第35話 ブレスレットに魔力を!(聖女エマ)

「それじゃ、よろしく頼む」

「了解いたしました」


 エドガーは聖女エマの前でシャツをはだけさせ、その逞しい裸体を惜しげもなく晒した。


 聖女エマは緊張したようにエドガーの胸元に手を伸ばし、ゴクリと唾を飲み込む。


 これから、ブレスレットに魔力を貯める為の行為をするのだ。聖女エマの腕には銀色の腕輪がはまっている。すでに、僅かではあるが魔力は貯まっているが、まだまだこんなくらいでは1%にも満たないくらいだ。もっと、もっとしないと、健人の元には帰れない。


 聖女エマはグッと奥歯を噛みしめる。


 健人に会う為なら、こんなことは耐えられる。耐えなきゃいけない。でもやっぱり……。


「怪我の治癒ばかりは痛そうで嫌ですーッ!なんでここの人はスパスパスパスパ斬り傷作るんですか?!」

「しょうがないだろう。騎士団だからな。怪我はつきものだ」


 エドガーはシレッとして言うが、いつもならば模造刀でする鍛錬を、真剣で行うとしたのは、聖女エマに治癒魔法を使わせる為だ。エドガーに至っては、わざと斬られているふしまである。


 騎士達には、本番と同じ危機感を持つ為だと説明してあり、怪我をしてもいいように、神殿から治癒士を派遣してもらってあると、瓶底眼鏡で変装した聖女エマを騎士達に紹介した。だからジャンジャン斬り合えと……、かなり恐ろしい発言までしたとかしなかったとか。


 聖女エマは鍛錬により負った傷だけでなく、万年腰痛や水虫、ちょっと人には言えない類の病気まで治してくれるので、騎士達には大人気だったが、元が頑丈な騎士達だから、聖女エマが大量に魔力を使わなければ治せない生死を彷徨うような持病もなければ、鍛錬で死ぬほどの大怪我を負う騎士もおらず、なかなかブレスレットに魔力が貯まらなかった。


「まだ、ほんの僅かしか貯まっていないな」

「そうなんですよね。毎日、魔力が枯渇する寸前まで治癒魔法を使って、ギリギリ一年かかるかくらいなんですもの。今みたいにほんの数人、しかもただの斬り傷くらいでは……」

「腕の一本でも斬り落とすか?」

「止めてください!伯爵様が言うと、冗談には聞こえません」


 実際、エドガーは冗談など言ったつもりはなかった。


「そうだ、聖女エマは神殿出身だったな」

「まぁ、孤児院も治癒院も神殿経営ですから」

「では、ユタヤ司祭を知っているか?その為人とか」


 聖女エマは、エドガーの胸元の斬り傷を一瞬で治すと、あまり思い出したくない神殿での生活を思い出していた。


 満足な食事も与えられず、朝早くから夜遅くまで奴隷のようにこき使われた孤児院時代。無理難題をふっかけられ、魔力が枯渇するまで魔法を酷使することを要求された治癒士時代。どちらにも神殿の司祭がいて、アレをしろコレをしろと要求してきた。


 貴族出身の光魔法を操る人間に与えられる階級が司祭からで、神殿のヒエラルキーの底辺ではあるが、一般治癒士はこのヒエラルキーにすら所属できないので、一般治癒士からしたら雲の上の偉い人物である。


 聖女とはいえ、孤児院出身のエマからしたら、絶対服従しなければならない相手だと、骨の髄まで叩き込まれていた。


 ユタヤ司祭、聖女エマは彼の下で働いたことはないが、金に汚いことでは有名だった。一般治癒士を物のように使い捨てするとの噂で、ユタヤ司祭がお布施を受け取る為に、魔力が完全に枯渇するまで魔法を発動させられた治癒士が、何名も亡くなっていると聞いていた。


「なるほど……。今回のスタンピードだが、カテリーナ・デュボン前辺境伯夫人と、ミア・ガーネル男爵未亡人がユタヤ司祭と共謀し、魔獣を呼び寄せるランタンを領地内で焚き上げ、故意にスタンピードを起こさせたというのが真相のようだ」

「デュボン前辺境伯夫人とは」

「ああ、俺の母親だ。自分の手駒となるミア・ガーネル男爵未亡人を俺の妻にさせる為、スタンピードの原因をエマになすりつけようとしていたらしい。ユタヤ司祭は、金で仲間にしたんだろう。神殿の司祭が元聖女が悪に墜ちたと言えば、信仰心の厚い領民は、エマを吊るし上げようとするだろうからな」


 エドガーは憎々しげにテーブルを叩いた。


「神殿や王宮には今回の訴状を提出したんだが、神殿はユタヤ司祭を罰することはなく、神殿の下働きの者達に罪をなすりつけた。ユタヤ司祭が処罰されないから、母上とミアもしらをきる始末だ」


 聖女エマは、怒気溢れるエドガーをオドオドと見上げた。


「あなたのお母様でしょ?」

「そうだな。俺が彼女の腹から産まれたというだけなら、彼女は俺の母親だろうな」


 エドガーの突き放したような一言に、聖女エマは口をつぐむ。

 貴族の親子関係が、決して愛情で結びついていないことは知っていた。後継として必要だから、家の繁栄の手段として、親は子供を駒のように扱うのが貴族の普通だった。


「罪は償わせないとならない。それは誰であってもだ」


 エドガーは、きつく拳を握った。もしここにいるのがエマならば、きっとその小さな身体でエドガーを抱き締めたこだろう。


 エドガーは、その厳つい見た目から冷淡な領主と思われがちだが、感情表現が苦手なだけで、実際は平等で思いやりのある人間だった。

 母親に対しても思うところはあったが、辺境伯位を継いでからも、好きにさせてきたし、十分過ぎるくらいの援助も惜しまなかった。

 愛情からというより、義務感から面倒を見ていたというのが正しいが、やはり今回の件はデュボン辺境伯領領主としても、到底許せることではなかったし、許してはならなかった。


「実は、王都である奇病が発生している」


 カテリーナの断罪を話していた筈が、いきなり話が変わって、聖女エマは戸惑いながら返事をした。


「そう……なんですね」

「いきなり老化が始まり、若者であろうと一年とたたずに老人になり衰弱死してしまうらしい」

「そんな話、聞いたことなかったです」


 聖女エマは、一年前にはまだ王都にいて治癒院で働いていたが、そんな患者が運ばれてくることはなかった。


「ああ、いつから流行っていたのかはわからないが、報告があったのはついさっきだ。貴族の間に爆発的に流行りだし、王族にまで発症者が出た為に公になったらしい」

「流行りだしたということは、伝染病ですか?」

「ああ。そのようだ。貴族間には接点はなかったんだが、全員がある娼館の常連だった。しかも、ある一人の娼婦のだ」

「その娼婦は?」

「行方不明だ。若手の俳優の恋人だという話で、その俳優と逃げたのかと思われていたが、その俳優はこの冬の始めから闘病しているそうで、その奇病を発症しているようだ」


 その俳優は、多数のパトロン相手に男娼のようなこともしていたそうで、その男優のパトロンに連絡がきたということだ。


 ちなみに、その娼婦の世話をしていた下女に感染はなかったので、空気感染や飛沫感染ではなく、粘膜接触感染……いわゆる性病の一種とされたらしい。


「えっと……、パトロンに連絡がきたということは?」

「母上とミアはその俳優の主軸となるパトロンだったらしい」


 母親が若い俳優に熱を上げて貢いでいたということも頭が痛いだろうに、死に至る性病にまで感染している可能性があるとは……。


 聖女エマはエドガーに同情を禁じえない。


「その……なんて言えばいいのか」

「いや、むしろ好都合だ。確実にあの二人は発症している。しかし、ただ病で死なせるつもりはない。ユタヤ司祭の罪を証言をしてもらい、また自分達の罪も償ってもらわねば」

「どうやって?」


 エドガーはテーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せた。


「聖女エマの手助けが必要だ」

「私でできることなら」


 エドガーは、あの二人から証言をとる為の方法について、聖女エマに話しだした。

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