第16話 エドガー帰還

 騎士団が北の森へ討伐に出て十日後、エドガーは先頭に立って討伐隊を引っ張り、誰よりも魔獣を猟った結果、東の洞窟から発生した魔獣の群れは討伐された。


「魔獣の核は回収、それ以外は皆で分配するといい」


 獣人兵士達の活躍を半分以上奪ってしまったエドガーは、報酬が減ってしまった兵士達に自分が倒した魔獣の核(精製して魔石となる)以外を分け与えると言うなり、拠点の撤収を命じて団長自ら撤収作業に従事し、夕方には出発できる状態になった。

 通常ならば夜に森を進むことはしないのだが、松明の準備をして拠点を出発した。

 途中、魔獣を討伐しながら進み、森を抜けたのは夜も更けた頃だった。


「明日は皆休息してくれ。帰る途中で討伐した魔獣は明日解体、解体された物は一時倉庫へ保管。では、解散」


 エドガーは早口で指示を出すと、早歩きで屋敷へ向かう。


「団長、腹でも痛いのかな?」

「やっぱり、風呂に早く入りたいんじゃないか?」

「いや、奥方に早く会いたいんだろ。何せ新婚だからな」

「そりゃないだろ。奥方って、王都から来たブリブリした若い女子だって言うじゃん。どうせすぐに出て行くだろうし、あれじゃん?獣人の愛人、あっちに会いに行くんじゃないか?」


 いまだに騎士達には、エマはお飾りの妻、獣人兵士キララ愛人説が根強かった。


「でも、屋敷に入って行ったぞ」

「だから、風呂入ってから愛人とこだろ」


 王族と違い一夫一婦制である貴族は、政略結婚で結ばれることが多い為に、愛人を持つことが常識だった。愛人は妻ではないが、第二夫人と呼ばれ、別宅に囲われることが多かった。

 それ故、エドガーに愛人がいる(実際は正妻も愛人も同一人物であるが)という状況も、騎士達にはすんなり受け入れられていた。


 相手が獣人というのは、通常ならば中傷されてもおかしくないネタであるが、白ネズミ獣人のキララは、獣人ではあり得ない程騎士団に貢献しており、彼女の作った不思議な武器は、今回の討伐でもかなり役に立った為、誰も彼女を「獣人ごときが!」と貶す人間はいなかった。


 彼女が提案したお仕事改革は、獣人だけでなく騎士達にも適応されたので、騎士達の給料もアップしたのことが、獣人とはいえキララが騎士達にも認められている要因の一つかもしれない。


「そういや、俺、この前にキララにバク宙とかいう技を習ったぜ」

「俺は手裏剣の投げ方習った」

「俺は木の枝の飛び移り方」

「……あいつ、王都のブリブリ正妻より、よっぽど辺境伯の……騎士団長の嫁に向いてんのにな」


 残念だ……とばかりの騎士達の声は、すでに屋敷に入ったエドガーには届かなかったし、すでに北の塔で健やかな眠りについているエマにも届かなかった。


 その頃、すでに寝静まった辺境伯邸の自室に向かったエドガーは、まずは十日間水浴びしかしていない為に貯まった汚れを落とそうと浴室へ向かった。


 夫人の部屋で休むエマの顔を一番に見たかったが、顔を見てしまったら新品のベッドに連れ去り、歯止めがきかない予感しかしなかったから、まずはシャワーを優先した。

 愛しの妻を抱き締めた時に、臭いと顔を背けられたら、ショックで立ち直れなさそうだからだ。


 厳つい顔をして、繊細な面のあるエドガーであった。


 シャワーを浴び、ガウンを羽織ったエドガーはそっと内扉から夫人の寝室に入った。暗い為よくわからないが、模様替えをしたのかベッドの位置が変わっている。


(なんだ?部屋の雰囲気も何やら違うような……)


 立ち止まり、不審そうにエドガーが目を凝らして部屋を見回していると、人が入ってきたのを感じ取ったのか、ベッドの上の膨らみが身動きした。


「……エドガー?」


 エドガーはその声を聞いて、ベッドの横の明かりをつけた。


「誰だ、おまえ!」

「エドガー、会いたかったわ。愛しい人」


 ベッドに寝ていた女が起き上がり、薄手の夜着を隠すことなくエドガーに抱きつこうとした。


 エドガーは情け容赦なく、女を突き飛ばした。倒れた先がベッドであった為、女は怪我することなくベッドに転がった。

 金髪がベッドに広がり、女はあられもない姿を晒したが、エドガーは厳しい視線を崩さなかった。


「ここは俺の妻の部屋だ。エマはどこだ!」

「あら、平民の女に辺境伯夫人は勤まらないでしょ。王命で無理やり結婚させられて可哀想なエドガー」


 女はシナを作り、わざと乱れた夜着を直すことなくエドガーを見上げた。

 その紫色の瞳を見て、エドガーは自分の顔の傷を見て悲鳴を上げ、嫌悪感いっぱいにそらされたあの瞳を思い出した。


「ミアか……」

「そうよ。あなたの婚約者だったミアよ。私、あの頃は幼過ぎたの。大切なあなたの顔に傷痕が残るのが耐えられなかった。だから逃げ出してしまったの。でも、いつでもあなたを思っていたわ」


 まるでそれが真実のように語るミアは、エドガーを見ているようで自分の言葉に酔っているだけだった。


「十二歳から四年間、あなたの婚約者として辺境で過ごしていたから、王都に戻った私は疵物扱いされたわ。そのせいで金持ちだけど父親より年上の男爵の後妻にしかなれなかった。あぁ、あなたのせいじゃないわ。気にしないで」


 勝手に出て行ったのはミアだが、彼女が出て行ってくれたおかげで、今、エマと結婚することができた。それはありがたい話だ。


 エドガーは昔、辺境伯の後継ぎとして、結婚にはなんの感情もいだいていなかった。母親に言われるままに婚約し、後継ぎを残す為に結婚するだけ。相手が誰でも変わらず、ミアが去った後に来た女性達にも特別な感情が生まれることもなかった。


 エマだけが違った。


 自分を恐れないその瞳、表情豊かで思いもよらないことを考えたり、その行動はビックリ箱のようだった。行動力があり、発想も豊か。

 エドガーの傷に頓着しないように、誰に対しても態度が変わらず人懐っこい。

 酒にからきし弱く、酔うと……。


 エドガーはエマとのアレやコレやを思い出して、つい表情が弛みそうになる。それを何か勘違いしたのだろう。ミアが前のめりになり、胸元を強調させて上目遣いで見てきた。


「でもね、旦那様が亡くなって、未亡人になったの」

「それはご愁傷さまだったな。しかし、だからといってここはおまえのいる場所ではない」

「あら、お義母様は私を辺境伯夫人にとおっしゃって下さってるわ。もう結婚はしたのだから王命は果たしたでしょ。離婚して私と再婚すべきよ。それがお義母様のお考えですもの」


 これ以上、ここで無意味に時間を潰すことにうんざりしたエドガーは、くるりと踵を返すと、内扉から自室に戻り初めて鍵を閉めた。


「エドガー?エドガー!」


 内扉の取っ手がガチャガチャ回され、開かないとなるとドアがドンドン叩かれる。


 エドガーはガウンから部屋着に着替え、セバスチャンにエマの場所を聞きに行こうとした時、廊下に続く扉が叩かれてセバスチャンが入ってきた。


「伯爵様、お早いお帰りでお出迎えできずに申し訳ありませんでした」

「いや、それよりもエマは?いったい何があった?」

「それが……」


 セバスチャンの説明を聞き、エドガーの額に青筋が浮かぶ。


「エマを北の館に追いやったというのか!」

「私達使用人も、北の館に移りまして、本邸は大奥様の連れていらした使用人達が仕切っております」

「すぐに北の館へ向かう」


 セバスチャンがエドガーにマントを手渡し部屋を出ると、騒ぎを聞きつけてやってきたカテリーナと、ガウンを羽織って夫人の部屋から飛び出してきたミアと遭遇した。


「エドガー、お久しぶりね。まぁ、随分とお父様に似てきて……。その傷さえなければ、瓜二つではなくて」


 十年ぶりに会った母子の再開。


 ウルウルと目を潤ませているのはカテリーナだけで、エドガーは冷めた視線を母親に向ける。


「母上、随分と急な訪問ですね」

「まぁ、ここは私の屋敷でもあるでしょ。自分の家に帰るのに、誰の許しがいるというの?」


 カテリーナはエドガーに寄り添うと、その胸に手を当ててエドガーを見上げる。その瞳は、エドガーの中にエドガーの父親を見ているようで、息子に向ける視線ではなかった。


「母上、離れていただきたい。今のデュボン辺境伯は俺で、この屋敷の主は俺と俺の妻のエマだ」

「ああ、それね。その平民の女だけれど、あなたに相応しくないから別れなさい。ほら、代わりにミアちゃんを妻にするといいわ。王命でしょうがなく妻にしたんでしょうけど、私が王に進言しましょう。私、第二妃とはお茶会などで親しくさせていだいてるの。きっと撤回してもらえるわ。まぁ、もう一度は結婚したのだから、それだけで十分でしょうけど」


 エドガーは溜め息をついた。


 今まで、エドガーが母親の送り込んでくる婚約者候補を無言で受け入れていたのは、ただたんに貴族の責任を果たそうとしたからだ。

 カテリーナは、エドガーが自分の言う事は全て聞くと勘違いしているようだが。


「婚姻を覆すことはない。もし王命で別れろと言われても、俺はエマを手放すことはない」


 これ以上話すことはないと、エドガーがカテリーナ達の横を通り過ぎようとすると、ミアがエドガーの腕にしがみついてきた。


「あんな平民女、第二夫人にすればいいのよ。貴族の妻は貴族でなければ」

「エマを愛人に?」


 エドガーは腕を振り払った。ミアは吹っ飛び、カテリーナにぶつかって二人で床に転がった。


「寝言は寝てる時だけにしろ。母上、これ以上くだらないことを俺の耳に入れるようならば、今までと同じような生活はできないと思っていただきたい」


 エドガーは暗に支援を打ち切ると言っていた。


「エドガー!」


 ヒステリックなカテリーナの呼びかけにも、エドガーは振り返ることなく、愛しい妻の待つ北の館へ急いだのだった。







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