第07話 新事実(注:エマの思い込みです)

「エマ様、最近随分と食欲が旺盛のようで……」

「アハハ、暑くなってきたからかな。アン、今日もちょっと散歩してくるから、お昼はお弁当にして欲しいんだけど」

「今日もですか?お散歩もよろしいですが、そろそろ日差しもきつくなってきましたし、あまり長時間外にいますのも……」

「大丈夫、大丈夫。少し焼けたくらいのが健康的でいいじゃん。エドガーさんも最近日焼けしてるし」

「伯爵様は男性ですよ!エマ様はドレスも着ないとなんですから、変な日焼けのあとは困ります」


 エマは微妙な笑みを浮かべ、さりげなく腕を隠した。

 顔と首はアンに日焼け止めを塗りたくられているから日焼けはしていないが、腕はついつい暑さでシャツを捲くってしまう為、それこそ変な感じに日焼けしている。


「エマ様……。何をなさっているかわかりませんが、伯爵様を裏切ったりはしてませんよね?」

「裏切る?」

「まだ閨は共にされていらっしゃらないようですが、お二人は誓約により結ばれたご夫婦ですからね」

「閨……ゴフッ」


 エマは、食後に飲んでいた野菜ジュースが気管に入りそうになり、むせて胸を叩いた。


「まぁ、ホホホ……お照れになって可愛らしいですね」

「閨って……夫婦のアレだよね?」

「もしかして、閨教育を受けていらっしゃらないとか?それなら先生を至急お呼びしないと」


 エマが聖女で、神殿で育ったことを思い出したアンは、エマが閨教育を受けていないかもしれない可能性に思い当たった。

 エドガーが白い結婚を考えていることは知っていたが、もし万が一それを撤回したくなった時、辺境伯夫人であるエマが怖がってしまっては大変だと、アンは閨教育の大家の先生を呼ぶ段取りを考えだした。


「いや、大丈夫。多分わかると思う」

「多分?思う?」

「いや、わかります。おおよそ」


 エマはどうだかわからないが、キララは彼氏が二人いたことがあるし、経験もある。えばれる程の回数ではないし、特殊技術を持っている訳ではないが、ノーマルな普通のHならば経験に基づいた知識はある。


「わかりました。一度復習の意味も兼ねて、閨教育の先生をお呼びしましょう。もしかすると、神殿での閨教育と違うかもしれませんし」


(違う?世界が違うと、もしかして常識も違う可能性もあるの?!)


 エマは衝撃を受けた。


(ここは魔法があって、獣人までいる世界だもんね。もしかして、男女が○○して☓☓してピー……で子供ができるんじゃないかもしれない。例えば、魔力の交換……キスとかでもできちゃう可能性が!)


「も……もしかして、魔力の交換で子供ができちゃったりとか?」

「まぁ、魔力の交換しますが……」


(やっぱりかぁッ!……?魔力のない自分は、もしかして子供ができない?!)


 エマはこの世界の新事実(注:エマの思い込み)に愕然とした。


 もし本当に自分に子供ができないのだとしたら(注:エマは獣人が魔力もないに子沢山である事実を忘れている)、辺境伯であるエドガーの嫁でいたらいけないのではないか?!王命だから仕方なく婚姻したが、五年後の離婚というのは、そういう意味もあったんじゃないか……と。


(推しは、推しのまま推しとけってことか。騎士団でエドガーの役に立てる存在になれば、もしかしたらワンチャンあるかも!……なんて、ほんの少し思ったりしてないもん!はぁ……)


「……エマ様、よろしいですね?エマ様?」

「ああ、うん。聞いてるよ」


 実は考え事をしてアンの話は聞いていなかったのだが、エマは適当に返事をして立ち上がった。今日は騎士団全体演習の日だ。エドガーが指揮している凛々しい姿が拝めるかもしれない。


「じゃあ、用意をしたら出かけるから、お弁当よろしくね」

「はい、料理長に声をかけておきます」


 エマは部屋に戻り、シャツとスボンを着込み袖と裾をまくり上げる。その上から少し大きめのドレスを着て鏡の前でチェックする。


 下の洋服は見えていない。少しモコモコしているかもしれないけれど、元が細いし、最近筋トレでさらに引き締まったから、そんなに違和感はない。


 エマは、お弁当を入れるバスケットを持ち厨房へ向かった。このバスケット、二重底になっていて、底の部分にに獣耳カツラを隠していれてある。こんなバスケットないかとイアンに話していたら、それを聞いていたボアが作ってくれたのだ。大きなゴッツイ手をしているのに、実は器用なボアだった。


「エマ様、今日はお肉たっぷりのサンドイッチですよ」


 厨房につくと、すでにアンから話がいっていたのだろう。お弁当が包まれていた。料理長のサントスが、ニッと笑ってエマに包みを差し出した。


「ありがとう、また明日もお願いできる?」

「もちろんです」


 サントスは、大柄な身体を揺すりながら強面を笑み崩す。辺境伯邸の使用人は、元騎士や元兵士が多い為、皆ガタイが良い者が多い。サントスも十年前までは騎士団の料理番をしていたらしい。十年前の前辺境伯が亡くなった大スタンピードで足を負傷し、騎士を辞めて辺境伯邸の料理長になったそうだ。


「ありがとう、行ってきます」


 エマはサンドイッチをバスケットにしまうと、元気に手を振って駆け出した。

 それを見守るサントスの後ろから、アンと執事のセバスチャンが現れた。


「うちの奥様は元気だな」

「本当、ジッとしていることがないんですよ。つい最近まで部屋で運動していたみたいなんですけどね、部屋は狭くなったようで、騎士団をチョロチョロしているみたいです」

「伯爵様には報告したのかい?」


 アンがセバスチャンを見ると、セバスチャンはニッコリ笑って首を横に振る。


「まだですよ。ドラマチックな演出ができないものかと、考え中でしてね」

「父さん、そうは言っても、男だらけの騎士団にエマ様一人でおいておくのは危険じゃないかしら」


 アンはセバスチャンの娘だった。エマに隠している訳ではなかったが、聞かれなかったから教えてはいない。執事の娘だから優遇されていると思われるのも嫌で、屋敷の中でも知る人ぞ知る二人の関係だった。


「大丈夫さ、その為にちゃんと護衛をつけているからね」


 セバスチャンはエマにもわからないように護衛をつけ、毎日護衛からエマの報告を受けていた。楽しそうに騎士団で過ごすエマの様子を聞いていると、彼女こそ辺境伯夫人に相応しいと思えてならない。


 本来ならば、雇用主であるエドガーに報告しなければならないのだろうが、もし伝えればエドガーはエマの入団は認めないだろう。普通に考えても、辺境伯夫人が一兵卒してますとか有り得ない話だからだ。しかし、それを辞めさせられたエマの側から見れば、横暴な夫と受け取られかねない。


 二人の結婚を形ばかりのものから、真に結ばれた夫婦になって欲しいと願うのは、セバスチャンだけではなく、アンもサントスも同様だった。


 なにせ、エドガーの女運は今まで最悪だったからだ。


 前辺境伯が犠牲になった大スタンピードで、魔獣に顔を引き裂かれて瀕死の傷を負ったエドガーは、王都の治療院に緊急搬送された。その爪に毒があった為に、王都の治療士じゃないと治癒が不可能だったからなのだが、毒の治療がすんで辺境へ戻って療養することになった時、エドガーの母親はまだ傷も癒えていない息子に向かって、ある一言を言い放った。


「もう辺境はうんざりよ」


 夫との思い出もなにもかも捨てた母親の一言は、エドガーに全てを押し付けた。彼女はデュボン辺境伯の王都にあるタウンハウスを終の棲家に決めたらしく、辺境に戻ってくることなく、今でも好き勝手贅沢三昧に暮らしている。


 そんな母親が選んだエドガーの最初の婚約者は、良いも悪いも母親に似た子爵令嬢で、王都育ちの虫も殺せない少女だった。辺境の生活に慣れる努力もせず、物欲だけは一人前。エドガーの母親が辺境にいた時はまだ良かったのだが、彼女が王都に住まいを移したと聞くと、自分も辺境にはいたくない。別居婚でも良いではないかと言い出す始末だった。


 エドガーが療養で辺境へ戻ってきた時、子爵令嬢は初めてエドガーの顔面の傷を見て卒倒した。

 それからエドガーを見舞うこともなく、「こんな醜い男と結婚はできない」と書き置きだけして、エドガーからプレゼントされた(エドガーのお金で勝手に買ったが正しい)ドレスや宝石を全て持って辺境から逃げ出してしまった。


 そして、送りつけられてきた婚約を解消する書類に、エドガーは何も言うことなく判を捺した。


 それからも、王都にいるエドガーの母親から、何人か婚約者を名乗る令嬢達が辺境に送られてきたが、辺境伯夫人という肩書きと、辺境伯の財力目当ての令嬢ばかりで、明らかに醜いエドガーの嫁に来てあげるんだからという高飛車な態度が透けて見えたり、傷が恐ろしいから仮面をつけてほしいと失礼な要求を当たり前のように口にしたりする令嬢ばかりで、セバスチャンやサントスなどが手を変え品を変え彼女達を追い返してきたのだった。


「今回は珍しく、王家も良い縁を結んでくれたものだ」


 セバスチャンが本心を溢すと、サントスもおおきく頷いた。


「聖女様って聞いたイメージとは大分違ったが、良い意味で裏切られたよ」

「サントスさん、エマ様に失礼よ。まぁ、言いたいことはわかりますけどね。エマ様の感性は、通常の女性からは計り知れないところにあるんですよ。何せ、伯爵様を見てカッコイイ……って頬を赤らめるくらいですから」

「アン、おまえこそ伯爵様に失礼ですよ」

「ハハハ、エマ様は見る目がある。伯爵様は甘い顔立ちではないが、イイ男で間違いない。傷なんぞ些細なこった」

「あら、私だって伯爵様の顔立ちは整っていると思いますよ。ただ、傷以上に目つきが怖いというだけで。エマ様の目には、あの睨んでいるように見える三白眼も、素敵要素らしいですよ」


 アンの言葉に、セバスチャン達は「オーッ」と歓声をあげる。


 それから、エマがエドガー推しをして悶ている様子を、しっかり観察していたアンにより、エマはどうやらエドガーのことを好ましく思っているようだという情報が、セバスチャン達にも共有されたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る