第34話 聖女エマの日記(エマ)
元の世界に戻ってきたエマは、まず家に帰り母親の作った夕飯を食べた。
「なによ、健人君とデートだって言ってたから、あんたの分の夕飯なんか作ってないわよ」
母親はそう言いながらも、いつもの手際の良さで夕飯を作ってくれた。久しぶりに食べた母親の生姜焼きは、向こうでは食べれないザ・家庭の味だったから、エマは涙が出そうになったが、それを隠すようにがっついて食べる。
「もしかして健人君と喧嘩でもしたの?あんたの彼氏にしては、珍しく頭が良くて優しい彼氏なんだから、さっさと謝っちゃいなさいよ」
「喧嘩なんかしてないけど、喧嘩しているとしたら、なんで原因が私だって決めつけるのよ」
「そりゃ、あんたは考えるよりまず身体を動かすタイプだからでしょ。元が粗忽なのよ」
エマはブーッと頬を膨らませる。
「まぁ、否定はしないけど。我が親ながら、娘への信頼度が低いよね」
「あら、でも最近は随分とマシになったと思うわよ。やっぱり彼氏の影響かしらね。昔はお猿さんを産んだのかと悩んだ時期もあったけど、最近はちゃんと女の子らしくなったし、あなたがスカートはいたり、お化粧したりしているのを見ると、女の子を産んだんだなって、今更ながらにを実感したわ」
「最初から女子だから」
「わかっているわよ。私があなたのオムツを替えたんだから」
懐かしい母親との会話に、エマは生姜焼きをムシャムシャ食べながら、フリルのエプロンをして家事をする母親の姿を目で追った。
キララという名前をつけたのはこの母親だ。ちょっと少女趣味が過ぎるところもあるが、名前以外に母親の少女趣味を押し付けられたことはない。娘に可愛らしい格好をさせて、髪の毛を編んであげたいという母親の夢をぶち壊して悪かったなとは思うが、母親はいつでもキララの好きなようにしなさいと、髪を短くするのも、ズボンで走り回るのも許してくれた。
記憶喪失になった時も、普通に接してくれていたらしい。そして今も、何か様子がおかしいとは気がついているようだが、見守るというスタンスは健在のようだ。
「ママ、昨日までの私って、どんな感じだった?」
「うん?そうね……、言うなら別人。こういうキララもありなんだって、新鮮だったわね。あなた……もしかして記憶が戻ったの?」
「ううん、全部じゃないよ。なんとなく少しだけ?」
エドガーならば、必ずエマと聖女エマの違いに気がついて、元に戻す為に行動を起こしてくれる筈。聖女エマがこっちで一ヶ月半過ごしたのならば、最長でも同じくらい、魔力をブレスレットに貯めるのに時間がかかるだろうから。
近い将来、聖女エマがこっちに戻ってきた時に、再度記憶喪失になったなんて言ったら、さすがに母親もショックを受けるだろう。だから、なるべく聖女エマに寄せて生活しようと思っていた。その為に最近のキララ(聖女エマ)の様子を仕入れようかと思ったのだが……。
別人と言われてしまうと、どう寄せたらいいのかわからなくなる。明日、聖女エマの人物像について、健人にでも詳しく聞いてみることにした。
「そう。まぁ、焦らなくても問題ないわ。あなたはあなたなんだから」
母親は、どこまで戻ったのかとかは聞くことなく、この話を切り上げた。
「うん。ごちそうさま。じゃあ、部屋に戻るね」
エマが食器を流しに運ぶと、洗い物をしていた母親が自分の部屋に戻ろうとしたエマに声をかけた。
「キララ。あなたはこの一ヶ月……どうだった?楽しく過ごせた?辛いことはなかった?」
母親のいつもとは違う声音に、エマは立ち止まって振り返ると、小さい時によく見せていたニカッと顔全体で笑う笑顔を浮かべた。
「うん!凄く楽しかったよ」
母親にとっては一ヶ月半でも、エマからしたら十ヶ月くらいの出来事だった。その間、こっちの世界に戻りたいなどと一瞬も考えることがないくらい、充実した毎日を過ごしていた。
「なら良かった」
エマの笑顔に、母親はホッとしたように微笑むと、洗い物を再開した。
エマは、そのまま久しぶりに自分の部屋に戻った。
四畳半の狭い自分の部屋は何も変わってはいなかった。小さな学習机も、シンプルなシングルベッドもそのままで、ただ机の上には卓上の鏡と化粧用品が置いてあり、部屋に備え付けのクローゼットを開けると、ワンピースが二着ぶる下がっていた。
そう言えば、向こうでは女子はズボンを履く習慣がなく、例外は女性騎士くらいだった。もしかすると、ズボンしかないこのクローゼットは、聖女エマには衝撃だったかもしれないなと思うと、エマはなんとなくおかしくなった。
(よし、明日は聖女エマが着れるようなワンピースやスカートを少し買い足しておこう)
聖女エマがこっちに戻ってきた時に困らないように、小学生の時からお年玉を貯めていた通帳の暗証番号や使い方をメモし、わかるように学習机の引き出しにしまう。夏服は今買えるが、冬服は聖女エマが買わないといけないから、冬服を買う時の資金にしてもらう為だ。
その時、見慣れないノートが引き出しの中に入っているのを見つけた。
「これって……」
中を開くと、それは聖女エマの日記になっていた。
一番最初のページには、相良キララに対する謝罪の文面があり、自分の異世界での境遇や環境について書いてあった。この異世界転移を行った経緯について読んだ時は、エマは思わず笑ってしまった。
(初夜が怖いって、どんだけ怖がりなのよ)
ちなみに、聖女エマが怖がっていた初夜は、エマがすでにエドガーと済ませてしまっている。
そこで、エマは小さな不安を感じた。
(すでに気持ちいいしかないあの行為に、聖女エマが異世界転移する意義を感じなくなったとしたら?第三王子との結婚は私だってウゲッてなって逃げ出すこと間違いなしだけど、夫がエドガーならあっちにいたくなるんじゃないの?)
エマはさらに日記を読み進めた。
その日にあったことが事細かく書いてあり、聖女エマの心情も書いてあった。どうやら、エマがこちらに戻ってくる可能性を考え、その時にエマが戸惑わないように書いていたらしい。自分の我が儘で、過酷な異世界に放り出してしまったことをひたすら謝っていた。
聖女エマ的には、異世界に転生するつもりだったらしい。身体の転移は時間が足りないから、魂だけでも異世界に渡り、生まれ変わるもんだと思っていたら、キララの魂と入れ替わってしまい、聖女エマも最初はパニクッていたようだ。
(転生って、つまりは聖女エマは自殺したってこと?初夜が嫌過ぎて?ウワァッ、入れ替わって良かったぁ。ってか、向こうのエマの身体に未練がないなら、私が貰っちゃっても問題ないよね?)
自殺とは少し違うのだが、あちらの身体を放棄したことにより、寿命で身体が機能を停止するまで深い眠りにつく予定だったようだ。その身体を、王家がどう扱うか、もしかしたら死亡したと判断され、埋葬される可能性もあったらしい。
(生き埋め?その方が怖くない?)
キララとして生活するようになってから、エマがいつ戻ってきてもいいようにこうして日記を書きながらも、こっちの生活に慣れ、初めて接する両親に対する愛情を感じ、健人に惹かれて行くことにより、聖女エマはかなり葛藤したようだ。
戻りたくない!相良キララとして生きていきたい!
そんな内容がチラホラと見えるようになる。そして、そう切望してしまう自分に対しての大きな絶望。
(私、超幸せだったけど?)
エマは、日記の中のエマに対する謝罪の文面に、残すところなく赤ペンを入れた。
“不幸→私は超幸せだよ”
“過酷な世界→エドがいるから最高!”
“家族とも離れ離れに→素敵な旦那様ができたからオールOK、私の代わりに親孝行よろしく”
“戻りたくない→私もエドの側にいたいよ”
“健人と離れたくない→わかる!!私もエドが恋しいよ”
沢山の赤ペンを入れ、エマも今日あったこと、母親との会話などを日記に残した。
そして、一言書き入れた。
“私はそっちでエマ・デュボンとして生きたい。あなたはこっちで相良キララとして生きてよね”
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます