第37話 媚薬(聖女エマ)

 ユニホンブルと共に本邸が全焼した(させた?)為、本邸の新築工事が始まった。

 その間、いまだに辺境に居座っているカテリーナとミアは、南にあった別荘に勝手に居を移した。ここは賓客があった際に宿泊してもらう特別な邸宅で、大きさはそこまで大きくないが、内装は絢爛豪華で、王都の王宮の賓客の間を模倣していた。


「母上」


 エドガーが別荘に足を踏み入れたのは、これが初めてのことだった。カテリーナには、何度となく面会にくるようにとの使いを受けていたが、エドガーはスタンピードからの復興で忙しいとして、面会を断っていた。今回面会にきたのは、ある程度の証拠が揃ったからだった。


「入りなさい」


 主賓の間のドアをノックしたエドガーは、中から嗄れた声に促されて扉を開けた。


 中にいたのは、ベッドに横たわったカテリーナと、その横に座るミアだった。

 カテリーナは、ミアの手を借りて起き上がると、皺の多い顔をエドガーに向けた。まだ五十代にもなっていないのに、七十過ぎの老婆のような見た目で、あの奇病が加速的に進行しているのが見て取れた。

 ミアもすでにを中年女性のような風貌になってしまっている。


 お互いにお互いの様子を見て明らかにおかしいとわかる筈なのに、見て見ぬふりをしているようで、別荘から鏡の類が撤去されたとエドガーは報告を受けていた。


「ちょっと風邪をこじらせて、寝込んでしまっているの」

「そうですか」

「エドガー、王都にいる友人に調べてもらったのだけれど、あなたの結婚は王命だから離婚は難しいと言われたわ。でも、五年間子ができなければ、婚姻不成立を申し立てることができるそうなの。あなたは貴族であの娘は平民だから、あなたからの申し立てだけで受理されるそうよ」


 立ったまま話を聞いていたエドガーの眉がピクリと上がる。

 結婚当初、白い結婚を貫いて、王命で結婚するしかなかったエマを五年後自由にしようと思っていた時期もあった。しかし、エマに惹かれ、エマと心が通うようになり、本当の夫婦になったのだ。二度とエマを手放そうなんて考えはない。たとえ子供ができなくても、婚姻不成立の申し立てなんかするつもりはない。


「でもね、もう一つ手があることを、この手紙で教えてもらったの」

「は?俺はエマと離婚するつもりはないと、すでに母上には何度も話している筈だが」

「まぁ、聞きなさい」


 カテリーナは、ミアの手を借りてベッドから下りると、豪華なソファーに座りエドガーを手招きした。


「ミア、エドガーにお茶を。エドガー、お座りなさいな」


 エドガーはため息をついてソファーに腰を下ろした。


 調査により、カテリーナとミアが魔獣を引き寄せるランタンを購入した証拠を手に入れ、神殿の他の司祭や治癒士などから、カテリーナとミアが神殿で宝石類をばらまき、ユタヤ司祭に取り入っていたと証言が取れた。

 さらには、彼女らが神殿の若い司祭や治癒士などに、いかがわしい関係を強いていたことも聞こえてきたが、これもまた彼女達が患っている奇病を考えると、放置できる問題ではなかった。


「あなたに、貴族子女との間に第一子ができれば、平民との婚姻はその時点で無効にできるそうよ。つまり、ミアちゃんとあなたが子づくりすれば良いってことよね」


 なんて良い提案なのかしらと、カテリーナは浮かれたように手を叩く。


「くだらない。俺の子供を生むとしたら、それはエマしかいない」

「あら?最近は寝室の行き来はないそうじゃない。まぁ、あんな女性らしさもない体型じゃ、あなたがその気にならなくても無理はないわ」


 寝室を分けて行き来していないのは、エマの中身が聖女エマで、エドガーの愛するエマではないからだ。いくら外見が同じでも、エドガーからしたら別人にしか見えず、もちろん手を出すつもりもない。


「気持ちの悪い詮索はよしてくれ。不愉快だ」

「あら、後継ぎの問題は重要だわ。デュボン辺境伯家に嫁いだからには、必ず後継ぎを産まなければならないもの。ミアちゃんちは多産だから、今からだって何人でも産んでくれる筈よ。前の旦那様とは、年が離れすぎていたからできなかったみたいだけれど」

「はい。男爵様はお年のせいで不能でしたので」


 お茶をいれて戻ってきたミアが、エドガーの目の前にティーカップを置き、エドガーにくっつくように隣に腰を下ろした。


「まぁ!再婚とはいえ、乙女のままなんて」

「カテリーナおば様、そんな大声で恥ずかしいです」

「あら、これは大事なことよ。ねぇ、エドガー」


 奇病は粘膜における接触感染だ。いわゆる性病である。口腔も粘膜ではあるが、キスでの感染率はかなり低い。つまり、奇病を発病している時点で乙女な訳がないのだが、この二人は自分達が奇病に罹患しているなど、考えもしていないからか息をするように嘘をつく。


「これを見れば、そんな話をしている場合じゃないとわかるだろう」


 エドガーは、二人がランタンを購入した履歴を突きつけた。


「まぁ。ランタンは神殿の儀式の時に使えるんじゃないかと、神殿に寄付したのよ。まさか、中に魔獣寄せの魔石が入っているなんて思わなかったわ。ユタヤ司祭に指摘されて、初めて知ったのよ。ねえ、ミアちゃん」

「そうですわ。ユタヤ司祭に相談したら、無効化して処分してくださるとお約束いただいたので、お渡ししたんですけれど、まさか下男があれを悪用するなんてね」


 二人は、口裏を合わせて「恐ろしいことをする人もいるものだわ」としらを切る。


「では、しょっちゅう神殿を訪れていたのは?ユタヤ司祭の自室に何度も訪れていたようだが」

「神のお言葉を聞いていたのよ」

「ええ、立派な司祭様ですから、毎回ためになる説法を聞かせていただきましたわ。そのおかげで、私も辺境に骨を埋める覚悟を新たにしましたのよ。若い時は辺境が恐ろしくて、ついあなたの元から逃げ出してしまいましたが、今は覚悟ができました。私達には、この時間が必要だったのですよ」


 膝の上に置いていた手の上に手を重ねられ、エドガーはその手を振り解く為にティーカップに手を伸ばした。

 ミアの手が離れたので、エドガーは一気に紅茶を飲み干した。


「なるほど、説法か。若い神官達と、乱痴気騒ぎをしていたとの報告もあるが」

「まぁ!そんな与太話を信じるなんて愚かだわ」

「そうだ。最近王都から届いた文書なんだが……」


 エドガーは、文書の写しをカテリーナの前に置いた。

 カテリーナはそれに目を通して、驚愕に顔色を無くした。


「カテリーナおば様、何が?」


 カテリーナは無言で文書をミアに渡す。


「何が……これは?!あ……、ではカテリーナおば様は……。私は違うわ。あの俳優とは何も……」

「あなた、ジシンと同じ劇団の若い俳優と関係していたわね。あの子、ジシンが相手しきれない後援者の相手をさせられていたのよ。二人で相手をしてくれることも……」

「じゃあ?!」


 ミアは、今まで目を背けていた自分の手を見つめた。とても二十代に見えないシミだらけの手を。


「嘘よ、嘘!エドガー、私を助けて!そうよ、治癒士に治させればいいわ。おば様、神殿よ!神殿の治癒士を」


 ミアが立ち上がり、カテリーナの横に移動してその手を握り訴えた。


「治癒士にもこの奇病は感染したようだ。元凶となる二方なら、なぜ感染ったかは理解していると思う。この奇病は、かなり高位の治癒力を必要とするらしく、王都にいる治癒士の中でも、この奇病を治癒できるのは数人らしいぞ。辺境の治癒士くらいでは、病気の進行を止めることすら無理だとか」

「そんな……」

「しかも、貴族相手の高級娼婦や男娼から感染した奇病のせいか、王侯貴族に爆発的に感染者が出たらしく、今は王族や公爵侯爵あたりの治癒しか認められていないと聞いている。いくら金をつんでもだ」


 ミアはヘナヘナと座り込み、カテリーナは皺々の手をエドガーに差し伸べた。


「エドガー、あなたの妻は聖女じゃないの。私達を治せるのではなくて?そうよ、あなた、聖女の御業を受けたでしょ。あなたの怪我を、あなたの妻が治したと聞いたわ。騎士の治癒もしたと。あの子ならば治せるのよね?そうでしょ?あなたの妻ならば、私の娘も同然。母親が病気ならば、もちろん治癒してくれるわよね?」


 さっきまで、ミアとの間に子を作ってエマとは婚姻関係を無効にしろと言っていたその口で、エドガーの妻ならば治癒しろと言う。あまりな厚顔無恥さに、血の繋がりを全力で否定したくなる。


「……それには、取り引きが必要だ」

「なに?お金ならば少しは……」

「金じゃない。あのランタンを購入し、ユタヤ司祭に言って辺境に人工的にスタンピードを起こさせたことを認めると、魔法証書の前で証言し、それにサインを。また、王都で裁判を受け、刑に服するんだ」

「あんたは、親を犯罪者にしたいの!」


 カテリーナはフルフルと震え、テーブルをバンバンと叩く。


 それを冷静に眺めていたエドガーは、いきなりドクンと拍動する鼓動に、心臓に手を当てた。


 エドガーは、辺境伯当主として毒や媚薬の類は免疫をつけていた。全く効かない訳ではないが、多少の毒ならば身体は痺れても昏倒する程には効かないし、媚薬なども興奮剤くらいの効果しか出ない。


「何を入れた」

「……」


 お茶をいれたミアを睨みつける。


「このお茶に入れた薬について聞いている。デュボン辺境伯の毒殺を目論んだのなら、さらに罪状が増えるな。良くて流刑だと思っていたが、貴族の殺人未遂ならば死刑もあり得るぞ」

「違うわ!そんなものじゃない。カテリーナおば様に言われて、媚薬を……。本当よ!今、王都で流行っているやつで」


 エドガーは、書面を二人の前に置いた。


「これにサインを。これは魔法効果がかかった証書だ。サインを書いたら言い逃れはできない。書いたら、彼女に治癒を頼んでやろう」


 証書を前にピクリとも動きを見せないカテリーナとミアを見て、エドガーは証書を置いて部屋を出た。

 身体の火照りは次第に強くなり、かなり強い媚薬を盛られたようだったが、エドガーは周りから見たらいつも通り、強面の顔をさらに厳しくさせて北の館へ戻った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る