第29話 魔獣寄せのランタン

 塔の登り降りしかしていなくて運動不足だったせいか、根本的に騎士のエドガーとは体力の差が天と地ほどあるせいなのかはわからないが、帰ってきたエドガーに力いっぱい愛されたエマは、翌日は身動きがとれず、エドガーの膝の上での介護生活に突入した。


 どこに行くにもエドガーの抱っこ、食べるのもエドガーに餌付けされ、トイレも抱っこで運ばれる始末。


 侍従や侍女達からは生暖かい目で見られているが、誰も今の状態にツッコミを入れる人間がいない。エマに気安いララやイリアでさえ、まるでエドガーとエマが一対でいるのが当たり前のように接してくる。


 それとも、辺境では討伐後の夫婦の日常なんだろうか?


 明日にはまたエドガーは討伐へ参加してしまうから、エマも恥ずかしさは置いておいて、エドガーが甘やかしてくれるだけ甘えることにした。

 まぁ、トイレについてくることだけは問題ではあるのだが。


「伯爵様、大奥様とガーネル男爵未亡人が面会にいらしているんですが」


 エマを抱き、エマのトイレの介護から戻ってきたエドガーに、セバスチャンが声をかけた。


「全く……母上はいつまで辺境にいるつもりなのか。俺は明日からの討伐の準備で忙しいと伝えてくれ」


 実際に、エマを抱きながらではあるが、エドガーは滞っていた領主の仕事、騎士団長としての仕事に忙殺されていた。騎士団の職務は、エドガーがいない間は副団長のルイスが代わりを勤めていたが、それでも山のように仕事は残っている。


「まぁ!若い女とイチャイチャとする時間はあるのに、あなたを心配する母親に割く時間はないなんて、なんて薄情な息子なのかしら!」


 扉が大きく開き、これから夜会ですか?というくらい着飾ったカテリーナとミアが入ってきた。


「大奥様、こちらは騎士団の機密書類もありますので、一般の方の入室はお断りしているのです」


 セバスチャンが二人の前に立ち塞がり、扉より先への侵入を阻止する。


「まぁ!私は騎士団長の母親ですわよ。そこの小娘が良くて、私が駄目な意味がわかりません。エドガー、デュボン辺境伯として、シャキッとなさい!」

「ハァ……。母上達を隣の応接室へ」

「かしこまりました」


 セバスチャンがカテリーナ達を隣の応接室へ案内すると、イリアがお茶をいれてテーブルに置いた。エドガーは、エマを抱き上げて運ぶと、自分の横に座らせる。


「なぜ、その小娘まで連れてくるのです」


 カテリーナは凄まじい形相でエマを睨みつけながら言ったが、エドガーがそんなカテリーナを威圧するように一睨みすると、その殺気にカテリーナは顔色を悪くした。


「母上、俺の妻のエマだ。小娘ではない。それで、話は?」


 カテリーナは扇子をパチンッと閉じ、気持ちを改める為か咳払いを一つする。


「あなたは知らないだろうから、神殿から聞いた聖女についての話をしてあげようと思って」

「別に興味ない」


 エドガーにピシャリと言われ、カテリーナは一瞬鼻白むが、すぐに気を取り直して顎を突き上げるようにしてエドガーとエマに視線を向ける。


「今回のスタンピードは、その小娘がいる限り収まらないそうよ。神の祝福を無くした聖女は悪魔を呼び出すと、神殿に古くから伝わる巻物に残っているんですって。過剰な祝福は、呪いに変わるらしいわ」

「呪いですって!なんて恐ろしい」


(いやいや、あなた達の老け込み具合のが呪いのようですけど。冬の乾燥で干からびちゃいましたか?)


 エマは心の内だけで悪態をついていたが、もしその呪いが実際にあったら……と考えてしまう。


 エマの存在は、この世界では異分子なのではないだろうか?異分子を排除する為に、彼女等が言ったことが正しくて、魔獣が集まっているのだとしたら……。


(何が何でも討伐するんだから!)


 エマは拳をグッと握って、力瘤を作る。

 ここで私のせいで……とならないのがエマであった。


「スタンピードが収まらないのは、エマのせいじゃない。これのせいだ」

「何これ?」


 エドガーが懐から取り出したのは、ランタンのようなもので、中に灰のようなものが入っており、その灰の中央に小さな黒光りする欠片があった。


「魔獣を呼び出す魔石だ」

「え!そんなん持ち込んで大丈夫なの?!」

「ああ。これを燃やすと、その煙に魔獣が引き寄せられてやってくるんだが、燃えてなければ問題ない。魔獣狩りをする闇ハンター達がよく使うもので、彼等なら一つ小さい粒を燃やすんだが、これは灰の量から考えても、かなり大きな魔石で、長時間燃えたんだろうな。それこそ、スタンピードを起こすくらい」

「じゃあ、人為的に起こされたスタンピードだって言うの?」

「ああ、そうだ」


 エドガーは苦虫を噛み潰したような表情で頷き、その厳しい視線をカテリーナ達に向けた。


「そ……その視線は何よ!そんなの、闇ハンター達が忘れて帰っただけかもしれないじゃないの!ええ、そうよ。そうに違いないわ!」

「それはないな。これがあったのは、森ではないのだから」

「は?」


 カテリーナ達も驚いた表情をする。


「これがあったのは、北の森に近い街の外れ。塀の中側だ。しかも、何個もあった」

「そんな筈は!……いえ、なんでもないわ」


 カテリーナは、明らかに何かを知っているかのようだった。口元を扇子で隠し、エドガーから視線をそらす。


「私、用事を思い出しましたわ。ミアちゃん、帰りますよ」


 カテリーナは、ミアの腕を引っ張り立たせると、忙しない様子で部屋を出て行った。


「イリア、母親達のあとをつけてくれ。気が付かれないように。どこに向かったかがわかればいい」

「かしこまりました」


 イリアが、侍女のエプロンを外すと、セバスチャンがマントをイリアに手渡す。なんとも準備がいいものだ。


「イリア、気をつけてね」

「お任せください」


 イリアは黒い耳をピンと立て、エマ達が聞こえない音を拾いながら、カテリーナ達のあとをつけていった。


 ★★★


 カテリーナ達は屋敷には戻らず、北の館を出たその足で向かったのは、街の中にある神殿だった。

 新雪の中を歩くよりは歩きやすいとはいえ、水を含んだ雪はブーツを汚し、一歩歩く度に泥水を跳ね上げる為、スカートにも泥染みが多数できた。ミアはなるべくスカートを汚したくないのか、淑女にしては有り得ない程スカートをたくし上げて歩き、カテリーナはそんなことを気にする余裕もないのか、泥飛沫を上げながらズカズカ歩いた。


「カテリーナおば様、なんでそんなに急いで……」

「あなたも急ぎなさい!まさか、あんな愚行を神殿がするなんて!下手したら十年前の大スタンピードの再来よ!私は、ランタンは森の奥で焚けと言ったのに。とにかく急いで!」

「カテリーナおば様、待って……」


 二人が神殿につくと、すぐに門が開き中に通された。


「ユタヤ司祭は!」

「これは、前デュボン辺境伯夫人。そんなに慌てていかがなさいました」

「あなた!なんてことをしてくれたの?!」

「はて?なんのことでしょう?」


 ユタヤ司祭は、ギラギラと沢山の指輪がついた手で、その太った腹を撫でさすりながら、カテリーナ達に座るように促した。


「私が渡した魔獣寄せのランタンのことよ。私は森の奥で焚くように言ったわよね」

「ああ、あれですか。しかしですな、奥様。よく考えてみてください。あの豪雪の中、しかもスタンピードの最中に、何度も森に足を運ぶのは自殺行為だと思いませんか?私も神官にそんな非情な命令はできませんよ」

「だからって、塀の中に万が一魔獣が来たら!あの十年前のスタンピードの二の舞いよ!!」


 カテリーナは扇子でテーブルを打ち付け、その勢いで扇子が折れてユタヤ司祭の頬を掠めた。


「ウギャー!私の顔に傷が!誰か!誰か傷をすぐに治せ!」


 ユタヤ司祭は、頬についた小さな掠り傷で大袈裟に騒ぎ、治癒士を呼び付けて傷を治させた。司祭の癖に、そんな小さな傷も治せないのかと、カテリーナは馬鹿にした表情でユタヤ司祭を見る。


「だいたい、御自分でできないことを要求されても困ります。あのランタンを街外れに置きに行くだけでも大変だったんですからな」


 ユタヤ司祭は、神官に命令してやらせた癖に、さも自分が大変だったみたいな言い方をした。


「それだけのお布施はしているでしょう。デュボン辺境伯家に伝わる宝石を多数寄付したんですからね」

「さようですな。奥様の信仰心は称賛されるべきものです。神殿は信者の方々の無償の寄付や奉仕で成り立っておりますからな」


 カテリーナは折れた扇子を床に叩きつけた。


「十年前の大スタンピードを繰り返したくなければ、ランタンは塀の外で焚きなさい。良いですね!」

「はい、神の御心に従いましょう」


 カテリーナがミアを率いて神殿を立ち去ると、ユタヤ司祭は床に唾を吐き捨てた。


「うるせーババアだ!おい、残りのランタンを全部燃やせ!元聖女が魔獣を引き寄せてるって噂は広めてるんだろうな?!ったく!おまえらもっとちゃんと領民扇動しろよ。辺境伯がスタンピードで森に足止めされてるうちに、元聖女とやらを追い出せば、あのババア達から金をタンマリ引き出せるんだからな」


 ユタヤ司祭にどやされて、神殿の下男が数名、布袋を担いで神殿を後にした。

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