第30話 特大スタンピード

「……という会話をしながら、前デュボン辺境伯夫人とガーネル男爵未亡人は神殿に入っていきました」


 イリアの報告を、エドガーはエマを膝に抱っこしたまま受けた。


「なんてことを……」


 正真正銘血が繋がった母親の愚行に、エドガーの眉間の皺が深くなる。


「すみません、神殿には入れなかったので、中で何が話されたかはわからないのですが」

「いや、十分だ。母上と神殿が共謀して、今回のスタンピードを起こしたことがわかったんだから。このままだと、十年前と同じで、大スタンピード化してしまう可能性もある」

「十年前の大スタンピード」


 エマは、エドガーの顔の傷に触れた。十年前、エドガーは父親を失い、自身は顔に大きな傷を負った。領地でも、沢山の人間が死に、街はめちゃくちゃにされたらしい。

 北の森と街を区切るデュボン辺境伯邸のあの高い塀も、昔はもう少し低く、十年前には魔獣の侵入を許し、さらには王都への進行も許してしまったらしい。それを踏まえて、あの高い塀を北の森との境に作ったのだそうだ。


「大丈夫。そうならないように、明日からの討伐で完全に沈静化してくる。さすがに魔獣寄せのランタンを使ったことを指摘したんだから、もう使うことはないだろうしな」


 エドガーは、自分の母親の性質を見誤っていた。また、カテリーナにギャーギャー言われた神殿側が、残ったランタンを全部焚こうとしているなど、思いもよらなかったのだ。


 エドガーに抱きついてハグしたエマは、窓の向こうにくゆる煙に気がついた。


「あれ……なんだろう?」


 北の森に近い所に住んでいる領民はほとんど避難してきている筈だし、人がいない街の外れに煙とか、まさか火事?!


 エマがエドガーの顔を両手で挟んで、無理やり窓の方へ向けた。


「エド、エド、火事!」

「火事?!いや、あれはまさか……」


 エドガーはエマを抱き上げて立ち上がると、エマを自分が座っていた椅子に座らせた。


「イリア、エマから離れるな。エマ、屋敷から絶対に出るなよ」


 壁にかけてあった剣を腰に下げ、エドガーは執務室を飛び出していった。


「いったい何が……」


 エマは窓際に立って外を見つめた。


「……エマ……様、あれ……」


 エマの後ろから窓の外を見ていたイリアが、驚愕の声を上げた。

 その視線の先には、木々をなぎ倒して突進してくる巨体の群れがあった。それは、真っ黒い剛毛に全身覆われ、額に一本鋭く長い角があり、口からもサーベルタイガーのような牙が二本、口は大きく避け涎を巻き散らかしていた。

 足は短く太く速く、走るというよりも、突進して獲物に体当たりして仕留めるタイプらしく、前に何があろうと猪突猛進、がむしゃらに前進している。


「ユニホンブルが群れをなすなんて」


 あの大きな魔獣はユニホンブルと言うらしい。それにしても、一頭が小山くらいある。かなり遠くにいる筈なのに、その姿を確認できるくらい大きい。


「あの角で塀を壊したのかな」


 エマの一言で、イリアがハッとしたように表情を変えた。


「大変!他の魔獣達も領地内に入ってくる!避難しないと」


 魔獣の侵入を阻止する塀が壊された今、安全な場所などありはしない。屋敷に籠城したとしても、ユニホンブルの突進の前には無意味だろう。

 瓦礫の下敷きになるか、ユニホンブルに踏み殺されるか、はたまた肉食の魔獣の餌になるか……。


「領民をまず避難させないとだね」


 どこが一番被害を受けにくいか考える。


「エマ様、ユニホンブルは一度走り出すと直進しかしません。あの角度から直進するとなると、本邸直撃です。北の塔が一番進路から離れてます」

「じゃあ、領民を北の塔に誘導すればいいね。イリア、残っている騎士達に声をかけて、領民達を北の塔に避難させて。私は本邸へ行って、避難するように行ってくるから」

「エマ様!それは私が!エマ様はまず避難してください」

「本邸には、エドのお母さんがいるんだよ。ここは恩を売っておくべきじゃない?じゃあ、よろしく!」


 エマはニッと笑うと、ヨロヨロとではあるが走り出した。こんな時に、腰が痛いだ膝がガクガクするだなんて言ってられない。


 エマは本邸に走りながらも、途中で会う人達に北の塔へ避難するように叫ぶ。エマが本邸にたどり着き、その扉をガンガン叩いた。


「魔獣が来ます!避難して!誰か!扉を開けて!」


 鍵が開く音がし、扉が小さく開かれて若い侍従が顔を出した。


「塀が魔獣に壊されたの。ユニホンブルの群れが本邸目指してるわ。すぐに北の塔へ避難を!」

「は?」

「魔獣が来るの!スタンピードよ」


 エマは扉を大きく開き、遠くに小山のように見えるユニホンブルを指差す。侍従は状況を理解したようで、サッと顔色を青くした。


「ほら、さっさと……って、ちょっと、どこ行くのよ!」


 侍従は、叫び声を上げながら本邸から飛び出した。侍従が向かったのは馬房で、エマの静止も聞かずに裸馬に飛び乗り、馬も魔獣の気配を感じていたからか、侍従を乗せたまま、一目散に駆け出した。


「アーッ、もう!」


 侍従を追いかけて馬を取り返すよりも、本邸にいる人間を避難させる方が先だ。


「塀が壊れて魔獣がやってきます!北の塔へ避難してください!他の人にも伝えて」


 エマは本邸に上がり込むと、かたっぱしから声をかけていく。最初は信じなかった侍従や侍女も、窓から小山のようなユニホンブルを見て、慌てて逃げ始めた。皆が我先にと逃げ、誰も雇い主であるカテリーナ達を気にする者はいない。


「騒がしいわね。何事よ」


 カテリーナが、ミアを引き連れて階段の上に現れた。

 そこでやっとカテリーナの存在を思い出したのか、一人立派な執事服を着た若者が階段を駆け上がってカテリーナの前に躓いた。


「奥様!スタンピードです!」

「知ってるわよ。そんなことを一々報告しないでちょうだい」

「いえ、ただのスタンピードではないんです。魔獣が……ユニホンブルが塀を壊して、こちらに向かって直進しているんです!」

「……なッ」


 大きく開かれた玄関扉から表が見えたのか、ミアが気を失い階段を落ちそうになるところを、若い執事がなんとか踏ん張って支えた。


「な、な、な、何でこんなことに!」


 カテリーナも真っ青になり、扇子を手から落とした。


「とりあえず、ここは進路的なユニホンブルが直撃します!北の塔へ避難を!」


 エマの叫び声に、カテリーナは我に返る。


「シャルル、ミアを抱えなさい」

「私がですか?!」


 若い執事はシャルルという名前らしく、そのヒョロヒョロの腕ではミアを支えるのが精一杯のようで、抱え上げるのも無理そうだった。


「早くなさい!」

「いや、でも、これは……」


 カテリーナと二人がかりでミアをなんとか抱えようとするが、気絶した人間はそれでなくとも重い上に、かさ張るドレスを着ている為にさらに重量がある。

 他の侍従は我先にと逃げ出し、誰も手伝いにいかないから、しょうがなくエマが階段を登って手伝いに行く。しかし、カテリーナ達を素通りし、エマは手近な部屋に入った。客間のベッドからシーツを引っ剥がすと、それを持ってカテリーナ達の元に戻る。


「これに乗せて。そしたら三人で運べるでしょ」


 シーツを広げて、その上にミアを転がして乗せた。さすがに起きるかなと思ったが、それでもミアは気絶したままだった。

 完璧に持ち上げるのは無理だったので、シャルルと二人、両端を持って引きずるようにミアを運んだ。かなり色んな場所をぶつけた筈だが、やはりミアは起きなかった。もしかしたら、頭をぶつけてさらに気絶した可能性もあるが、あそこにおきざりにしてユニホンブルに踏み潰されるよりはマシだろう。


 本邸を出た時、ユニホンブルの赤くて小さな目が見えるくらい、ユニホンブルは本邸に迫ってきていた。彼等の足は遅く、馬の速足くらいの速度しかでないから、全力疾走すればなんとか逃げることは可能だ。また、急な方向転換には対応できず、目と頭もあまり良くない為、一度獲物をロストすると、あとはとにかく直進することで獲物を探す習性があった。だから、彼らの直前で方向転換することにより、彼らの目を欺けば、十分逃げることができる。


「ヒッ……」


 執事は、ユニホンブルと目が合ったようで、ガタガタ震えながら持っていたシーツを放り出し、一目散に逃げ出してしまう。


「あっ!ちょっと!いきなり離さないでよ」


 逃げて行く後ろ姿が、馬泥棒をした侍従と見事にかぶる。

 自分の身が可愛いのはわかるが、仮にも雇い主を放置して逃げるのはいかがなもんか。


 そして、その状態でカテリーナが身を呈してミアを助ける訳もなく、執事の後を追い……いやピンヒールで全力疾走して執事を追い越して逃げ出した。

 残されたのは、気絶したミアと無関係(愛しの旦那様の元婚約者ではあるが)なエマ。


 これ(ミア)どうする?!

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