第33話 その頃聖女エマは(聖女エマ)

「つまり、私は第三王子に婚約破棄されて、デュボン辺境伯に嫁いだ……んですね?」


 目の前には、顔に傷のある厳つい男性がいる。それでなくても迫力のある顔に、さらに眉間に皺を寄せて、その迫力で気が弱い人ならば心臓が止まるんじゃないかというくらい恐ろしい顔になっている。鎧のような筋肉も、彼の威圧感を増していた。


 エドガーが聖女エマの蘇生の魔法で生き返った後、エドガーは本邸もろともユニホンブルを特大の火炎魔法で殲滅した。エマが本邸の人間を全員避難させてくれたからできた力技だった。

 その後、騎士団総出で壊された塀の補修工事をし、その塀の側に焚かれていた沢山のランタンを消して、魔石を無効化することにより、このスタンピードは収束した。


 このランタンを置いた人物の特定は騎士団の急務であったが、今、エドガーが何よりも優先して向き合わなければならないのは、聖女の力を取り戻したエマであった。


 エドガーは、聖女エマと談話室で向き合って座っていた。

 いつもはゼロ距離でくっついていることの多い二人のこの距離に、お茶を運んできたララは不思議そうにしていたが、お茶をサーブする為に部屋の隅に控えた。


 聖女エマは、第三王子との結婚式以降の記憶がないようで、エドガーは今までの出来事を淡々と語った。事実のみ、そこにはエマの感情もエドガーの感情も入れなかった。そして、それを聞いている聖女エマを観察することで、エドガーは聖女エマがエドガーの愛したエマと別人であるという結論に達した。


 いくら記憶をなくしたからといって、性格や思考まで変わるとは思えなかったし、何よりもエドガーの本能が聖女エマをエマと認めなかった。どんな魔法でかはわからないが、エマの器としての身体は同じでも、中身が違う。 


「そうだ。俺はエドガー・デュボンエマ・デュボンの夫だ。で、エマは、俺の妻のエマはどこにいる」

「あ……ぁ、一応目の前に?」


 見た目は何も変わらないエマであるというのに、エドガーは目の前にいるエマはエマではないと言い切っている。


 エドガーの鋭い目に睨まれ、聖女エマは青くなって震え上がった。


「ひぃ~ッ!すみません、すみません、すみません。でも私が本当のエマ・ブランジェなんです」


 エドガーの視界になるべく入らないように、聖女エマは小さく丸まった。


「ハァ……今はエマ・デュボンだ。では聞き方を変える。昨日まで俺の妻だったエマはどこへ行った」

「……彼女は、元の世界に戻ったかと」

「どうやれば戻れるんだ」


 聖女エマはポケットに入れておいたブレスレットを取り出した。


「これは……エマのブレスレットか。しかし、色がまた変わったな」

「前は何色でしたか?」

「最初はこれみたいな銀色だったが、赤茶けてきていた筈だ」

「赤……なるほど、デュボン辺境伯のオーラの色ですね。では、ここに貯めた魔力は、デュボン辺境伯様の魔力だったんですね。でも……どうやって?この魔導具は、放出された魔力からほんの僅かの魔力を取り入れることができるんです。私の場合は、治癒魔法を使うことにより、放出した魔力の余剰分が吸収される感じでした。まさか、この身体に攻撃魔法を使ったんじゃないですよね?」

「妻を攻撃する夫はいないだろう」


 エマがエドガーの魔力を受け取ったとすると……所謂夫婦の営みしか考えられず、まさか「おまえの身体を何度も抱き潰したからだ」とも言えずに、エドガーは不自然に咳払いをすると言葉を濁した。


「まぁ、夫婦だからな……。それより、それに魔力を貯めると、異世界からエマを呼べるのか」

「呼べるというか、私の魂とあっちの世界のキララの魂を入れ替えられるんです」

「キララ……、そうかキララがエマの本当の名前だったか」

「今は私の名前でもありますけどね。私は向こうではキララとして生きてましたから」


 聖女エマは、自分のことを「キララ」と呼んでくれた、優しい黒髪の男子のことを思い出していた。怖がりで痛がりのキララに寄り添ってくれるだけでなく、彼のオーラは穏やかな春の日差しのように心地よかった。


 こっちの人間は、良くも悪くも個性が強く、オーラもギラギラと色んな色が混ざって自己主張が激しいが、向こうの世界は魔力がないせいか、皆ただの白いオーラなのだ。人により、トゲトゲしていたり、不必要に波打っていたりと形は様々なのだが、健人のオーラはキララには居心地が良かったのだ。


 最初は彼のオーラに惹かれた。何もわからない世界で、聖女エマにとって彼の側にいると安心できたから。健人のオーラにもっと触れていたいと思った。

 健人に好きだと言われた時、彼に抱き締められた時、素直に嬉しいと思えた。健人ととはまだキスしかしていないが、健人とならば怖い初夜も迎えられると思えるくらい、健人を愛し信用していた。

 エマ・ブランジェという名前を捨て、相良キララとして生きたいと思うくらいに。


「エマ……いや、キララか?ややこしいな。とにかく俺の妻のエマを返してくれ。頼む」


 エドガーが頭を下げると、聖女エマはワタワタと慌てた。

 聖女とはいえ、元は平民の孤児だ。治癒士として働き、貴族の怪我や病を治した時でさえ、貴族達からは感謝の言葉もなく、神殿に多額のお布施をしたことにより当然受けられる権利だと、ふんぞり返る貴族がほとんどだった。貴族とはそんな人種で、平民なんかゴミカスくらいにしか思っていないと思っていたから、まさか平民に頭を下げる貴族がいるなど、考えてもいなかったのだ。


「いや、私もなんとしてもあっちに戻りたいですから。でも、本当にいいんでしょうか?私は、こっちにはなんの未練もありません。逆に向こうの世界には未練しかないです。でも、キララさんは、向こうには家族や友達もいるし、やりたいこともあったみたいなんです」

「それは、エマが……いや、キララがこっちには戻りたいと思わないかもしれないということか」


 エドガーの顔が苦悩に歪む。


「私にはキララさんの気持ちはわかりませんが、彼女は私の我が儘に振り回されただけですから。今回、私がこっちに戻ってきたということは、キララさんが戻りたいと願ったからですよね」

「いえ!エマ様に限って、伯爵様のお側を離れることを望む筈ないです」


 それまで黙って控えていたララが、とうとう我慢できずに口を挟んだ。


「エマ様、気持ち悪いくらいに伯爵様のストーキングしてたんですよ?獣人のふりして騎士団に入ったのだって、働く伯爵様を合法的に眺めたいからだし、伯爵様が討伐に北の森に行ってしまった時は、人間の目で見える訳ないのに、毎日北の塔に登って伯爵様のいる方角を見て、伯爵様ロスを紛らわせていたんですから」

「いや、俺だってできることなら、毎日毎時間いつだってエマ……キララを見ていたいと思うぞ」

「お二人はお似合いのバカップルですから、それは好きになさればいいんです。それくらい伯爵様にハマっていたエマ様が、伯爵様のいない世界に戻りたいなんて、絶対に思わないですから。エマ様の専属侍女の私が断言します!」


 ララの強気な発言に、それこそ聖女エマは真っ青になる。


 一介の侍女が、雇用主の会話に乱入してくるなど、聖女エマが知っている王都にいる貴族なら、鞭打ちした上で紹介状も出さずに解雇するだろう。この筋肉達磨みたいな辺境伯に、まだ子供にしか見えない侍女が殴り飛ばされる様を想像し、聖女エマは震え上がった。


「……そうだな。それに、もしどうしても戻りたいのなら、またこのブレスレットに魔力を貯めればいいんだろう?こっちに残りたいのか、向こうに残りたいのかは、キララに聞かないことにはわからないしな」

「エマ様なら、絶対にこっちですよ」


 ララの言葉に励まされたように、エドガーは再度聖女エマに頭を下げた


「聖女エマ、どうか頼む。そのブレスレットに魔力を貯めてくれ」

「そりゃ、私だって向こうには戻りたいですけど、本当に良いのでしょうか?」

「ああ。もし万が一キララが元の世界に戻りたいと言ったら、ちゃんと戻り方は伝えるつもりだ。あなたもそのつもりで心づもりしてもらえると助かる」


 聖女エマは覚悟を決めたように頷いた。


「わかりました。私も、向こうにいる大切な人にお別れも言えませんでしたし、もう一度入れ替わりましょう。でも……、私のやり方だと最低一年かかるんです。毎日魔力が枯渇するギリギリまで治癒魔法を使えば、十一ヶ月くらいには短縮できるかもしれませんけど」

「え?でも、エマ様がそのブレスレットつけてからは三ヶ月くらいしかたってませんよ。三ヶ月でなんとかなりません?」


 ララが会話に乱入しても、聖女エマはもう驚かなかった。どうやらこの辺境伯は普通の貴族とは違うみたいだと理解したし、彼がエマのことを考えて話す時のオーラは、混じり気のない澄んだ赤いオーラで、厳ついその容姿に似合わず、その穏やかな波長は健人に通じるところがあったから。


「もし、そんなに短縮できる裏技があるのなら、私も聞きたいです。というか、私もできるだけ早く向こうに戻りたいし、キララさんがどうやって魔力を貯めたか教えてください」

「ウッ……それは」


 エドガーが言葉につまっといると、ララがケラケラと笑い出した。


「やですよ、聖女様って初心なんですか?男女が魔力交換するって言えば、アレしかないじゃないですか」

「アレ?」

「セ○クスですよ」

「エエッ?!」


 エドガーは右手で目を覆い、聖女エマは唖然として口をポカンと開けたまま硬直した。

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