第26話 おばあちゃんの知恵袋

「エマ様に会わせてください!」

「ですから、それは無理なんです」

「息子が、息子が三日前から高熱を出してるんです。食欲もなくて、もう三日前から食べてくれなくて」

「うちはおばあちゃんがいきなり嘔吐を!ご飯を食べる度にもどすんです。エマ様にご祈祷を!」


 毎日、途切れることなく領民が押し寄せて来ていた。エマは部屋を出ることなく、イリアとララが対応してくれているが、ひっきりなしに扉を叩かれ、廊下で騒がれ、神経質な人間ならばノイローゼになっていたかもしれない。


 領民達が避難してくる前、彼等がエマの部屋にこれないように、階段の全てに見張りの騎士を配置しても良いかとセバスチャンに聞かれたが、エマはそんな無駄な人員をさく必要はないと断っていた。まさか、こんなに領民達が押しかけてくるとは思ってもみなかったからだ。


 エマは、「出来ないものは出来ない!」とスッパリと言い切るタイプではあるが、冷血漢ではないから病気だ怪我だと言われると心配にはなる。


 領民達は、神殿に多大なお布施をして治癒士に治療してもらうのが常である。しかし、神殿は神殿内で避難所がある為、デュボン邸に避難してきた領民は、アラートが解除されない限り屋敷から出て治癒士に診てもらうことができない。

 だからとエマに救いを求めにくるのだが……。


「ララ、熱の高い子には、オデコ、首筋、脇の下、鼠径部を冷やすように伝えて。嘔吐が強いおばあちゃんは、食べ物よりはまずは水分、一口から飲んで、徐々に増やして。パン粥は、水分がコップ一杯飲めるようになってからだよって伝えて」


 エマが知っている限りの対症療法を伝えてみたが、エマの部屋を訪れる領民はジリジリと増えていった。


「イリア、獣人はどうやって怪我や病気を治してた?獣人専門の医師とかいるの?」

「医師とは、治癒士のことですか?獣人はまず滅多に病気になりません。怪我をしても、治癒力が高いので、寝ていたら治ります。治らない場合は……」

「場合は?」

「寿命だと思って諦めます」


 そこは治癒院に行くとかじゃないのか。まぁ、平民もよほどの病気や怪我ではないと治癒院には行かない……というか行けない。それこそ、数カ月分の給料が飛んで行ってしまうからだ。


「薬ってないの?」


 青カビから抗生物質ができたんじゃなかっただろうか?と、エマは昔見たドラマの内容を思い出す。だからって、エマの知識で抗生物質は作れない。漢方とかは、既存の植物や動物、鉱物などを煎じて作ったりするんだろうから、そういう民間療法的な何かがないのかと思った。


「薬?」


 何それ?というララの表情から、薬という概念がないことを知った。


 ここでエマが薬学部だったりしたら、「じゃあ私が薬を開発しましょう!」なんて、薬チートを発動させたりするんだろうが、エマが行っていたのは体育大学だ。授業で心肺蘇生法や怪我の応急手当などは習ったが、それこそ応急手当レベルで治療なんかできない。病気や怪我をした時に、いつでも治癒士頼りというのは……。


「便利なようで、不便だな」


 魔法でなんでも出来る世界は、医療や科学が進歩しないのはしょうがないのかもしれないが、エマや獣人のように魔力0だったり、一般の平民みたいに魔力が限りなく低かったりする者達には、生活しにくい世の中かもしれない。


「いきなりどうしました?」

「いやさ、なんでも治癒士頼みってのも、不便だなって思って。だからって、どうしたら便利になるとか提案がある訳じゃないんだけどさ、例えば……おばあちゃんの知恵みたいなので、これを食べれば熱が下がるとか、痛いのがなくなるとかないのかな?」

「おばあちゃんの知恵かどうかはわかりませんが、お腹をくだした時には、ピタンの実を食べると治りますね」

「傷にはロエの葉を貼ると化膿しないとか?他にも聞いたことがある気がするけど覚えてないわ」


 イリアとララが顎に手を当てて思い出そうとするが、それ以上はでてこなかった。


「なるほど、あるにはあるんだね。お年寄りに聞けばわかるかな?っていうかさ、領民が集まっている今って、そういう情報を集めるにはもってこいなんじゃない?」

「まぁ、そうかもしれませんね」


 思い立ったが吉日、エマはキララの衣服に着替えると、白ネズミ獣人のカツラをかぶった。


「エマ様、まさかですけど……」

「領民の人達の健康観察と、薬のリサーチも兼ねて、ちょっと出てくるよ」

「いけません!アンさんに部屋から出ないように言われましたよね?」


 それはそうだが、いつまでも部屋に閉じ籠もりっきりでは、さすがに身体もなまってしまう。

 それに、ただジッとしていると、嫌な想像をしてしまったり、精神的にもあまりよろしくない。


「エマは出ないよー。キララだから大丈夫じゃない?」

「そういうところですよ、エマ様」


 イリアは呆れたように溜め息をつく。元は激情型で突っ走り易いイリアであったが、イリアよりもさらに行動的な主と、美少女だが金勘定逞しい同僚のせいで、まるでイリアが分別のある人間のように見えていた。


「ララはついてきてくれる?なんなら、グループの子らに手伝って貰えないかな。怪我や病気の時に効く塗る物や食べ物のアンケート」

「報酬があればみんなやると思うけど」


 ララが指でお金を示す丸を作ると、エマは勿論と頷いた。


「ポケットマネーから出すよ。キララのお給料、まるまるプールしているからさ」

「なら、声をかけてきますよ」


 ララが部屋から出て行き、エマもそれに続こうとする。


「エマ様、私も行きます」

「ウフフ、イリアならそう言ってくれると思った」

「アンさんに怒られるのは、うちらなんですからね。減給だけは簡便してくださいよ」


 ララ程ではないが、下に妹弟の多いイリアも、やはり現金収入は多い方が良いに決まっている。イリアは文句を言いつつ、部屋を出て表から鍵をかけた。


「大丈夫!その時は一緒に怒られようね」

「もう!怒られるのは確定なんですか」

「アハハハ」


 エマは笑って誤魔化しながら、ララが声をかけた孤児の子達と合流した。


 ★★★


「それで、これが……熱、咳、腹痛、胃痛、頭痛、生理痛、関節痛……みんなどこかしら痛いのね。こっちは飲み薬、これは貼り薬?」


 孤児達はかなりパワフルに聞き回ってくれたようで、色んな民間療法を仕入れてきた。何人もから話が出るくらい一般的なものから、眉唾なものまで全て。

 しかも、薬の素材は香辛料として使っているものや手軽に手に入るものが多かった。


「みんな、いっぱいアンケート集めてくれてありがとう。これ、お約束のアルバイト代です。グループのリーダーにまとめて渡すからね。それでね、みんなに次の新しいお仕事をお願いしたいんだけどな」

「仕事?掃除はどうするんですか。館の人数が増えたせいで、掃除やゴミ集めだけでもけっこうな仕事ですよ。アンケートはゴミの回収しつつ、聞けたから良かったけど」


 個々の部屋の掃除などは領民達にやってもらっているから、子供達がやっているのは公共部分の掃除だけだが、ゴミの収集処理だけでもかなりな量だ。子供達の負担を考えると、さらに仕事を増やすのはどうだろうと、ララは考え込んでしまう。


「掃除やゴミ集めしながらできるお仕事なんだよ。どうかな?」


 エマは先程キララの姿で館を散策して、気がついたことがあった。


 北の館は過密状態なのだ。


 住む場所と食事を提供するかわりに、男衆は館の修繕を手伝ってくれているし、女衆は食堂として提供した大広間で炊き出しの手伝いをしてくれている。

 通常、冬場は家にこもりがちになるものだが、ご近所さんと一緒に避難してきているからか、至る所で井戸端会議が始まり、なんなら奥さん達が集まって、大広間でペチャクチャ喋りながら内職していたりする。

 スタンピードだって暗い雰囲気になったり、パニックになられたりするよりはいいが、毎冬のことだからと皆落ち着いているようだった。


 換気もできない狭い空間に過密状態、風邪が大流行してもおかしくはない。


「まずね、これを流行らせて欲しいの」


 エマは、イリアに作ってもらった、古いシーツから作ったマスクを取り出した。


「これは?」


 マスクの表面に綺麗な刺繍をしたもので、エマは紐を頭の後ろと首の後ろで結んだ。ゴムがなかったから、紐で代用したのだ。


「マスクよ。みんなのにも刺繍してあるからね」

「可愛い!」


 女の子のはピンクや黄色のシーツで花柄の刺繍を、男の子のは紫や黒のシーツで剣や弓などの刺繍がしてあった。


「人がいっぱいいるところではこれをつけるの。特に、咳をしている人には絶対に付けて欲しいんだけど、多分強制してもつけてくれないだろうから、お洒落として流行らせようかと思って。で、あなた達にファッションアイコンになって欲しいんだよね」

「ファッションアイコン?」

「流行の先駆け……みたいな感じかな。食事以外で人に会うような時はこれをつけるの。で、興味持った人に作り方の見本として、一家族に一つ配ってほしいんだよね。これ、配る用ね。私のイニシャルが入ってて、辺境伯夫人お墨付きってことでヨロシク。自分でお気に入りの図柄を刺繍してくださいって感じかな」

「辺境伯夫人お墨付き……多分、それだけで欲しがる人続出だと思うけど。しかもエマ様のイニシャル入りとか、奪い合いになりますよ」


 イリアの言葉に、孤児達もウンウンと頷く。


「……そんなもん?この北の館だけでも三百人くらいいるんだよね。全体では……千人くらい?さすがに全員分作るのはちょっと……」


 全員分作って配るとか、イリアとララが腱鞘炎になってしまうではないかと、縫い物が苦手なエマはお手伝いする気は一切ない。


「なら、判子にしたらどう?作った人が勝手に捺せるように、大広間の一角に置いておくの。ただ置いておいたら盗まれちゃうから、持ち出し出来ないように鎖とかでちゃんと繋いでおかなきゃだけど」

「ララ、良いこと言うね。判子ならば、確かに手間は省けるかも」


 こうして、北の館から始まったマスクというファッションアイテムは、防寒の意味でも流行り、デュボン辺境伯領に浸透していった。


 また、孤児達が集めてくれたアンケートからリストを作り、症状別に一番多かった物をストックする棚をエマの自室に作った。そして、エマの部屋を訪れる領民の症状を聞き、それに合う薬を処方して渡しているうちに、症状が完治しないまでも寛解するという事実から、領民達に風邪をひいたら薬を飲むという習慣もついていった。治癒士に頼むよりも安価で手に入る薬は、デュボン辺境伯領だけでなく全国に広まるようになり、後に薬屋という職業までできた。全国初めての薬屋の名前は「薬屋おばあちゃんの知恵袋」。エマが名付け親となり設立したのだが、すぐにマルコに丸投げして、孤児達が後を引き継ぐことで、さらに事業として発展していった。


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