第08話 全体演習

「……見えないじゃん」


 エマは騎士団の列の最後尾に並び、ブチブチ文句を言っていた。


 遥か遠く、それこそ顔も判別できないくらい遠く前の方にエドガーが立ち、全体演習について訓示をたれているようだ。声は聞こえど肝心なエドガーの姿は全く見えない。

 前の方は爵位があるような魔法騎士や魔法使い達が整然と並び、その後ろに平民兵士、さらに後ろに獣人兵士、エマなどの見習い兵士は最後尾だ。背の高い騎士達が前にいるのだから、背の小さいエマが見えるのは騎士達の頭ばかりだ。


「前が見えないのか?俺の肩に乗るか?」


 すっかり仲良くなったボアが、エマの前に屈んで背中を向けた。


「さすがにそれは目立つから止めとけよ」

「ボア、ありがと。でも大丈夫だよ」


 おんぶくらいなら目立たないかも……と一瞬頭をよぎったが、さすがに十二歳の子供の背中におぶさる二十歳はどうかと思い諦めた。


 今回は演習とはいえ、北の森へ入って実際に魔獣と遭遇すれば魔獣と戦うことになるらしい。三班に分かれ、ホーンラビットの群れが確認された辺境に近いところにある岩山と、ワイルドベアが出没するさらに北東にある川、キラービーが巣を作ったという北西にある藪へ向かうということだった。


 エマはワイルドベアが出没する川へ向かう班に振り分けられた。しかも、一番獰猛なワイルドベアが討伐対象だからか、指揮官はエドガーだった。


(フオーッ!エドガーさんの団服姿、滅茶苦茶推せる!)


 ニヤケそうになる顔を引き締め、先頭を歩くエドガーの後ろ姿を堪能する。


 聞いていた話では、先頭はパワー系の獣人が盾の役割として進み、その後ろをスピードや攻撃に長けた獣人が続き、人間である魔法騎士、魔法使い達は獣人達の後ろを進むということだった。また、魔法使い達を囲むように一般兵士が配置されるのが、通常の布陣らしく、指揮官の立ち位置は大抵は魔法使いと同じとされていた。


 しかしエドガーは獣人達よりも前、先陣を切って歩いていた。


「団長の班でラッキーだったな」


 イアンは軽やかな足取りで、石がゴロゴロ転がる歩きにくい川べりを進む。


「本当に。エドガーさ……様の勇姿を間近で見れるとか、砂かぶり並みの特等席だね」


 いつも通り「エドガーさん」と言いそうになり、さすがにそれはまずかろうと「様」呼びに言い直す。


「ちょっと意味がわかんねぇ。砂なんかかぶったら最悪じゃんかよ」


 相撲の……と言っても理解してもらえないだろうから、エマは「それもそっか」と適当に話を流した。


「指揮官によっては、獣人を捨て石みたいに扱うからさ、演習でも死人が出るくらいなんだぜ。特に見習いはヤバイ。全滅もあり得る」

「全滅……」


 エマはあ然として立ち止まってしまう。


「オラッ!何してんだ!さっさと進め」


 後ろにいた魔法騎士に蹴り飛ばされそうになったところを、ボアが間に入って庇ってくれた。


「ボア!」

「大丈夫だよ。俺の身体は固いからさ」


 どんなに固かろうが、蹴られたら痛いだろうに。エマは男を睨みつけた。


「ほらほら進もうぜ。団長から離れちまう」


 イアンがエマの視界を遮るように立ち、エマとボアの背中を押して先へ歩かせようとした。


「とっとと歩けよ、グズ!」


 男がイアンの頭を叩き、とうとう我慢できなくなったエマは、男の前に仁王立ちになった。


「あんたね!騎士の癖して味方に手を挙げるとか意味わかんないんだけど」

「ハァッ?!味方って、おまえ等のことかよ。獣人の癖に生意気だな。おまえらは猟犬みたいなもんだろ。人間様に盾突くな。うん?おまえ雌かよ」

「だったら何さ!」


 男がニヤニヤ笑い、エマの身体をジロジロ見る。イアンとボアがエマを隠すように立った。


「俺は凹凸のある女が好みなんだが、まぁこんな場所じゃ選り好みはできねぇよな。雌の獣人は☓☓要員だろ。人間様に口を開くのは○○を☓☓する時だけにしろよ。演習から戻ったら、俺が☓☓……○○して、獣人のなんかじゃ我慢できない身体にしてやるよ」


 下品の一言につきる。


 しかし、伊達に体育会系で揉まれてきた訳じゃない。男子のワイ談なんか聞き慣れているし、男子に卑猥な言葉を投げられて泣き出すようなお嬢様育ちではないのだ。


「ハァッ?そんな立派なモノを持っているようにも見えないけどね。好みで言わせてもらえば、あんたは問題外。あんたのモノは戦力外。そんなにやりたきゃ、その辺の木の洞にでも突っ込んで腰振っときなよ。どうせ、誰とやってもそんな感じなんじゃないの」


 粗○○過ぎて、挿れてるかもわからないくらいだろうと、ベーと舌を出してやった。


「何だと!」


 男は腰の剣に手をかけて抜刀した。

 エマ達のせいで、すっかり進みは止まってしまい、周りには人だかりができる。


「おまえ、流石に抜刀はまずいって」

「おい、誰か止めろよ」


 他の魔法騎士が男を止めようとするが、男はカッカしてしまい、イアン達ごとエマを斬りつけようと、剣に魔法をのせる為に詠唱を開始する。


「おい!森で火魔法はまずいぞ」

「魔法使い、水魔法の用意を」


 この詠唱、本当に馬鹿くさい。しかも、魔法の適正が低い程長く唱えなければならないから非実用的だ。


 周りがざわめく中、エマはうんざりした顔をして、腰につけていた水の入った皮袋を男の顔めがけて投げつけた。皮袋は見事男の顔にクリーンヒットし、中の水が男の顔にかかる。


「な……何しやがる!」


 詠唱は途中でストップ。剣にかけようとしていた魔法も霧散する。


「そこまでだ!」


 低く響く声が割って入り、エマに斬りかかろうとしていた男の剣が弾き飛ばされた。剣は孤を描いて地面に突き刺さり、エマの目の前には鞘に入ったままの剣を握りしめた大きな背中があった。


「エドガーさ……様」


 エマの目の前に一瞬にして現れたのはエドガーで、エマの声を聞いてピクリと反応した。

 エマはヤバイと口を押さえ、かつらの前髪で目元まで隠した。


「魔獣や敵が現れた場合以外の抜刀は禁じられている」

「……」

「申し開きがあれば言え」


 エドガーの魔力を含んだ気迫が辺りを包み、騎士達の顔が青褪める。魔力のない獣人達も、耳を伏せて怯えた様子だ。その中、大きな身体をブルブル震わせながらも、ボアはエマを背中に隠そうとし、イアンもエドガーからエマを隠そうと前に出る。


(イヤイヤ、エドガーさんの凛々しい後ろ姿が見えないからね)


 多分、この場で一番リラックスしているのはエマだろう。二人の間から顔を出してエドガーを見ようと、ピョンピョン飛び跳ねたりしていた。


「そ……そこの獣人の雌が、俺を馬鹿にする発言をしたので、団規を正す為に……」

「最初にボアを蹴ったのはあんたじゃん。イアンの頭を叩いたりさ。挙げ句に私に○○して☓☓しろとか言ったよね!」

「○……」


 エドガーの前で下品だとは思ったが、それなりに怒っていたエマは言われたまんまを口にした。エドガーは顔を顰め、男を睨みつけた。


「獣人の女は☓☓要員とも言ってたけど、ちゃんと入団テストに合格して入団したんだ。まだ見習いだけど、あんたの夜の相手しなきゃいけないとか聞いてないし(どうせするならエドガーさん一択だし!)」

「そんな要員を募集した覚えはない!獣人兵士も平民兵士も、もちろん騎士達も皆同等だ」


 エドガーが振り返り、獣人達に視線を合わせようとしたから、エマは慌ててボアの後ろに隠れた。


「見習いの……君」

「……はい」

「名前は?」

「キララ……です」


 エドガーが気を鎮めて、ボアの後ろにいるエマに視線を合わせるようにしゃがんだ。多分、見習いの獣人兵士だから、ボアのように子供だと思っているのだろう。


 恐ろしいくらいに強面なのに、子供に優しいその気遣い、そのギャップはさらに推せる!とエマの脳内はバタバタと悶えまくっていた。


「キララ、騎士が君に吐いた暴言、申し訳なかった。この演習が終わったら、騎士や兵士達に再教育のカリキュラムを組むことを約束する。怪我をしていないか、顔を見せてはくれないだろうか?」


 エマはなるべく俯いてボアの後ろから顔を出した。


「怪我がなさそうで良かった。君はすばしっこそうだから伝令に向いてそうだ。一年頑張って、立派な兵士になることを期待している」

「はい!ありがとうございます」


 エマが御辞儀をすると、エドガーは真っ直ぐ立ち、今度は騎士達に厳しい目を向けた。


「彼を止めなかった君達も同罪だと思え。抜刀した騎士は、団規に基づいて一回級降格、本来は謹慎処分になるが演習中の為、殿に移動。兵士達と魔法使いの護衛に回れ」

「……」

「返事は!」

「はい、団長!」


 男はエマをギロッと睨むと、後ろへ移動していった。

 エドガーはそれを確認すると、再度先頭へ移動し、隊列を率いて目的地へ向かう為に隊列を進めた。


(団長やってるエドガーさん、キリッとしてさらに男前度が上がるなぁ。もう、カッコ良すぎて頭が沸騰しちゃいそう)


 そんなことを考えながらエマが川辺りを歩いていた時、先頭を行くエドガーは、軽いパニック状態に陥っていた。


(キララという獣人の少女、なんであんなにエマにそっくりなんだ?!顔はよく見えなかったが、声や身体つきとか……。いや、別に身体をそんなに注視していた訳じゃないぞ!キララがエマに見えるとか、俺はどれだけ……。いや、そんな別にエマのことばかりを考えていたからとかじゃない筈だ。今は演習じゃないか!ワイルドベアワイルドベアワイルドベア……)


 ちょこちょこ後ろの進行具合を確認する為に振り返り、そうすると自然と視線がキララをすぐに見つける。

 見れば見る程そっくりで……。


 そんな時だった、隊列の側面からワイルドベアが現れたのは。

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