第31話 エドガーの死……からの

「ちょっと!起きて!起きてくださいよ」


 エマは遠慮なくミアの頬を思いっきり叩く。


 どんどん近寄ってくる小山ユニホンブルの真正面で、現実逃避して気絶する旦那様の元婚約者。放って置いたら確実に踏み殺される状況で、さすがに放置はできない。一応騎士団の一員だし、民を守る義務が……なんて考えている余裕はない。


「起きてよ、起きて!」

「……うん……何よ痛いじゃないの!」


 ミアは、エマの気迫のこもった平手打ちで、なんとか気を取り戻してくれた。しかし、彼女のいた位置が悪かった。目覚めて真正面にユニホンブルを目撃してしまったミアは、パニック状態になり、あろうことかエマをユニホンブルの方へ思い切り突き飛ばしたのだ。


「えっ……」


 踏みとどまろうとしたエマだったが、足元にあった石に足を取られて転んでしまう。しかもその際に盛大に足を捻ってしまった。ついでに手をついた為、手首までズキンズキンしてくる。


 ミアはエマを突き飛ばしたことなど意識にないようで、悲鳴を上げながら這うようにして逃げ出した。エマは痛む足を庇って立ち上がろうとするが、立ち上がることも難しかった。もう……すぐ目の前にユニホンブルが迫り、涎が滴るその牙の餌食になるのか、太くゴツイ角に貫かれるのか、それともあの固い蹄に踏み潰されるのか……。


「エド、ごめん!」


 屋敷を出るなと言われたのに、言いつけを破ったばかりか、今、まさに死に直面している。

 頭によぎるのは、エドガーと過ごした辺境での生活だ。


(嫌だ!まだエドの素晴らしい筋肉を堪能し足りないの!!)


 エマはギュッと目をつむり、これからやってくるだろう衝撃に覚悟を決めた。


 しかし、その衝撃はやってこない。


 恐る恐る目を開けると、目の前いっぱいに逞しい背中が見えた。

 小山程あるユニホンブルの牙を両手でガッチリ掴み、塀も壊した破壊力のある突進を、たった一人で押さえているのだ。


「エド!!」


 そこにいたのは、魔法で身体強化したエドガーだった。エドガーの魔法は強力過ぎて、魔法を発動すると魔獣を倒すだけでなく、辺り一面被害甚大になる為、魔法攻撃ができなかったのだ。


「エマ、北の塔へ避難だ」

「う……うん」

「急げ!」


 エマは痛む足に力を入れ、なんとか立ち上がる。ズキズキする足に目眩を感じながら、一歩踏み出そうとして、あまりの激痛によろけて倒れてしまう。


「エマ!」


 エドガーは凄まじい腕力でユニホンブルを引き倒すと、慌ててエマの元に走り寄ってきた。


「ごめん、ヘマした。足捻っちゃって……手も」


 エドガーは、エマの怪我に響かないように横抱きにした。

 そのまま北の塔へ向かおうとした時、エドガーが倒したユニホンブルが起き上がり、エドガーに向かって角を突きつけ頭を振ってエドガーを空中に放り投げた。


 エドガーはエマを抱きかかえたまま一回転し、地面に足から着地する。


「走るぞ」


 エドガーはエマを抱える腕に力をいれ、北の塔へ走る。ユニホンブルは、エドガーを自分で跳ね上げた癖に、それによりエドガーの姿をロストしたようで、怒り狂ったまま本邸へ向かって体当たりしていた。他のユニホンブルもそれに続き、本邸はあっという間に半壊してしまった。

 北の塔に避難したエドガーは、エマを抱えたまま扉を閉めると、その扉に寄りかかった。


「エド、下ろしてくれて大丈夫だから。支えられれば歩けると思うし」

「……」

「エド?」


 無言のままのエドガーを不審に思ったエマは、エドガーの肩をタップした。


「坊ちゃま!!」


 いつもは「伯爵様」と呼んでいるセバスチャンが、血の気の引いた顔で走り寄ってきた。


「なぜこんな傷を!」


(傷?)


 セバスチャンがエドガーの手からエマを抱き取ると、エドガーは扉に寄りかかったままズルズルとしゃがみこんだ。


「エド……?エド!」


 エドガーの脇腹が、あり得ないくらい抉り取られており、足元には血溜まりができていた。

 さっきのユニホンブルの角は、エドガーを軽く引っ掛けて跳ね上げたように思われたが、実際はエドガーの脇腹に刺さり致死傷を与えていたのだった。


 エマはセバスチャンの手から下りると、足の痛みなど無視してエドガーに縋りついた。


「エド……エド……、いや、やだ、やだ!」


 エマはボロボロ泣きながら、傷口を押さえて止血しようとするが、止血して治るレベルの傷ではないことは、誰の目にも明らかだ。


「止まらない……止まらない」

「エマ…………大丈夫……だ……泣くな」


 エドガーはゆっくりと手を上げ、エマの肩に置いた。いつもの力強さのない弱々しいその様子に、エマはその手を握り、胸に抱え込む。


 セバスチャンは治癒士を呼んでくると言うと、魔獣が走り回る中に飛び出して行ってしまった。


「治癒士……、なんで私に魔力がないの?!治れ、治れ、治りなさいよ」


 この身体は、蘇生まで可能な聖女のものではないのか?


 エマはエドガーの血で手を真っ赤に染めながら、ひたすら「治れ!」と繰り返した。


「……エマ、キスがしたい」


 エドガーの手が彷徨うように上がり、エマの輪郭を確かめるように顔をなぞる。


「見えて……ないの?」


 エマはその手のひらにキスを落とすと、エドガーの唇に唇を重ねた。

 いつもは温かいエドガーの唇が、信じられないくらいヒンヤリと感じた。エマは熱を移すように舌を差し入れ、エドガーの舌に触れる。エドガーはエマの舌に舌を絡めたが、すぐに反応がなくなった。


「エド……!なんでここにいるのが私なの?!聖女なんでしょ?戻ってきなさいよ、エマ・ブランシェ!」


 エマが叫ぶと、エドガーの血で赤く染まった手が光り輝いた。いや、光ったのは、エマの手首にはまった赤茶けたブレスレットだった。今はエドガーの血で全体が赤くなったそれは、光が収まると共にエマの手首から外れ落ちた。


「……な、なに?ヒーッ、死んでる?死んでるの?やだやだ、怖い!治れ、治りなさい!万物の神の〜中略〜蘇生!!」


 エマが詠唱すると、エマの全身が白く輝き、その光はエドガーを包み込んだ。エドガーの抉れた脇腹が、みるみるうちに再生されていく。内臓も筋肉も皮膚も元通りになると、青白かった頬に血色も戻った。


「はぁ……良かった、生き返った」


 エマがホッとして腰を抜かして後ろに手をつくと、あまりの激痛に声にならない悲鳴を上げた。自分の身体に意識を向けると、右手首と左足が拍動するように傷んだ。エマは素早く詠唱して怪我を治した。そして、床に落ちていたブレスレットに気がついて拾い上げた。

 

 これが落ちているということは、なんなかの方法でブレスレットに魔力が貯まり、異世界とのゲートが開いて、異世界にいるエマとキララの魂が入れ替わったのだろう。


「…………エマ?」


 さっきまで目を閉じていたエドガーが目を見開き、自分の脇腹に手を当てる。そこは団服は破れているが傷痕すらなくなっていた。


「坊ちゃま!治癒士を……」


 あのユニホンブルの群れが爆走する中、どうやって神殿までたどり着いて治癒士を連れてきたのかはわからないが、セバスチャンがヒョロッとした治癒士をおぶって北の塔へ走り込んできた。


「坊っ……伯爵様お怪我は?」

「あ、治癒士の方を連れていらしたんですね。すみません、目の前に怪我人がいたので、先に治させていただきました。手柄を奪おうとかじゃないんですよ。この方、亡くなってましたし、普通の治癒ではどうにもならなかったと思いますし」


 エマがオドオドと言い、怒らないでくださいとばかりに見を縮こまらせる。


「え?亡くなっていたのを蘇生なさったんですか?そんな奇跡、聖女しか無理なのに……」

「はい、私、聖女エマ・ブランジェです」


 治癒士の言葉に、エマは笑顔で自己紹介する。エマ・ブランシェ、婚姻前の名前で。


 そう、ここにいるのはエマ・ブランシェ。慈愛の聖女だった。


 ☆★☆第四章 完☆★☆











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