わず見惚れて時間をスローモーションに感じてしまうほど。


「綺麗だな……」


「うん」


 近くの海岸に車を停めて2人は浜辺に降り立って朝日に照らされる海を眺めていた。しばらく時間を忘れて圧倒されてしまう。こんなに美しい景色を見た事がなかったから。

 いや、正確には知っている。しかし現在の心情で改めて見る朝焼けの海は人生で見た景色の中で圧倒的に1番だった。


「うわぁぁぁぁいっ!!!」


 すると突然麗奈が靴を脱いで走り出した。バシャバシャと音を立てて海に足まで入って行く。


「つめた〜い!」


 子供のようにはしゃいでいる。彼女は丈二とは違いそもそもこの景色を知らなかったのだろう。純粋に新鮮な楽しさを味わっている。


「お〜い!お兄さんもおいでよー!」


 両手を大きく降り丈二を誘う。その無邪気さに思わず微笑んでしまった。


「はは……」


 しかし丈二は麗奈の期待には応えずその場に立ったまま煙草を一本取り出して火を着ける。


「すぅぅ、、ふぅぅ……」


 朝焼けに照らされながら浜辺で吸う煙草はいつも以上に美味であった。吐き出した煙が空に昇っていくのを見つめながらその煙の中に走馬灯のようなものを見出す。


「そろそろ向き合わなきゃな……」


 俺は麗奈という1人の美しい天使に勇気をもらった、もう何も怖くない。あんなに恐れていた現実と遂に向き合う準備が出来た。


「もしもし?」


 スマホを取り出し電話を掛ける。その相手は……


『丈二……?こんな時間にどうしたの……?』


 自分自身の1番向き合わねばならない相手、母親だった。


「突然なんだけど今から行ってもいいかな?」


『本当⁈もちろん良いよ、今から部屋片付けるね!』


 久々の息子からの電話にテンションが上がる母親。しかし彼女は今でもまだ丈二を立派な出来た息子だと思っている。病んでしまっているため真実を話したらどうなってしまうだろうか。しかしそれ含めて丈二にとっては現実だ。


「すぅぅぅぅ……ふぅっ」


 電話を切った後、丈二はまた煙草の煙を肺に入れた。しかしいつもより深く吸い浅く吐き出す。

 彼はとうとう現実と向き合う覚悟を決めた。



 ☆



海を後にした2人は再度ロードスターに乗り丈二の母親の住む団地へ向かっていた。


「本当に大丈夫?」


 心配そうに聞いてくる麗奈。彼女は少し不安なのだろう。


「やっと覚悟が決まったんだ、俺のタイミングでやらせてくれ」


 対する丈二は落ち着きながら運転をしている。それを見た麗奈は余計に不安になった。

 丈二が向き合ったのなら自分も向き合わねばいけないだろう。しかしまだ自分は覚悟が決まりそうにないのだ。


「っ……」


 その様子を察した丈二は声を掛ける。


「別に俺に合わせる必要はないぞ、お前にはお前のタイミングがあるだろ。自分のペースで覚悟決めてからで良い」


 その言葉を聞いて麗奈は少し安心する。


「うん、そうだよね……!」


 姿勢を正し、2人を乗せたロードスターは走って行った。



 ☆



 アパートが並び立つ団地の中の一棟へ入る。階段を昇り母親が1人で暮らす部屋の前へ。インターホンを押そうとしたタイミングで手が止まってしまう。


「っ……」


 いざこの時が来ると緊張してしまい中々呼び鈴が押せない。


「……私が押そうか?」


 電話の時のように代わりをしてくれると言うが。


「いや、自分でやるって決めたから」


「だね」


 覚悟を決めてなんとか押す事が出来た。すると扉の向こうから足音が聞こえてくる。徐々に近付き扉を挟んだ向こうで止まった。

 息を呑む、そしてゆっくりと扉が開く。その時間が永遠と思えるほど長く感じた。そして……


「久しぶり〜!」


「あぁ」


 遂に扉が開き母親が姿を現した。思いの外元気そうだが病んでいる人間というのはそういうものだ。現に明るい雰囲気とは裏腹に見た目は相当やつれている。


「この子は?」


 隣にいる麗奈の存在に気付く。


「同伴」


「何の?」


「まぁ、話あってさ……」


「急に電話くれるから何かあるとは思ったんだよね〜」


 そして母親は部屋の中へと2人を案内する。


「さぁ入って入って〜」


 何か勘違いをしているようだ。心底嬉しそうな顔で招いてくれるため心が痛い。


「お邪魔します……」


 同じ気持ちになっているのか麗奈も辛い面持ちをしている。陰鬱な雰囲気を放ったまま2人は靴を脱いで母親の住む部屋へと足を踏み入れた。


「安いコーヒーしかないけどごめんね〜」


 居間のテーブルの前に2人を座らせると嬉しそうにコーヒーを淹れて差し出す母親。

 一方麗奈は居間の中を見回した。何とも質素で殺風景な部屋だがその中に丈二の小さな頃の写真がいくつか飾ってある。しかしそれも小さな頃のものばかりで中学生以上のものは一切なかった。


「でもよかった〜久々に来てくれたと思ったらこんなに可愛い女の子連れてきて」


「いえ、はは……」


 部屋の中の事もあってか母親が不気味に見えてしまい愛想笑いしか出来ない麗奈。ふと机の下を見ると期限のかなり切れた精神安定剤の袋が落ちている。こっそり拾い中を見てみると薬は入ったままだ。本当に精神を病んでいるのか。


「お待たせ〜」


 すると母親が戻って来たので慌てて拾った薬を戻す。


「丈二、やっと自分の天使に出会えたんだね」


「まだそれ言ってんのか……」


 突然麗奈を天使と呼ぶように言った。


「天使?」


 疑問に思った麗奈が当然問いかける。


「母さんさ、人生を懸けて愛せる人をその人にとっての天使って言うんだ」


「そう!私にとってお父さんだったように丈二にも現れてくれて嬉しいのよ〜、お父さんは出て行っちゃったけど」


 そう言うと母親は至る所に飾ってある写真を見渡す。そこには丈二の父親らしき人物も写っていた。"出て行った"とはどう言う意味だろうか。


「私が天使……」


 そう言われた事を複雑に思いながら出されたコーヒーを啜る。


「で、話って何なの?」


 ワクワクしているのが側から見ても分かるほど母親は身を乗り出している。


「あー、それなんだけど……」


 覚悟はしたがいざ言うとなるとやはり心が進まない。


「緊張しなくて良いんだよ〜?丈二が人生を懸けて愛せる人を追い出すなんて事しないから!」


 やはり結婚の話だと思っているらしい。恋人がいるという嘘も以前に吐いてしまったから尚更だろう。


「っ……」


 麗奈の顔を見る。しかし頼るためではない、自分で話すと決めたのだ。だからこれは勇気をもらうためである。


「うん、大丈夫」


 小さく自分に言い聞かせるように呟いた。そうだ大丈夫、自分には麗奈がついている。彼女のお陰で覚悟が出来たんだ、ここで挫ける訳にはいかない。


「あのさ母さん、驚かないで……って言っても無理だと思うけど」


「うんうん大丈夫だよぉ、もう分かってるからっ」


 嬉しそうにしている顔を今から自分は崩すだろう、心が非常に痛むだろうがもう考えるのはやめた。


「ごめんっ!!」


 頭を下げて母親に謝った。逃げ道を失くすためである。


「え、何で謝るの……?」


 流石の母親も困惑している。そしてとうとう自分の全てを白状したのだ。


「俺ずっと母さんに嘘吐いてた!仕事で上手くやれてるってのも恋人がいるってのも全部嘘なんだ!!」


「え」


「本当は詐欺紛いのセールスやっててそれでも貧乏で家賃払えないし今は車盗んで逃亡中なんだよ……っ!!」


 泣きそうになりながらも必死に堪えて全てを曝け出す。しかしそれでも母親の顔だけは見れなかった。ずっと頭を下げたまま床を見つめている。


「ちょ、いきなり何言ってんの……?だって言ってたじゃん、大手企業で出世したって……」


「っ……」


「今の話が嘘なんでしょ?ねぇ……」


「〜〜っ」


「何か言ってよ、高級マンションに引っ越したのもモデルみたいな彼女が出来たのも全部嘘なの……?」


「〜〜〜っ……!!!!」


 ここまで歯軋りの音が大きく響いたのは初めてだった。それほどまでに場が凍りついていたのだろう。


「信じない、何か証拠くれるまで」


 頑なに現実を受け入れようとしない母親。すると麗奈がスマホを操作して画面を見せた。


「これ、ニュースです。今の私たちが載ってる……」


 その画面には丈二が車を盗んで麗奈を誘拐した事が書かれていた。当然顔写真も載っている。


「ウソ……」


「嘘じゃない。今までの俺が、母さんの中の俺が嘘だったんだ……」


「…………」


 そしてしばらく沈黙が訪れる。その空気が最悪で丈二はいてもたってもいられなくなり母親に声を掛けようとした。


「母さ……」


「うるさいっっ!!!!!」


 すると突然丈二に出されたコーヒーの入ったカップを母親は投げ付けてきた。背後の壁に命中して大きな音をたてて割れる。


「出て行けぇ!この疫病神がぁっ!!お前が生まれたせいで全部ダメになった!!!」


 泣き叫びながら次々とそこら辺のものを投げつけて来る。


「お父さんが出て行ったのも全部お前のせいだっ!愛してたのに、あの人も私を愛してくれるはずだったのにぃ!」


 すると投げつけたグラスが麗奈の顔に当たる。


「あぁっ……」


 その影響で麗奈は頭部から流血してしまった。そこそこの量が流れている。


「麗奈っ!」


 そこで初めて丈二は彼女の名を呼んだ気がした。しかしそんな事もすぐにどうでもよく感じるほど慌てて倒れた麗奈に駆け寄った。


「おい大丈夫か⁈」


「大丈夫……そんな深くないと思うし、倒れたのもビックリしただけだから」


 そう言って頭を押さえながら起き上がる。そんな麗奈を丈二はずっと支えていた。


「母さん!もうやめてくれ!」


 悲痛な声で母親に言葉をぶつける。母親も血を見て少し冷静さを取り戻したらしい。


「俺はそろそろ現実と向き合わなきゃって思ったんだ!いつまでも目を背けてたら本当に愛される事なんて出来ないから……!」


 その言葉を聞いた母親は膝から崩れ落ちた。そして溢れる涙を両手で押さえようとしながら語る。


「私は逃げたままでよかった、嘘の愛でも表面的には感じられるからっ……!死ぬまで逃げおおせればよかったっ!!」


 当然それは身勝手な言葉だ。


「それじゃあ……っ」


 "俺がずっと辛いままじゃないか"と言いかけたが静止する。今は何を言っても逆効果だろう、それが正論なら尚更。


「麗奈、行こう」


「…………うん」


 そのままにして仕方なく2人は去って行こうとする。すると部屋を出る直前にか細い声が聞こえた。


「私だって認められたかったよぉ……っ」


 聞かなかった事にして丈二と麗奈の2人は部屋を後にした。その扉を閉める音は母親との絶縁の音でもあったのかも知れない。



 ☆



 団地の階段で下まで降りた後、丈二は1段目に腰掛けた。後ろを着いてきた麗奈から見たその背中からはとてつもない哀愁が漂っていた。


「あーあ、上手く行かなかったな」


 まるで子供のような口調になるがその声は震えていた。


「うん……」


 何も言ってあげる事が出来ず麗奈は隣に腰掛ける。


「俺さ、頑張ったよ」


「うん」


「向き合ったんだよ」


「うん」


「多分人生で1番勇気出したと思う」


「うん」


「その結果がこれかぁ……」


 とうとう丈二は涙を堪えられなくなりボロボロと目から銀の雫が溢れ出てしまった。


「俺頑張ったよなぁ……っ⁈なのに何で報われねぇんだっ……⁈」


 自分の今までの人生を振り返りながら涙を拭う。しかし涙は勢いを止めずどんどん流れた。


「ずっとそうだ、報われない事ばっか!何で俺生まれて来たんだろう……っ⁈」


 先ほど母親に言われた言葉がどうしても胸を突き刺す。


「認められたいのは俺だって同じなのに……!!」


 母親の言葉と同じ気持ちを抱いていると主張した。


「お兄さん……」


 麗奈はどうしていいか分からなかった。今の丈二にはどんな言葉も意味を成さないだろう、先程の母親のように。

 しかし何かしてあげたくて仕方がない。自分に出来る事を精一杯考えた。その結果思い付いた事は……


「うん、うん……」


 自らの腕に丈二の頭を抱き寄せ、ただ悲しみを受け止める事だった。


「あぁっ……うぅぅ」


 ただひたすらに涙を流す丈二の体は温かかった。その温もりから麗奈は話すべき事を見出した。


「分かるよ、お兄さんの気持ち」


「本当かよっ、せっかく頑張ったのに実の親から出て行けって言われたんだぜぇ……?」


「うん、私もう一個嘘ついてたの」


 丈二の気持ちを無駄にしてはいけない。そのために打ち明けよう。


「本当は家出したんじゃなくて追い出された、さっきのお兄さんみたいに"出て行け"って言われてね」


「……っ!」


「だから分かるよ……?認められない気持ち……」


 何とか慰めようと言葉を選びながら話す。


「でも違うのは私は向き合えなかった事。自分から向き合う前にバレて向こうから拒絶されたの」


 両親の表情を思い出しては震える。


「その分お兄さんはちゃんと向き合えて偉いね……?」


 とうとう麗奈も少し涙を流してしまう。丈二はずっと欲しかった言葉を泣きながら言ってもらえて心底嬉しかった。少しだけなら麗奈に救われた気がする。

 そのまま2人はしばらくそこで泣いたあと車に戻り出発した。



 ☆



 ロードスターを悲しい雰囲気のまま走らせる。向き合っても拒絶されてダメだった、ならこれからどうすれば良いのか。


「母さんがあぁなったのってさ、父さんの影響があると思う」


 ずっと母親の事が頭から離れず、その関連で父親の事を思い出していた。


「父さんは出来る人でさ、いい会社で出世してそこそこ金もあったんだ。そんな人に愛されて存在を認められて自分の価値を見出すために母さんは結婚したんだと思う」


 以前から思っていた事だが今回母親の本性に触れて疑問が確信に変わった。


「でも結婚しても孤独を感じたんだ、とても認めてもらえてるとは思えなかった。たから出来る子供を生む事で役に立つって示したかったんだ、そんで生まれたのが俺……」


 自分はそのためだけに作られた子供。


「お前なら分かると思うけど俺ってこんなだろ?だから期待外れも良いとこだったんだろうな、母さんは希望を失ったんだ」


 ハンドルを握る力が強くなる。


「そんで父さんは呆れて出て行った。母さんはそれを全部俺がダメなせいにしたんだ、現実から目を背けてな」


 少し運転が荒くなるが何とか堪えた。


「…………」


 助手席で麗奈が今の話を聞いて何やら考えている。そしてとうとう重そうな口を開いた。


「……お兄さんに似てるね」


 その言葉を聞いてハッとする。


「この車の持ち主との話にそっくりじゃない?せっかくアパートに住ましてもらってるのに自分の事ばっか考えて相手の事は考えてあげずに呆れられては現実から逃げる……」


 今までの丈二の行動を振り返る。


「今のお兄さんと全く一緒じゃない?」


 そうか、やっと分かった。俺は母さんを否定して母さんから目を背けてるつもりで自分自身から目を背けてたんだ。


「あぁ、本当だ……」


 流石すぎて何も言えなくなる。麗奈は本当にいい子だ、彼女には幸せになって欲しい。


「でも違う所もあるよ?」


「そうか……?」


「お兄さんの友達はお兄さんを見捨ててない。最後まで向き合おうとしてたんでしょ?」


「ぁ……」


「そこが違う所。お兄さんには手を差し伸べてくれる人がいる、目の前の甘さじゃなくてその人達の本当の優しさに気付いてあげて」


 そして麗奈はウインクして言った。


「もちろん私もだから」


 そのあざとさは今の重たい空気を少しだけでも軽くしてくれたような気がした。


「ありがとう、ありがとう……」


 やっぱり麗奈は素晴らしい子だ。こんな子が両親によって自由を奪われているなんて。


「やっぱ俺、お前には不幸になって欲しくねぇわ」


「え、何急に……?」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる麗奈。しかし丈二は真剣な顔をしている。


「こんな思いするくらいなら無理に向き合う必要はないよ」


 彼女の両親に対しての事だ。


「俺がお前のためにしてやれる事は辛いだけで愛のないの現実から逃げ切らせてやる事だ」


 必ずしも嫌な現実と向き合う必要はない事に気付いた。現実にも種類があり向き合うべき事と逃げても良い事がある事に気付いた。

 丈二にとって母親が辛い存在であった以上に麗奈にとって両親は彼女を不必要に縛り付ける存在なのだろう。


「お兄さんっ……」


 嬉しそうな表情をする麗奈、やっと自分の想いを分かってくれる人が現れたのだ。

 喜びながらバックミラーをふと見ると。


『そこの車、止まりなさい!』


 なんとパトカーがランプを鳴らして追いかけて来たのだ。遂に警察に追い付かれてしまった。


「マジかよ……」


「どうするの……⁈」


 麗奈も焦っている。このまま辛いだけの現実に縛り付ける訳にはいかない。


「くっ……!」


 考えながら逃げている内に既にパトカーは数台集まって来ていた。前から丈二を探していたのだろう。


「マジか……!」


 前方を見ると他のパトカーが3台、丈二たちの進む先を塞いでいた。完全に挟まれてしまう。


「はぁー、分かったよ」


 視界に喫茶店が入る。そこである事を思い付いた。


「ポケット失礼するぞ」


 そう言って隣に座る麗奈のポケットを漁る。そうしてあるものを掴んだ。


「ちょっと、何すんの⁈」

 

 何が何だか分からない麗奈の表情は恐怖を表している。大丈夫だ麗奈、俺に任せてくれ。


「このまま捕まったら両親の所に無理やり連れ戻されるかも知れないだろ?」


 いくら追い出されたといえ警察は麗奈が誘拐されたと思っているため両親に引き渡すだろう。


「不必要に縛り付けて来る現実から逃げ切れ、お前は自由だっ!!」


「お兄さんっ……!」


 そして喫茶店の前に勢いよく停まり麗奈と共に車から降りた。その様子を見て警官たちは驚愕する。


「これ以上近づくな!コイツを撃つ!!」


 遊園地で麗奈に取ってあげたモデルガンを本物の銃に見立てて人質を取るような形で銃口を彼女の頭に当てる。

 当の麗奈は泣きそうだ、自分のために丈二がここまでしてくれているのだから。

 しかしその泣きそうな顔が警官たちには人質に取られた事による恐怖の表情に見えてしまっていた。


「待て撃つな!」


 パトカーを降りた警官たちも常備している銃を持ち威嚇する。しかし人質を取られている以上撃って助ける事は出来ない。


「来い……」


 麗奈だけに聞こえるように丈二は言い、彼女を人質役にしたまま例の喫茶店に入る。


「お前ら大人しくしろ!死にたくなかったらそこに集まれ!」


 麗奈だけでなく喫茶店にたまたまいた客まで巻き込んで人質にした。

 本当はこんな事したくない、しかし麗奈を逃がせる可能性を上げるためにはより多くの人質が必要だ。


「動くと撃つ……!」


 本性がバレぬように精一杯恐怖の犯罪者を演じる丈二と人質を演じる麗奈がそこにいた。

 その2人だけ異様な空気を放っている、最悪の事態は避けたかった。


 





 つづく



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