第20話 神殿

 あれから二週間、辺境には厳しい冬の気配がしてきた。


 この時期になると、孤児達は神殿が運営する孤児院に身を寄せることが多いが、今年は辺境伯邸で臨時使用人として働いている為、孤児達は孤児院ではなく、辺境伯の北の館で寝起きができることになっていた。


 孤児院は、冬の間無料で手に入る(貧しい食事と、雨風にさらされないというだけの寝床を提供するだけで)働き手を確保できないことを知り、デュボン辺境伯家に多額の寄付金を要求してきた。


「まぁ!寄付ですか?なぜうちが?」


 神殿からやってきた神官は、エドガーが本館にいないことを知らなかった為、本館の豪華な応接室で、カテリーナを前に紅茶をいただいていた。


「奥様、デュボン辺境伯は、この地域の領主ではないですか。その領地にある神殿に寄付をするのは、領主のお役目でもあり、それにより領地に神の加護が賜われるのですよ」

「神の加護ねぇ」


 カテリーナは、興味なさそうに紅茶をすする。


 辺境には娯楽が少ないだけでなく、王都にいた時のように、有名なレストランもなければ、美味しいスイーツ店もない。

 すっかり辺境の生活に飽きていたカテリーナであるが、エドガーとミアを結婚させないことには、王都に帰るに帰れないからいるだけだった。


 少しでも娯楽をと思い、辺境伯本邸にやってきた神官に面会を許したものの、お金の無心だとは思わなかった。


(お金なら、私が欲しいわよ!)


 カテリーナは、王都で生活する為のお金はデュボン辺境伯家から毎月出ていた。王都の別邸の維持費から、カテリーナが生活する為の生活費、交際費、ドレスや宝石の費用も全て、カテリーナが不自由することなく生活できるだけの物は、エドガーに請求書を送れば良かった。


 ただ一つだけ、エドガーに無心できなかった種類の出費があった。

 若い人気俳優に入れ込み、彼のパトロンになったのだ。最初、食事をしたり贈り物をしているうちは、まだ交際費として誤魔化しようもあった。そのうち、その俳優に強請られるまま、公演の為の費用を出したり、彼のディナーショーをカテリーナ主催で行っているうちに、別邸の維持費まで使い込んでしまうことになった。

 お金がなければ俳優は離れていってしまう。しかし、ドレスや宝石だって毎月新しい物が欲しい。生活レベルは変えたくない。


 そんな時に王都で再会したのがミアだった。


 裕福な老男爵に嫁いだミアは、お金だけは唸るほど持っていた。ミアからの支援を受け、カテリーナは俳優のパトロンを続け、生活水準もキープできた。しかし、それはミアが男爵夫人であった時までだった。


 老男爵が病死し、ミアが未亡人になると、前妻の子供達がミアから全てを取り上げたのだ。ミアは、カテリーナに今まで支援した金額の全額返済を求めてきた。

 もちろん、カテリーナに返すあてなどない。


 そこでミアに提案したのが息子との再婚だった。後継ぎさえできてしまえば、辺境にいることはないのだし、辺境伯夫人になればデュボン辺境伯家の財産もある程度は好きに動かせる。

 辺境は農業畜産には向かない土地だが、魔石(魔獣の核より精製)による収入はかなり大きかった。デュボン辺境伯家の財産を手に入れられるとしたら、ミアが貸してくれた金額など些少ではないかと、ミアに話を持ちかけた。


 ミアも、まだ若い少女の時は、エドガーの傷ついた顔が恐ろしく醜く感じ、エドガーの婚約者であることから逃げ出してしまったが、あんな皺くちゃのジジイしか嫁ぎ先がないのなら、まだ若く逞しいエドガーの方がマシだったと泣くほど後悔したものだった。

 いつの間にかエドガー自身や彼との思い出が美化されるようになり、エドガーがいまだに結婚していないのは、最初の婚約者である自分のことが忘れられないからだ。自分達は愛し合っていたのに……などと、記憶が捏造されるにまで至った。


 そんなミアがカテリーナと再会し、エドガーの嫁になって欲しいなどと言われれば、それはもう、あんなに嫌っていた辺境にだって足を運ぼうというものだ。


「奥様、デュボン辺境伯様は、聖女様を娶られたと聞きます。彼女は敬虔な神の信徒であり、慈悲深い聖女として有名な方です。是非、彼女に会い、その慈悲深いお心で教会に寄付を賜われればと」

「慈悲深い?あの娘が?」


 カテリーナは鼻で笑う。


 若いというだけで、無骨で女慣れしていなエドガーを誑し込んだ悪女。


 カテリーナのエマに対する評価だ。北の館に訪問した時、たかだか平民のしかも孤児の分際で、階段の上からカテリーナを見下ろし、さらにはカテリーナ達を鼻で笑った無礼な女。あれが慈悲深い聖女とは、詐欺師と言っても過言ではない。


「民草の聖女様信仰は絶大です。何故か辺境の民達は、自分達の領主が聖女を娶ったと知らないようですが、彼女が神殿の為に祈ったと知れば、寄付金だってザクザク集まるでしょうに。せめて、聖女様として教会のシンボルになってさえくだされば……」

聖女でしょ」

「それでもですよ。聖女は蘇生まで行える存在。つまり、何でも彼女に願えば叶うと、平民達は夢を見ているんです」

「じゃあ……、聖女が無能だと、聖女に祈っても何も叶わないとわかれば?」


 神官は、下品に大口を開けて笑った。


「暴動が起こるかもしれませんな。下手したら、血祭りですよ」


 カテリーナは良いことを聞いたとばかりに、ニターッと笑みを浮かべる。


「神官様、私も神殿に寄付がしたくなりました。しかし、手持ちの金貨がないので、これを」


 カテリーナは、ゴテゴテとつけていたアクセサリーから、ネックレスを外して神官の前に置く。


「ほう!これはまた立派な宝石がついておりますな」

「ええ。家宝の一点物のルビーですの」

「そんな貴重な物を……。奥様に神の加護を」


 神官はわざとらしく祈りを唱え、ネックレスを鷲掴みにする。


「奥様、それで辺境伯家からの寄付金の件は?」

「私からエドガーに伝えましょう。あなたにお会いするには、神殿へ行けば良いのかしら?エドガーからの良い返事をお持ちいたしますわ」

「本当ですか?!私は、デュボン辺境伯領に派遣されております司祭ユタヤと申します」

「まぁ、司祭様でしたのね。これは失礼いたしました。もしよろしかったら、お夕飯でもご一緒にいかがかしら?」

「ぜひ、ご馳走になりましょう」


 脂ぎった神官と、悪巧みを思いついた元辺境伯夫人がタッグを組んだ瞬間だった。


 ★★★


「エマ様って、元聖女じゃないですか?」

「うん?そうみたいだね」

「聖女だった時の記憶って、全然ないんですか?」


 ララがエマの髪を整えながら言う。


「全ッ然!ないね」


 エマはカラカラと笑い、その明るい笑顔に、ララは記憶喪失の人ってもっと深刻に悩んだり、記憶を取り戻そうとするもんじゃいのかと首を傾げる。


「慈愛の聖女とか呼ばれて、第三王子とのラブロマンスも有名じゃないですか。私も、一度だけバイトで観たことあります」

「バイト?」

「モテない男子とデートしてあげるバイトですよ。あの劇の中のエマ様、儚げな雰囲気の中に強い信念をお持ちで、第三王子との恋愛はキュンキュンするくらい純愛で、第三王子が跪いて手の甲にキスをする場面とか、凄く神々しかったんです!ほら、顔はベールで隠れているから、絶世の美女を想像できるじゃないですか」

「あぁ、そう。絶世の美女じゃなくてすみませんね」


 エマはウゲェッという表情をする。それは明らかに劇用に作られた別人である。いや、その神々しいエマ様とやらは、器は同じかもしれないが、中身は本当に別人かもしれないけれど。


「みんな、アレ観て聖女様に憧れたみたいですよ。無駄な感動返せって感じですね」


 エマの頭に獣人のカツラをつけ、外れないようにしっかりととめる。ララは手先が器用だから、すっかりエマのお世話係が定着していた。


「まぁ、劇は脚色してナンボだからね。真実ではないのよ」

「その腕輪だって、聖女の時のですよね。第三王子から貰ったとかじゃないんですか?」

「わかんないけど、違うんじゃん。ってか、もしそうだったら、外れないとか呪いでしかないんだけど」


 私物しか持ち出し禁止だったから、王子からのプレゼントとは思いにくい。


「魔導具は魔導具だったんですよね?」

「そうみたいだね。外して調べられないから、どんな魔導具かはわからないらしいんだけど、魔力を貯めるタイプの魔導具だって。蘇生って、魔力を凄く使うらしいから、魔力切れが起きないように、余剰の魔力を貯めて、いざという時に使う為じゃないかってのが、魔導具課の担当騎士の説明だったよ」


 エマは手首にピッタリとフィットしているブレスレットを掲げて見せた。


「あれ?なんか、ここ、色変わってません?」

「うん?」


 エマもジッと見てみると、確かに地味な白金色のブレスレットだったのだが、なぜか一部赤茶けて変色していた。


「錆びたかな?お風呂入る時も外せないからね」

「錆び……ですかね?」


 この時エマは、このブレスレットが魔力を貯める物だと説明された意味を理解していなかった。


☆★☆第三章 完☆★☆






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