第22話 ある女の策略
「これはこれは奥様、晴れたとは言え神殿にいらっしゃるとは、なんと信仰深い」
明け方まで吹雪いていた雪は止み、希薄で澄んだ細い光が、ドンヨリとした雲間から降り積もった雪に降り注いでいる。晴れ間というには薄暗く、冬の北の辺境らしい、吹雪の合間のほんの一時だ。
「全く!道の整備もできていないじゃない。ドレスがドロドロになってしまったわ」
雪かきは領民の冬の仕事、なぜもっとちゃんとやらないのかと、カテリーナは声を大きくして文句を言う。
「全くです。神殿でも人手が足りず、民草に奉祀を説いているのですが、吹雪の間は説法を聞きにこない不信心者が多くて困ります。デュボン辺境伯家の使用人を派遣して貰えると有り難いのですが」
カテリーナを出迎えたユタヤ司祭が、薄くなった頭頂部を隠すようにオールバックにした髪の毛を整えながら言う。そういう彼の手にアカギレはなく、自分は雪かきなどの重労働はしたことがないだろう程、でっぷりと太っていた。
「そんなことより、今日はミアちゃんを紹介しようと来ましたの」
カテリーナは、疲労困憊でゼーゼー言っているミアを前に押し出した。
「彼女は?」
「ガーネル男爵未亡人です。ああ、あなたは十年前にはいませんでしたものね。ミアちゃんはエドガーの最初の婚約者で、次期デュボン辺境伯夫人になりますのよ」
ミアは、ゴテゴテとフリルのついた黄色いマントを脱ぐと、唇の端を上げるだけのわざとらしい笑顔を浮かべる。その下にはやはりフリル満載の黄色いドレスが現れた。
「次期?今の辺境伯夫人、エマ様でしたかな?彼女はどうしました?」
「あれは元平民ですので、やはり辺境伯夫人にはむきませんの。神殿への寄付金も、彼女が反対してストップさせているんです」
「なんと!彼女は神殿所属の元治癒師。聖女にまでなれたのは、全て神殿からの祝福のおかげではないか」
「全くその通りですわ。ですが、この話をする前に、私達はここへ来るだけでヘトヘトなのです。司祭様の治癒能力で癒やしていただきたいわ。それに、立ち話もなんですわよね」
カテリーナは早くもてなせとばかりに、着ていた防寒用マントを脱いで控えていた神官へ押し付けると、「ちゃんと乾かしておきなさい」と、横柄な口調で言う。
「これは失礼しました。これ、応接室の準備を。治癒師も呼びなさい」
カテリーナ達は豪華な応接室に通されると、質素な身なりの治癒師が数名現れてカテリーナ達を癒やした。
「ところで、エマ元聖女が寄付金をストップさせているとは?」
カテリーナ達の目の前に座ったユタヤ司祭は、金糸で豪華に刺繍されたローブをまとい、金の指輪を全ての指にはめた手を組みながらにこやかな笑みを浮かべながら聞いた。
「そうそう、その話をしなくては。あの娘は、民意を扇動し慈悲深さを捏造したとんでもない女なんです。慈愛の聖女なんて大嘘、男を誑し込む悪女ですわ。聖女の力を失ったのが、その証拠ではありませんこと」
「なんと……」
「エドガーを騙し、辺境伯家の財産を独り占めする気なんです。私はあの女の目論見に気づき、いまだにエドガーを思い続けてくれる元婚約者のミアちゃんに励まされ、あの女を断罪する為に辺境に戻りましたの」
「カテリーナおば様のご心痛、察するに余りあります」
カテリーナが握りしめた扇子が、ミシミシと音をたて、そんな興奮するカテリーナを宥めるように、ミアがカテリーナの腕に手を添えた。
「ありがとうミアちゃん、あなただけが私を支えてくれていたわ。それで司祭様、是非神殿にも手伝っていただきたいの」
「しかしそれは……神殿は国からは独立した個別な組織でしてな。一介の領地問題に介入はでかんのですよ」
面倒事に巻き込まれるのは沢山だとばかりに、ユタヤ司祭はどうやってこの女性二人を追い返そうかと思案する。
そんなユタヤ司祭を見たカテリーナは、懐から小袋を取り出した。
「これは、私が自由になる宝石類ですわ。こんな微々たる物しかお渡しできないのは恥ずかしい限りですが、あの娘を追い出して心優しいミアちゃんが次期辺境伯夫人になりましたら、この数百倍はご寄付できるかと……。ね、ミアちゃん」
「もちろんですわ、カテリーナおば様。私は敬虔な信者ですから」
ユタヤ司祭は、小袋の中身を確認して、ゴクリと喉を鳴らす。
「そうですか、敬虔な信者とは素晴らしい限りです。……そうですね、神殿としても民草を扇動するような危険分子は放っておく訳にはいきますまい。微力ではありますが、お力添えできれば良いのですが」
「まぁまぁありがとうございます。やはり、頼るべきは神殿、司祭様でございますわね」
高笑いするカテリーナに、脂ぎった顔を歪ませて笑うユタヤ司祭、それを見ているミアは、自分がデュボン辺境伯夫人と呼ばれる日を妄想して、乙女のように頬を紅潮させた。
その肌が妙に乾燥して、年よりも小皺が多い女達だなと、司祭ユタヤは腹の中ではカテリーナ達を馬鹿にしていた。
★★★
カテリーナが神殿を訪れているその時、王都ではある伝染病が広がりつつあった。
しかし、感染しても発病までに時間がかかるそれは、まだ病気として認識されていなかった。
ある日、王都の路地裏でやせ細った老婆が死んでいた。皺々な顔に骨が浮き上がった身体、それなのに髪の毛だけは豊かに若々しく艷やかで、着ている衣装も娼婦が着るようなセクシーなものだった。
その右肩には黒薔薇のタトゥーが入っており、それは高級娼館黒薔薇の娼婦の証だった。
身元を確認する為に娼館に騎士が派遣されたが、娼館の最古参の娼婦でも三十代、老婆などいないとの返答を受け、逆に二ヶ月前に足抜けした娼婦がいるから探してくれと言われた。
二ヶ月前に忽然と姿を消したのは、娼館黒薔薇でもトップテンに入る娼婦で、平民のイロがいたから、二人で逃げたんじゃないかとのことだった。まだ店への借金が完済していないから探してくれと泣きつかれ、とりあえず聞いた特徴は、豊かな金髪で右目の下に泣き黒子があり、緑色の瞳の二十四歳女性、右肩に黒薔薇のタトゥーがあるということだった。
老婆の特徴と重なるところも多かったが、かたや骨と皮の皺々の老婆、かたや人気娼婦で若い女性となれば、誰もこの二人に繋がりなど感じることもなく、老婆は身元不明遺体として処分されることになった。
これが、実は王都で確認された最初の感染者であったのだが、まだそのことには誰も気がついていない。そして、認識されることなく、ジワジワと感染は拡がり、かなりの人数が感染した後で、王都を中心に発症者が爆発的に現れるのはまだ数ヶ月先の話になる。
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