第30話 キスの合図

 次に貴族の令嬢たちに挨拶して回った。その中で一際美人な令嬢がいた。彼女はレティーシャ・マリー伯爵令嬢。


 胸元を強調した黄色を基調としたビスチェのドレスを身に纏い周囲の視線を集めていた。豊満な胸すごいな。


 一度だけ自分の胸に視線を落として同時に気落ちした。


「アラン様。この度はご婚約おめでとうございます。そちらの方が」


 ネヴィル公で味わった感覚をもう一度。もうお代わりはいらないと思いつつ笑顔を貼り付けて名前を名乗る。レティーシャからは嫉妬のこもった視線が向けられる。


 考えなくても彼女はアランに恋心を持っている。それも未だ熱は冷めない。シルビアたちの言っていた通りだ。


「失礼いたしました。私、レティーシャと申します。以後お見知りおきを。カレナ……様は魔石や魔鉱物にご興味があおりとのこと。今度私から素敵な贈り物をさせていただきますわ。ぜひ、受け取ってくださいませ」


 最後の一言に含みがあった気がするけれど、魔石に関しての贈り物なら喜んで受け取るつもりだ。なんだこの子いい子じゃん。


「ふふっ。他にも挨拶周りに行かれるのでしょう。私はこれで失礼いたしますね」


 レティーシャはそう言うと優雅に一礼すると離れていった。それからはアリスたちと少しだけ話をして再び何人かに挨拶をしてようやく一息ついた。


 外の空気を吸うために二階のバルコニーに出て夜空を見上げた。


「疲れただろう」


 背後からアランが二つグラスを持って来た。一つを受け取って口を付ければ甘いぶどうジュースが渇いた喉を潤した。


「ええ。人に疲れました。でも、アラン様やアリスはこんなのをずっと幼い頃から体験されているんですよね」


「そうだな。もう慣れた」


「慣れても皆腹の探り合い。精神はすり減りますよね」


「ははは。やはり君には敵わないな。そんなことを言ってくれる人は今までいなかったから」


「いや。私も今日体験してうわ、嫌だなと思っていたのでアラン様も同じかなと」


 正直な気持ちを口にすると彼が隣に来て笑い出した。そんなに面白いことを言ったつもりはないんだけど。それとも挨拶回りで疲弊しすぎたとか?


「君のそういうところが気に入っている。それと」


 言葉を切った彼が手を伸ばす。行動が予測できない私は咄嗟に目を閉じた。触れたのは私の髪。そっと目を開ければ至近距離にアランが映った。


 思わず鼓動が速くなる。


「あの、アラン様?」


「……その、言いそびれたが、ドレス姿とても似合ってる。あまり他の人に見せたくはないと思ってしまった」


「っ」


 ただでさえ顔がいいイケメンが急に照れ顔で褒めないでほしい。心臓に悪い。私は言葉を失ってただ、赤面することしかできない。


「あ、ありがとうございます。アラン様もそのいつもよりも正装されていて、とても似合ってます、よ?」


 これが今の精一杯だ。これ以上私に言葉を期待しないでほしい。というか、鼓動がうるさくてアランに聞かれないか不安だ。


 早く彼から離れたい。


 バルコニーに通じる扉に視線を送るとアリスが笑顔でカーテンを閉じるところだった。


「ちょっ、アリス!?」


 バルコニーに彼と二人きりだと今更ながら自覚する。逃げ場がない。近づいてくる足音に顔を上げるともう一度手を伸ばしてくる。


 今度は遠慮がちに、恐る恐る彼は頬に触れた。触れる指先の熱にびくりと反応して肩が揺れる。微かに笑う気配がして次に指先から掌が頬を包んだ。


 更に鼓動が速くなる。


 彼の顔が近づいた。


 ふと、アンたちの言葉がよぎる。


「相手からキスを迫られた時ってさ、自分が不快に思ってなくて相手を受け入れるなら目を閉じて身をゆだねる方がいいのよね」


「アンってば誰かとキスしたことあるの?」


「ううん、ない! ロマンス小説に書いてあった知識」


「なにそれ」


「でもさ、好きな相手とキスってなんか素敵だなぁって思わない?」


 うっとりとしながら語るアンたちの会話を思い出した私は彼の行動がキスの合図なのかもしれないと思った。


 不快じゃなければ、相手を受け入れるのならば目を閉じて身をゆだねる方がいいんだっけ。


 彼とのキスは不快ではない、のだと思う。


 ただ、鼓動がうるさいだけだ。私は受け入れるべく瞳を閉じた。瞬間、彼が息を呑む気配を感じた。


 さらに近づく気配にキスを覚悟していた私は会場の外から魔石の気配を感じて目を開けた。

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