第28話 会わないから忘れてました
「エド……さすがにもう……」
エドガーとの再会が嬉しくて、つい抱き上げられるままに抱きついてしまっていたが、今更ながらに人前であったことを認識したエマは、モゾモゾと居心地悪そうに身じろぎした。
「そうだな。まずは風呂に入ってからじゃないとな。エマにも臭いが移ってしまったんじゃないか?」
「塔を駆け下りてきて汗だくになったから、元から汗臭いかも……。ごめんね、綺麗な格好でお出迎えできなくて」
エドガーはエマの前髪を整え、その顔を覗き込んだ。
「なぜ?俺の妻はこんなに綺麗なんだから、これ以上どこを整える必要がある。それに、エマがエマであれば、どんな格好をしていようと、きっと美しいと感じるだろうな」
エマはボッと赤くなって、エドガーの肩をペシペシ叩いた。
エドガーは厳つい顔でいかにも硬派みたいな見た目で、サラッと口説き文句みたいなことを言うから、頭の中身が純日本人のエマは恥ずかしくてしょうがない。
「ハハハ、真っ赤になって美味そうだ」
「もう!」
「一緒に風呂に入ろう。一ヶ月ぶりだ。エマを味あわせてくれるだろ」
「……」
周りには侍女や侍従、避難してきている領民もいるというのに、エドガーは照れることなくお風呂のお誘いをしてくる。もちろん、エマに断るという選択肢はないのだが、できれば二人っきりの時にお願いしたい。
「ご無事のご帰還、喜ばしいことです」
いきなり後ろから声をかけられ、エマはびっくりしてエドガーにしがみついてしまう。
エドガーがエマを下ろして振り返ると、そこにはゴテゴテと着飾った婦人が二人立っていた。
赤毛に鳶色の瞳の老婦人に、金髪で紫色の瞳の中年の婦人。二人共、痩せて皺が増え、実年齢よりも十歳以上年上に見えるが、明らかにカテリーナとミアで間違いなさそうだ。
「母上……ご病気にでもかかられましたか?」
エドガーがエマの前に立ち、カテリーナ達から壁のようになりエマを隠す。
「私はいたって元気です。あなた、討伐から戻ってきたら、まずは私に挨拶にくるべきでしょう」
「それは申し訳ないことをしました。まだ辺境にいらっしゃるとは思わなかったので」
「息子が討伐に出たのに、逃げ出す親はおりません。あなたに話があります。一人でついてきなさい」
「湯浴みをしないことには、人に会える状態ではないので、ご勘弁を。なにせ、一ヶ月風呂に入っていませんし、魔獣の血を大量に浴びておりますから。それに、一時帰還したに過ぎないので、話があればスタンピードが終息してからで」
丁寧には話しているが、エドガーの口調は平坦で、言外に短い休息を母親達に割くつもりはないと言っていた。
カテリーナが扇子を広げて嫌そうに口を覆うと、ミアが半歩前に進み出た。
「エドガー、無事に帰ってこれて本当に良かった。私もカテリーナおば様も、夜も寝れないくらい心配してたのよ」
(心配し過ぎてやつれたのかな?そんなにエドのこと……。いや、やつれたというか……老けた?)
騎士団の鍛錬に参加できずに、逆に少しふっくらしたエマではあったが、エドガーへの気持ちならば負けない!と拳を握る。
第一、エドガーの臭い(魔獣の血をかぶったことによる獣臭はどうにもならない)に腰が引けてるミアなんかには負ける気がしないと、エマなエドガーの背中にピッタリはりつく。
「そうよ。ミアちゃんなんか、毎晩お祈りを捧げていたし、私も神殿に寄付をしに、わざわざ吹雪の中足を運んだのよ」
「神殿……」
本邸と北の館では、会おうと思わなければ会うこともなかったから、すっかりカテリーナ達のことを忘れていたが、エマが北の塔に登ってエドガーの無事を祈願していたように、この二人も何かしらエドガーの無事を祈っていたようだ。彼女達の言う事がただしければ……だが。
しかし、孤児達の話を聞いていたから、どうしても神殿に良い印象がないし、聖女であったエマも神殿所属だった筈だが、覚えてないから神殿に良い印象を持ちようがない。
「俺が覚えている限りでは、母上は信心とは縁遠い方だったと記憶しているが」
「昔はそうだったかもしれないわね。でも、人は変わるものですよ。エドガー、あなたの今の妻は元聖女だったわよね」
「今も未来も妻はエマだけだが、それが?」
カテリーナは口元を扇子で隠しているが、その目は何かを企んでいるかのようにいやらしい光を浮かべていた。
「元聖女なら、民の願いをなぜ叶えないのかしら」
「は?」
カテリーナは、周りにいる領民に聞こえるように、わざと声を大きくして言った。
「慈愛の聖女だったかしら?その慈愛の精神で、魔獣から辺境を守って欲しいものだわ」
周りがざわつき、「慈愛の聖女様?辺境伯夫人が?」と、エマに視線が集まる。
「あら!でもカテリーナおば様、魔獣から守るどころか、今年はスタンピードが多発していると聞きます。普通なら、春になる頃には落ち着く魔獣の暴走が、今年は次から次へ起こっているとか」
ミアもカテリーナよりもさらに声を大きくして言う。何事かと人々が窓から顔を出したり、玄関に集まってきたりした。
「まあ!慈愛の聖女が辺境に嫁いできたのに、去年よりも状況が悪くなるってどういうことでしょう!」
「もしかしたら、神の恩恵を失った聖女のせいじゃないかしら?!神から見放されんですもの。カテリーナおば様、そんな人間が辺境伯夫人なんて、恐ろしい話ですわ」
「ああ!なんてことでしょう!神から見放された娘のせいで、私達の愛する辺境まで、神から見放されることになるなんて……」
(歌劇かな?朗々と響き渡る声で、演劇タッチに動きまでがわざとらしいけど)
どうやら、二人はエマのことをディスリたいらしいが、そんなくだらない話をして、討伐帰りで疲れ切ったエドガーをさらに疲れさせるとか、意味がわからない。
エドガーを見上げると、すでに疲労も限界(疲労ではなく怒りである)なのか、額に青筋が浮かんでいた。
「母う「くだらない!」」
エドガーがドスの効いた声を出したのと同時に、エマが仁王立ちスタイルで一歩前に出た。
「討伐から帰ってきて、エドはまだ落ち着いて座ってすらいないんですよ。くだらない話をしてないで、まずはエドにゆっくり休んでもらうのが先でしょうが!あなたも母親なら、まずは息子を労りなさいよ」
「ま、ま、ま!くだらないですって!私は前辺境伯夫人として、辺境のことを考えて」
エマは鼻で笑う。
「神様がもしいるとしても、たった一人の人間にかまってられる訳ないでしょう。前辺境伯夫人の言う通りなら、私ってばどんだけVIPなんだって話ですよね。それにたかだか私なんかの厄よりも、神殿とやらの偉い司祭様達の祈りのが有効だと思いません?信心深いのに、そこは信用しないんですか?」
エマがまくしたてるように言うと、カテリーナとミアは一瞬ポカンとした表情をしたが、言われた内容を理解すると、ギリギリと扇子を握りしめてエマを睨みつけた。
「じゃ、エドは疲れてるんです。ご用があればまた明日」
エマがエドガーの腕をとると、エドガーは自分から踵を返してエマをエスコートして館の中に入る。
侍従の手で扉が閉められ、カテリーナ達は閉め出される形になった。
「あー……ごめんね」
「何がだ?エマに謝りこそすれ、エマが謝ることはないだろ」
エドガーとゆっくり階段を上がりながら、エマはやっちまったとシュンとしていた。
例えどんな人でも、エドガーの母親であるのに、あんな態度をとってはいけなかったと、エマは後悔でいっぱいだった。
「でもさ、一応エドガーを産んでくれた人じゃん。あの人がいなかったら、エドガーはいない訳だから、その点だけはすっごい感謝なんだけど……、あんま好きくないというか……ごめん」
「それは俺も同意だから気にするな。母上は、義務として俺を産んだが、それはデュボン辺境伯夫人の地位を確立する為に必要だっただけだ。貴族の夫人はだいたいがそうだが、産んだら産みっぱなし。育てるのは乳母で、めったに顔を合わせることもないから、血の繋がった母親だとしても、情は全くないに等しい。義理として、一生生活に困らないように支援はするが、気持ち的にはほぼ他人だ」
エマはエドガーの腕にギュッとしがみついた。
「私は義務でなんか子供は産まないよ。エドガーの子供だから欲しいし、もしできたら乳母はいらない。……いや、アンはそのつもりみたいだから、アンに手伝ってもらいながら、私の手で育てる。……駄目かな?もちろん、エドも子育てには強制参加だよ」
「もちろんだ」
もしかしたらできないかもしれない……という不安は封印しておいた。
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