第5章 入れ替わり

第32話 ここはどこ?私は誰?(エマ)

「……キララ、キララ、キララ!」


 頬を叩かれ、エマはうっすらと目を開いた。

 頭はガンガン割れそうに痛いし、視界がグルグルしていて気持ち悪い。


 目の前いっぱいに、黒髪黒目のヒョロッとした男子がいて、ビックリしたエマは起き上がろうとして、男子に頭突きをかましてしまう。


「ィッタァ……。キララ、どうしたの?でも、良かったぁ。急に倒れるからどうしたのかと思ったよ」


 男子は額を擦りながらも、ホッとしたようにエマに手を差し出した。男子の顔は、所謂醤油顔というやつで、見慣れた日本人の顔をしていた。辺りを見ても、公園だろうか?遠くにビルが建ち並んでいる。

 エマは公園のベンチに横になっていたようだ。


(ここは、日本……)


 自分の手を見てみると、あのほっそりとした真っ白い手ではなく、やや黄ばんだ馴染みのある手だった。身体も服装も……いや、この洋服に見覚えはないけれど、あっちのドレスのようなワンピースではなく、軽やかなシフォンのエマならば着なさそうな上品なもので、エマのキャラとは少し違う。しかも、起き上がる時、髪の毛がサラリと流れて視界に入った。小さい時からショートカット一択だった髪の毛が、肩より少し長くなっているではないか。


「鏡……鏡ある?」


 男子は、いかにも女性物という鞄を差し出してきた。


「キララの鞄の中に入ってるんじゃないかな?」


 通常化粧をしないキララは、鏡なんか持ち歩く習慣はない。自分の鞄だと言うのならと、エマは鞄をあさる。中には、見慣れた財布とスマホ、見慣れないハンカチに化粧ポーチが入っていた。

 化粧ポーチを開けると、可愛らしい鏡が入っていたので、自分の顔を写してみた。


 整えられた髪の毛は、明らかにちゃんとブローしてあるし、薄化粧ではあるがファンデーションを塗ってしっかり化粧している。


 そして顔……、奥二重はくっきり二重になっていた(ア○プチか?)が、それ以外の素材は相良キララそのものだ。化粧でかなりいい感じにカバーされてはいたが。


「キララ、どうしたの?まだ具合悪い?」


 男子がエマの横に座り、肩に手を回してくる。


「ちょっと!触らないで!ってかあなた誰よ?!ここはどこ?!」

「キララ、どう……。え?僕だよ?吉田健人。もしかして、また記憶喪失になっちゃったの?」


(吉田健人なんて知らないし、記憶喪失?しかもまた?)


「……ごめん、多分記憶喪失じゃなくて、記憶が戻ったんだと思う。で、記憶喪失の間のことを覚えてないみたい。ちなみに、今は何年の何月何日?」

「今は2023年8月10日だよ。え?どういうこと?」


 夏真っ盛りじゃないか、どうりで暑い筈だ。気持ち的にはまだ寒い初春だったのに、いきなり呼吸するのも暑い季節に放り込まれて、気持ちと身体のバランスが取れずにパニック状態だ。いや、今の状況だけでも十分パニックだけれども。


 記憶にある最後、日本人としてのキララの記憶は梅雨だったような。6月終わり?

 まだ一ヶ月半しかたって……って、大学のテストはどうなった?!

 まだテスト勉強はしてなかったけど、7月中頃にテストがあった筈だ。いや、今はテストはどうでもいい。


 あちらでは八ヶ月くらい過ごした記憶があるが、こちらでは一ヶ月半しかたっていないのは何故かとか、何故急に日本に戻ってこれたのかとかわからないことは沢山あるが、とりあえずは現状を把握しないとならない。


「あなたは、私が記憶喪失の間に知り合ったんだよね?とりあえず、私が何をどうしていたのか、教えてもらえないかな?」

「本当に僕のこと覚えてない?」

「ごめんなさい、全く!」


 健人は頭を抱えて、見るからに意気消沈してしまう。しかししばらくたつと、意を決したようにエマに向き合った。


「僕は吉田健人。二十一歳。大学生だ。君とは6月終わりに知り合って……というか、ひき逃げにあって死にそうになっていたところを、君の不思議な力で助けてもらったんだ」

「不思議な力?」


 健人は腕のギブスを示した。


「この骨折も、本当はもっとグチャグチャだったんだ。他にも多分内臓とかも破裂してたんだと思う。でも、君が僕を治したんだよ。全身が痛くて、あぁもう死ぬんだなって思った時、君が僕の手を握って何か呟いたら、パーッて周りが光って、僕の怪我はこの骨折以外治ってたんだ。かわりに君は昏倒してしまったけど」


 それは、聖女の力……?

 健人の傷を治したのは間違いなく聖女エマだ。ということは、エマとキララは生まれ変わりとかじゃなくて、魂のレベルで入れ替わっただけの他人?


(じゃあ、あちらの世界にはちゃんと聖女エマが戻ったとしたら……)


 エマの目から涙が溢れると、それは止まることなく号泣になった。


「キララ?キララ!」


 健人が顔を覆って号泣するエマの前で、抱き締めて慰めていいのか悩んだように、手を彷徨わせてオロオロする。


(良かった……良かったよーッ!)


 今でもエドガーの冷たい唇の感触が唇に残っている。あの押し寄せるような絶望……。

 聖女エマが向こうに戻ったのなら、目の前で死にゆく人間をそのままにはしないだろう。慈愛の聖女とやらの恥ずかしい二つ名を、存分に実行に移してくれると信じたい。


「ごめん。ちょっと感極まった。そ……それで、その後は?」


 エマは流れる涙を腕でゴシゴシ拭うと、化粧がすっかり落ちでしまったのも気にせずに健人に顔を向けた。


「僕達が道路に倒れているのを目撃した人が救急車呼んでくれて、運ばれた先で君が記憶喪失だと診断されたんだ。持っていた荷物の中に学生証と保険証があったから、君の名前や住所はすぐにわかったよ。まさか、僕の怪我を治して記憶喪失になった……なんて言っても、誰も信じてくれないだろうから、交通事故に巻き込まれてって話にしておいたんだ」


 賢明な判断だ。

 聖女が現れて治癒魔法で治してくれました……なんて話したら、頭を打ったんだろうと精密検査されること間違いなしだ。いや、中二病扱いされて、スルーされるかもしれない。


「病院で二日検査入院したんだけど、そこで君とは仲良くなったんだ。君には感謝しかなかったし、君が僕のせいで記憶喪失になったのなら、記憶を取り戻す手伝いをしたいと言ったら、この世界のことは何もわからないから教えて欲しいって言われて。アハハ、まずトイレの仕方を教えて欲しいって切羽詰まったように言われたよ」

「そ……それはご迷惑おかけしました」


 異性になんてこと……。いや、知らなきゃ生活できない大事なことだけれど。


「記憶喪失の君とは、ほぼ毎日会って、色んなところへ行ったんだよ。君は凄く好奇心旺盛で、見る物全てが初めてでワクワクするって言ってたっけ」


 懐かしむように言う健人は、優しげな視線をエマに向けた。

 エマも、鈍感ではないから健人の感情に気がつく。


「私は……あなたと付き合ってましたか?」

「うん。二週間前からかな。僕から告白したんだ。君は、嬉しいって泣いてくれたよ」


 健人の手がエマの手をそっと包んだ。エマは、その手を受け入れることはできなかった。

 エマだって、向こうで好きな人を作り、自分の意思ではないとはいえ結婚までしているのだから、こっちで聖女エマがキララとして恋人を作ったことに文句なんかない。

 ただ、それは聖女エマであってエマではないのだ。エマが好きなのはエドガーで、他の男子が入る隙間なんかこれっぽっちもないのだから。


「ごめんなさい!」

「え?」

「あなたが好きになったキララは、私とは別人なの。私には人を治す超能力なんかない。あれは、聖女エマであって私じゃないの」


 エマは、自分に起こった出来事を健人に話しだした。聖女エマの治癒魔法を体感したのならば、きっと信じてくれると信じて。


 健人は、一言も口を挟まずにエマの話を聞いていたが、エマが話し終わると、その瞳に困惑の色を浮かべながらも、状況を受け入れたようであった。


「じゃあ……僕のキララは今はどこにいるの?」

「元の世界だと思う」

「二度と……会えないのか」


 エマは、ブンブンと首を横に振る。そんなことはエマだって耐えられない。エドガーに二度と会えないなんて、想像もしたくない。


「この転移を起こしたのは、多分あのブレスレットだと思うの。魔力を貯めるものだってことしかわかっていなかったけど、あれ以外に考えられない。私は向こうでも魔力はなかったけど、エドの魔力を貯めていたようだもの」

「エドって、向こうの旦那さんだよね?その魔力をどう貯めたの?」


 エマは、ある仮定を立てていた。銀色だったブレスレットが、エドガーと愛し合うことで、赤茶けた部分が増えていった。最初は錆たのかと思っていたが、錆よりはもっと綺麗な赤だったし、エドガーとHしない時は何の変化もなかったから、つまりはHすることでエドガーの魔力を貯めていたんだと思う。


 まさか、Hすることで貯めました!なんて言えないから、ここは曖昧に笑って誤魔化す。


「ブレスレットが魔力を貯める魔導具だってのはわかってたんだけど、なんの為に貯めてるのかはわからなかったの」

「そんな、訳わからないもの、よくはめてたね」

「はめてみたら外れなくなったんだもん。まぁ、害がないからいっかって放置してたんだけどさ、最初は銀色だったのが、どんどん赤茶けていったから、エドの魔力をチャージしてたのね。だって、エドの髪色みたいで綺麗な赤になっていったし」

「害はなくても、何もしなくて色が変わるなんて、十分におかしいじゃないか」


 あまり物事に頓着しない様子のエマを、健人は呆れたように見ていたが、ちょっと神経質なくらい周りの変化に敏感で、痛がり怖がりだった健人のキララとは別人なんだと痛感してしまう。


「魔法がある世界だからね、そんなもんかなって。でもさ、多分あのブレスレットに魔力が貯まると、転移の魔法が発動するようになるんじゃないかな。だって、あっちで最後に私、エマ・ブランシェに戻ってこいって、強く願ったらブレスレットが光って……で、今に至る訳だし」

「は?じゃあ、君がキララをあっちに戻したのか!いや、君は元はこっちの人間だし、戻りたかったのはわかるけど……」


 恋人を奪われたのだから、エマを責めたい気持はわかる。それでも、エマの事情も考えて、怒りを鎮めようとしているのは、健人という人物が本当に良い人だからなんだろう。


「戻りたくなんかなかったよ。いや、別にこっちが嫌だったとかじゃないし、こっちでやりたいこともあったけど、こっちにはエドがいないからね」

「じゃあなんで?」

「エドが死にかけたから。私じゃ、エドを助けられないもん。聖女じゃないから。だから、私はこっちに戻ってきたことを後悔はしない。まさか、また入れ替われるなんて思ってもみなかったけど、もしわかっていても、同じことをしたと思う。……ごめんね。あなたから聖女エマを引き離すことになっちゃって」


 それに、エマはまだ諦めてはいなかった。聖女エマにこちらの世界で恋人ができていたということは、彼女が再度あのブレスレットを使う可能性があるかもしれないから!



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