第25話 スタンピード

「エマ様、そのブレスレット……随分と変色しましたね」


 冬も峠を越し、春とまではいかないが、吹雪の間の晴れ間が少しずつ増えてきた頃、お茶をしていたエマの手首を指差してイリアが言った。


「だよね。随分赤茶けて錆びちゃったよね」


 以前は一部のみ赤茶けていたのが、日に日に赤い部分が侵食していき、今ではほぼ赤に近くなってきた。


「それ、錆びでしょうか?錆びた匂いはしないのですが」

「そう?」

「それに、魔導具が錆びるとは聞いたことありませんし」

「そうなの?でもこれは金属みたいだしなぁ」


 外れないというだけで、特に痛くも痒くもないし、つけているせいで体調不良であるというわけでもないので、エマは全然気にしていなかった。


「もう一度、魔導具士に見てもらてみては?もしくは魔法使い。何か魔法が発動する可能性もありますし」

「そうだね。空いた時間にもう一回見てもらうよ」


 何気にエドガーの髪色を連想させてお気に入りではあったのだが、確かに魔導具が変色するというのは、作動する一歩手前な気がするし、気がついていないけど、変なボタンとか押しちゃって大爆発したら嫌だ。


「エマ様!大変です。スタンピードが!」


 ララが叫び、慌てて窓の側に近寄る。今年はスタンピードの当たり年だったのか、小さなスタンピードが多発していた。ただ、規模が小さかったので、中隊が出動するくらいで討伐ができた。これは、スキーのおかげで素早く移動することができ、小さな段階で抑えることができたからでもある。


「また、いつもみたいなスタンピードかな」


 黒の信号弾が三発上がる。


「これは大きそうですね。領民の避難命令の鐘がなるんじゃ」


 そう言っている間に、カーンカーンカーンと絶え間なく鐘の音が響き渡った。

 アンが部屋へやってきて、部屋の鍵を厳重にかけた。


「正門が開いて、北の森に近い所に住んでいる領民が避難してきます。以前の騎士団詰め所と騎士の寮が開放されるでしょうが、この館にも避難民がくるでしょう。エマ様、この部屋から出ないようにお願いします」

「なぜ?」


 避難民が押し寄せるならば、毛布の支給や炊き出しなど、人手は多く必要だろう。


「どんな領民がいるかわかりません。無頼漢も混じっております。それだけではなく、何故か最近領民の間にエマ様が……元聖女様がデュボン辺境伯家にお輿入れしたとの噂が広がっております」

「それは駄目なの?」


 アンは膨らみが増してきたお腹を擦りながら、言葉を選ぶように目をつぶる。


「駄目ではございません。ただ、領民達は聖女信仰と申しましょうか、過大な期待を聖女に持っております」

「そりゃそうですよね。死んだ人間も生き返らせるなんて、神様みたいだもの」

「ララ、少しお黙りなさい」

「はーい」


 ララはアンに睨まれて、肩をすくめて見せる。


「でも、私は聖女だよ。魔力だってなくなって、何もできないんだけど」

「領民は、そうは思いません。蘇生はできなくなっただけで、いまだに最高の治癒師として、慈愛の聖女をイメージしております」

「それって、劇とかの作られた私でしょ?私、そんな善人じゃないよ。嫌いな人は嫌いだし、やられたことはやり返すし、なんなら倍返しだし。何より、治癒師じゃないし」

「そうなんですが、それがこの外出の限られる冬に、何故か領民にエマ様の話が広がっているんです。慈愛の聖女は、その慈愛のお心から貴族平民関係なく、その奇跡の御業を施してくださる。慈愛の聖女がいる限り、スタンピードさえ退けてくださるだろう……と」


 誰かがエマの話をわざと広めているのか、娯楽のない時期だから他に話がなくて広まってしまったのか。

 伝聞なんて、主観が混じってドンドン話が変わっていくものだし、「辺境伯が元聖女を娶ったようだ」というだけの話が、希望や予想を練り込んで大きくなってしまうのはしょうがないとしても……。


「聖女って、スタンピードをおさえたりできるの?」

「そんな話は聞いたこともございません」


 あまりに辺境に都合の良いような人物に作り上げられているようで、違和感しかない。


「病気や怪我を治してくれって、領民が押しかけてくる可能性があるかもですね」

「それどころか、早くスタンピードを抑えろとか言われそうですよね」


 ララとイリアの言葉に、アンは深刻な表情で頷く。


「そんなの、無理!って言えばいいだけじゃないの?だって、普通に考えて無理だもん。第一、魔獣に影響力があるって、それなに魔人?あり得ないよね」


 エマの言葉に、アンはハッとした表情になる。


「エマ様、決して部屋からは出ませんように。イリア、ララ、エマ様をよろしくお願いします」


 アンは部屋を出て行った。


 ★★★


 アンは、今領民に広がっている噂、それにより考えられる懸念を簡潔に手紙にしたためた。最悪な場合、領民の暴動、エマの断罪に繋がる恐れがあると締め括った。


「伯爵様、なるべく早く、お時間が取れました時にこの手紙をご覧ください」

「これは?」

「エマ様について起こるかもしれないことを、私なりに考えてみました。懸念に終われば良いのですが」

「わかった。で、エマは?」

「お部屋に籠もって頂いております」

「そうだな。顔を出す時間がないのが心残りだが、安心して待つように伝えてくれ」


 エドガーはアンからの手紙を懐にしまうと、武具を整えて腰に剣をさす。


 すでに黒の信号弾を見た領民達がデュボン辺境伯邸内に避難をし始め、討伐に出ない騎士達や辺境伯邸の使用人達が、彼らを誘導する為に早足で行ったり来たりしていた。信号弾三つは既に猶予のない状態を示している。すぐに出発する必要があった。


「エド!」


 エドガーが馬に騎乗した時、エマが館から出て来た。


「エマ!」


 エドガーは素早く馬から飛び降り、エマに駆け寄る。エマはマントもつけず、軽装のままエドガーに抱きついた。


「無事で!絶対に怪我しないで帰ってきて」

「無論だ」


 エドガーはマントで包むようにエマを抱え上げると、抱き締めて深いキスをした。周りには騎士達が整列しており、エドガーの「出発」の号令待ちだた為に、皆の視線はエドガーに向いていた。その前での熱烈なキスは、今までのエドガーを知る騎士達からしたら信じられない光景で、騎士達の誰もが声も出せずにいた中、獣人兵士達だけは口笛を吹き囃し立て、何故か士気が爆上がりで、「好きな娘の為に生きて帰ろうぜ」とか、「俺も生きて帰って嫁さんとイチャイチャするぞ」などの声が上がっていた。


「寒いからもう中に入れ」


 名残惜しそうにエマから離れたエドガーは、再度馬に騎乗し、団員達の先頭に立つ。雪に特化した辺境ならではの馬は、足が短く太く、体はずんぐりしていて長い毛に覆われている。蹄が平たく大きくなっているから、新雪の上でも走ることができ、また蓄えられた脂肪と密な体毛のおかげで、吹雪にも体温を奪われることがない。

 ただ、そんなに頭数がいる訳じゃないから、獣人兵士達や騎士の半数はスキーを装着していた。


「出発!」


 エドガーの号令で、馬は早足で進み、それに遅れることなくスキーを履いた者達も進んで行った。


 エマにマントを持ってきたイリアが、マントを肩からかけた。


「あ、イアンだ。イアン!気をつけて」


 イリアがイアンを見つけて手を振ると、イアンはエマ達の方へ手を振り、誰よりも器用にスキーの板を操ってすぐに見えなくなった。


 今回の討伐には、エマの部隊もエマ以外参加する。イアンやボア以外の獣人も、エマが参加しないことについては、何故か文句がでなかった。皆、エマが人間の女の子だと知っているからか、この討伐の危険性を考えれば、エマが足手まといになることをわかっているからだろう。


「みんな、気をつけて。どうぞ無事に、怪我なく全員が戻ってきますように」


 エマは初めて、この世の偉大な何かに祈りを捧げた。

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