8 美少年と恋の魔法

 朝陽くんがわたしを好きになってから、抱え始めた違和感が、だんだん大きくなっている。

 今の朝陽くんと関われば関わるほど、会話をすればするほど、わたしが憧れた朝陽くんとは違う存在になってしまっているのが、明確になっていくのだ。

 決定的だったのが、昼休み。

「朝陽、水やり行こうよ」

 朝陽くんは、小原さんと一緒に植物係を担当している。二人は、雨の日以外、昼休みには必ず中庭にあるクラスの花壇に水やりに行っていた──周りから、デートだカップルだとからかわれても、それを止めることはなかった。

 なのに。

「悪いけど、一人でやっといてくれないか?」

 と、朝陽くんは言った。

「え……?」

 驚いたのは、小原さんだけじゃない。

 会話を聞いていたクラスメイト、全員が目を丸くした。

「な、なんで? なんか用事?」

 動揺した小原さんが、冗談であってほしいとばかりに尋ねる。

「うん、ちょっと面倒だからさ」

 朝陽くんはなんでもない風に言った。

 あの真面目な朝陽くんが、植物係をすっぽかす……?

 しかも、めんどくさいって理由で……?

 だって、この前も、彼は休日にわざわざ花壇に雨風ガードを作りに行ったはずだ。それで風邪を引いたのは、クラスの誰もが知っている。

「今まで、そんなこと一度だって……」

「そうだっけ?」

 キョトンとする朝陽くん。小原さんのくちびるは、わずかに震えていた。

「……わかった」

 それだけ言い残して、小原さんは教室を出ていく。

 男子の何人かが、「どうしたんだよ」と声をかける。朝陽くんは「んー別に」と興味なさげにスマホをポケットから取り出していた。

 小原さんの姿が見えなくなってから、朝陽くんはわたしのほうに振り向いた。

「希、ちょっと来てよ、この動画、面白いよ」

 いつもみんなが集まる笑顔で、わたしを呼ぶ。

 その笑顔は、わたしも好きだったはずの笑顔だった──でも、今は、好きじゃない。

 さっきまで、一番仲が良くて、付き合いも長い小原さんにあんな態度を取っていたのに、何もなかったかのように、忘れたかのように、わたしに笑いかけている。

 ……この人は、誰?

 朝陽くんが、誰かを傷つけるわけがない──それが幼なじみの小原さんなら、なおさら。

 この人は、わたしの知っている朝陽くんじゃない。

 ──彼のそばに、行きたくない。

「あーっと、先生に職員室まで呼ばれてたんだった〜!」

 わざとらしく大声を出した。

 これまたわざとらしく、大きな音を立てて、椅子から立ち上がる。

「あ、おい、希?」

「早く行かないと〜! ごめんね、朝陽くん!」

 手を振って教室から退散する。

 職員室に呼ばれてるなんて、もちろん嘘だ。

 どうにかして、その場から──朝陽くんから逃げ出したかった。

 行き場のないわたしは、女子トイレに駆け込んだ。

 昼休みの残り時間は、もうここでやり過ごそう……。

 個室に入って、鍵を閉めて、ようやく一息つく。

 朝陽くんがおかしくなってるのって、やっぱり、レンくんの魔法のせいだよね……。

 ちゃんとわたしを好きになったわけじゃなくて、魔法の力で無理矢理恋をさせているわけだから、性格まで変化しちゃったのかもしれない。

 魔法でああなってるって言うなら──

「……魔法なんて、ズルじゃん」

「ちょっと、莉央、話聞いてる〜?」

 強めの声が聞こえて、肩がビクッと跳ね上がった。

 莉央──小原さんがいるんだ。

 トイレに入るとき、必死に走ったせいで気づかなかった。

 花壇の水やりに行く前に、トイレに寄ったのかな。

 小原さんのグループは、トイレの鏡で前髪を整えたり、色付きリップを塗り直したりしているのをよく見かけるから。

「莉央さ〜、なんかテンション低くない?」

 村上さんだ。

「あ……うん、ごめん」

 村上さんに答える小原さんは、表情が見えないわたしでもわかるくらい、元気がなかった。

 元気がなくなるのも仕方がない──仲の良かった朝陽くんに、突然冷たくあしらわれて、その原因もわからないんだから。

 小原さんが落ち込んでいるのも、わたしがレンくんに頼んだから……。

 胸がズキズキと痛くなる。

「実は、朝陽がさ……」

「朝陽? ああ、なんか多田に絡むようになったよね。てか、多田、転校生ともいつの間にか仲良くなってるしさ、むかつく」

 吐き捨てるように村上さんが、小原さんの言葉に被せる。

 ……むかつくのか。

 朝陽くんにアプローチされているわたしが、レンくんと一緒に登校してきたこと、まだよく思っていないんだ。

 ……そりゃそうか。

 レンくんに強く言い返されて、「はい、わたしが悪かったです」とはならないよね。

「いや、多田の話じゃなくて……朝陽がさ」

 レンくんに詰められた村上さんと佐藤さんをかばった小原さん。

 小原さんがしたいのは、わたしの話じゃなくて、朝陽くんの話だ。

 しかし、村上さんが言い放ったのは、

「朝陽? 朝陽はどうでもよくね?」

 だった。

「え……?」

「その話、もうだるいからやめて。テンション低いのもだるい、マジで」

「いや、でも……」

 小原さんが何か言いたそうにしていたけれど、うまく言葉が出てこないみたいだった。

「てか、今日、学校終わったらどこ行く?」

「うち、カラオケ行きたい〜」

「いいね」

 村上さんの呼びかけに、佐藤さんが応答する。

 もう、誰も小原さんの話を聞いていなかった。

 小原さんの声も聞こえなくなった。

 誰も、興味がないんだ──小原さんが悩んでいることに。

 口の奥から、苦い味が広がった気がした。

 ──「中学受験、落ちたのに、そんなことに悩んでんの? 呑気でいいね」

 ──「八十点? 百点じゃないなら報告しなくていいわよ」

 不意に、姉と母の言葉が再生される。

 もうだいぶ前に言われたセリフなのに、まだ、胸に刺さって抜けない。

 好きな人ができたって、誰にも言えなかったのは、そんな風に返されるのが怖かったから。

 ──「嫌なことは嫌って言ったほうがいいよ」

 レンくんの言葉が頭の中に響く。

 言われたときは正論だと思ったけど──レンくんみたいに、みんながみんな、それができれば苦労しないよ……。

 わたしはぎゅう、と自分を抱きしめた。

「あはは! 何それ、やば!」

「でしょでしょ〜」

 村上さんと佐藤さんの笑いだけがトイレ内に響き渡る──小原さんの声は、混じらない。

「莉央、いい加減、テンション上げてよ〜」

 今度は佐藤さんに話を振られ、小原さんはようやく返事をした。

「あ、うん……ごめん。カラオケ、いいね!」

 ──この声の出し方、知ってる。

 辛いのに、苦しいのに、しんどいのに、無理矢理、明るく振る舞うときの、声だ。

 脳内で、またレンくんが言う。

 ──「我慢してるだけじゃ、何も変わらないよ」

 バン!

 わたしはトイレの個室から飛び出た。

 鏡の前で身だしなみを整えていた小原さんたちが、ドアが開いた音に驚いて、一斉にこちらを見る。

 わたしを映す小原さんの瞳には、少しだけ涙がにじんでいた。

「うわ、びっくりした……」

「急にでかい音、出さないでよ」

 村上さんと佐藤さんがわたしを邪魔そうに睨む──当の小原さんは、慌てたように目尻を指でぬぐっていた。

 わたしは村上さんと佐藤さんの視線を無視して、足早に小原さんに駆け寄り、彼女の細い手首をつかんだ。

「えっ!?  なに!?」

 わたしは困惑している小原さんを、力の限り引っ張る。

 スポーツをしていないわたしの力なんて、ちょっと抵抗されたら呆気なく振り解かれてしまうから、全力を出して。

「いいから来て」

「……っ!?」

 わたしの圧に負けたのか、小原さんは黙ってなすがままについてきてくれた。

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