第14話 これが推しの母……いや、ただのおばさんだわ

「あなたが?」


 場所を移動し、応接室のソファーに女性二人と向かい合って座っていた。エマの後ろには新参の侍女であるララとイリアが立ち、女性二人の後ろにはアンとセバスチャンが立ち、一見お茶会の様子を呈しているが、誰もお茶に手をつけていない。


「エマ・デュボンです」

「まぁ!デュボンを名乗るなんて、なんて図々しい」


 結婚前の名字、ブランシェと名乗れと言うのだろうか?しかし、ブランシェという名字は、聖女になり第三王子と結婚する為に、ブランシェ伯爵家に養女になったから貰った名字で、ブランシェ伯爵家とは縁もゆかりも無ければ、伯爵と会ったことすらなかった。

 元は孤児院育ちのエマ、その名前さえ院長様が適当につけた名前だ。


「大奥様、エマ様は王命により辺境伯エドガー様の元に嫁いでいらした、れっきとした辺境伯夫人です。婚姻成約書も提出済みですので」

「まぁ、セバスチャン。執事ごときが前辺境伯夫人になんて口のききようかしら。王命とはいえ、前辺境伯夫人である私の許しなく、婚姻が結ばれるなんておかしいわ。これは無効よ。ええ、私が許可してませんから」


 この女性二人、名乗られてはいないが、赤髪で鳶色の瞳の中年の女性は、信じれないがエドガーの母親で間違いなさそうだ。あの物静かで威厳漂う北方辺境騎士団団長の産みの親が、この白塗りババァ……もとい少ーしばかりお化粧が濃すぎて皮膚呼吸ができているのか怪しい御婦人だとは、とても信じられない。


 しかし、髪の色だけは推しと同じ色で、エマはただひたすらその赤い髪の色にだけ視線を合わせた。


 頭の中では「推しの母、推しの母、推しの母……」とつぶやき、なんとか笑顔を保っている。


「第三王子殿下の元婚約者?ということは、第三王子のお手つきを押し付けられたのね。まぁっ!デュボン辺境伯家も馬鹿にされたものだわ。旦那様が生きておられた時は、王家からこんなに蔑ろにされることはなかったのに」


 お手つきではない。


 もちろん、聖女であった時の記憶がないのだから、なんで断言できるんだって話だが、エドガーが「乙女で間違いない」って言ったから間違いない筈だ。酔っ払って記憶にはないが、あんなところにあるエマの黒子の位置まで知っているエドガーが言うんだから。


 しかし、じゃあ証拠を見せろと言われても、何をどうすれば証拠になるのかわからないから、黙って聞き流した。


「あら、カテリーナおば様。第三王子殿下だけじゃないかもしれませんよ。何せ、元聖女といえば孤児院出身の平民上がりで有名ではないですか。孤児なんて、身体を売るくらい平気でしそうですもの」

「しそう……ということは、あなたの主観ですね。良いお年をして、予想で喋らない方がいいですよ。全ての孤児の統計でもとりましたか?あなたはこの辺境に何人の孤児がいて、どのように生活しているか知っているんですか?」


 ララが綺麗な顔をニコリともさせずに言った。


「ま!侍女の分際で主人の話に口を挟むとは、なんて下品なんでしょう!私が辺境にいた時はこんな侍女はいませんでしたのに。カテリーナおば様、こんな侍女は解雇した方がよろしくってよ。紹介状も出す必要ないわ」


(この人も辺境にいた?金髪に紫色の瞳、紫?私よりも濃いけど、似てなくもない……のか?)


「ミア様、ここにいる侍女達はデュボン辺境伯家ではなく、エマ様と契約しております。解雇の権利はエマ様にしかございません。ララ、エマ様の顔を潰すような発言はよろしくありません。ミア様に謝罪をしなさい」


 セバスチャンが間に入り、ララに一言謝らせて場をとりなそうとするが、ララは冷ややかに客を見るだけだった。


(ミア?ミアって言った?)


 乙女ブリブリなフリルの洋服、紫色の瞳、ミアという名の以前辺境伯邸にいた女性、全ての情報がこの女性がエドガーの元婚約者であると告げている。


(エド、趣味悪過ぎない?!この人が手に入らない女性?エエーッ?!)


 初めて、全て尊いと思っていたエドガーの、推しきれない一面(注:エマの勘違い)を見た気がして、エマは残念な表情でミアを見た。それを馬鹿にされたと考えたのか、ミアはキッとエマを睨み付ける。


「私はミア・ガーネル男爵未亡人。侍女の無礼はあなたの責任ですわ。私はあなたの謝罪を要求します」

「そうね。侍女が謝ったってなんの意味もないわ。あなた、ミアちゃんに頭を下げて謝罪なさい」


 男爵未亡人?!子爵令嬢って聞いていたが、いつのまにか結婚してしかも未亡人になっていたらしい。


「謝罪……ですか?そうですね、お義母様と男爵未亡人が先に私に対する無礼を謝ってくれるのなら、私も謝りますよ。私は孤児ですし、第三王子の婚約者であったことは確かですけど、あなた方が言ったようなことはありませんから」

「まぁ!まぁ!まぁ!私達に謝罪を要求するなんて、なんて厚顔な!だから、マナー講師など雇おうと思ったのね」


(さっきからまぁまぁまぁまぁうるさいな。厚顔って、自分の厚塗りの顔をさしおいて何言ってんだか)


「大奥様、マナー講師の件、なぜご存知なのでしょうか?」

「ランスレー子爵夫人とは一ヶ月前の夜会でお会いしたの。そうしたら、辺境にマナー講師として呼ばれているとおっしゃるじゃない。しかも、デュボン辺境伯夫人が生徒だと言うではないですか。私はそれで初めて息子の結婚を知ったのですよ。全く、恥をかかされたわ」


 カテリーナは立ち上がると、持っていた扇子でピシャリとセバスチャンの頬を叩く。


「何を?!」


 エマが立ち上がって抗議をしようとすると、セバスチャンは視線でそれを宥めて深く腰を折った。


「大奥様、伯爵様のご結婚は王命。ご成婚後、その内容を知らせるお手紙をお出しいたしましたが、ご覧になられていないのでしょうか」

「知らないわ!私は見ていないから」


 カテリーナの王都における住まいは、デュボン辺境伯家の別邸になるのだが、遊び歩いている(本人は無骨なエドガーの代わりに社交をしているのだそうだ)せいで、彼女に届く手紙はほぼ見られることなかった。使用人達にも、夜会や茶会、観劇の誘いの手紙を優先させるように言ってある為、辺境から毎月届く定期報告も封すら開けられたことがなく、エドガーとエマの結婚を知らせる手紙もその中に紛れてしまったのだろう。


 別邸の様子の報告を受けているセバスチャンには、手紙の行方など容易に想像できたが、大人な対応でカテリーナを宥める。


「それは申し訳ございませんでした。ご祝辞が届かない時点で、手紙が紛失したなどの不備を予測し、再度お知らせしなかった私の不手際でございます」

「ふん!読んでいたとしても、祝辞など送る筈もないけれどね。元聖女なんて、身分の卑しい平民じゃないの。私はこの結婚は反対です。子爵夫人にも、うちにはマナーを習わなければならないような嫁はいないからと、講師の話は断りました」

「反対と申されましても……」


 カテリーナは視線でミアを立たせた。


「ミアちゃんには不幸なことですが、半年前にガーネル男爵が病死いたしまして、ミアちゃんは未亡人になったんです。回り道をしてしまいましたが、私は彼女を次期デュボン辺境伯夫人にと考えてます」

「「ハァッ?」」


 イリアとララが同時に声を上げ、セバスチャンはアンに目配せして、余計なことを言う前に二人を下げさせようとした。しかし、アンも二人と同様に無表情ながらコメカミに青筋が浮かび上がっており、怒り心頭な様子を隠せていない為に諦めた。

 そういうセバスチャンは年の功だけあり、上手に感情を隠しているが、デュボン前辺境伯夫人の言うことを聞く気はさらさらなかった。なにせ、今のデュボン辺境伯はエドガーで、エドガーが自分の主だからだ。


「エドガーが帰ってきたら、離婚の手続きをしますから、それまであなたがこの屋敷にいることは許可します。けれど、あの部屋を使うことは許さないわ。あそこはミアちゃんの部屋になりますからね」

「大奥様、先程も申し上げましたが、この結婚は王命です。これを違えるとなると、デュボン辺境伯家が王国に謀反の意ありと言われかねません」

「カテリーナおば様、それならばこの娘には第二夫人の座を与えれば良いのでは?別に、王命に正妻じゃなきゃいけないなんてないでしょ。正妻は私。私は王都でデュボン辺境伯家の為に社交をしてさしあげるから、この娘は辺境にいればいいわ。その代わりに、年に二回の社交の時期はエドガーに王都にきてもらい、後継ぎはその時に作ればいいでしょう」


(第二夫人……やっぱり一夫多妻制なのか、この世界)


「第二夫人って、つまりは愛人じゃん。王族じゃあるまいし、普通の貴族に重婚は認められてないでしょ」

(え?そうなの?)

「そうそう。それに、前に古参の使用人に聞いたんだけど、伯爵様の最初の婚約者は辺境が嫌で逃げ出したって。辺境が嫌なだけなのに、王都で社交をしてさしあげるって、何その上から目線」

「それにエマ様のことお手つきとか言って、自分は男爵未亡人?お手つきどころかお古じゃん」

「ちょっと、ララ、イリア」


 いきなり世間話をするようにミアをこけおろしだした侍女二人に、エマは白黒させる。

 エマ的にはじゃんじゃん言ってもいいよ……なのだが、二人は平民だし、不敬罪とか言われたら大変だと思ったのだ。もちろん、全力で守るつもりはあるし、なんなら自分がさらにこけおろすようなことを言って、ミア達の怒りを自分に集中させようかと思ったくらいだ。


「まぁ!まぁ!まぁッ!この娘達はクビよ!とっとと追い出しなさい」

「カテリーナおば様、私、こんなに侮辱されたことありません!クビだなんて生温い!不敬罪で牢屋にいれてください」


(ウワッ、出たよ。不敬罪!でも不敬罪か……)


 カテリーナとミアのキンキン声に、エマは耳を押さえたくなるのを我慢してセバスチャンに向き直った。


「あの、セバスチャン。ちょっと聞きたいんだけど」

「はい、なんでも」

「私はこのおばさんが認めないと、結婚は撤回になったりする?」

「おば……」


(もうお義母様だなんて思わないもんね。いくらエドの母親でも、うまくやってける気がしないし)


 カテリーナは、エマのおばさん呼びにポカンと口を開いている。


「なりませんね。正式な誓約書を交わしておりますから」

「じゃあ、この人達がなんと言っても、私はデュボン辺境伯夫人なんだね。じゃあさ、辺境伯夫人と男爵未亡人じゃどっちが偉い?辺境伯夫人と前夫人は?」

「それは断然辺境伯夫人ですね。男爵は、貴族の中でも一番家格が低いですから。また、今の辺境伯夫人はエマ様ですから、前夫人に権力はありません」


 エマは侍女二人の前に仁王立ちのように立ち、腕を組んだ。


「じゃあ、うちの侍女を不敬罪で訴えるってんなら、私はそこの男爵未亡人と前夫人を不敬罪で訴えるよ」

「「まぁッ!!」」


 カテリーナとミアは、目を見開いて信じられない者を見るようにエマを見た。


「さようですか。では、騎士団を呼ばないと。確かに、辺境伯夫人に対して、身体を売っていたなどと不敬にも程がある発言をなさっておりましたしね。ララとイリアは主人を擁護したとはいえ、辺境伯家の侍女としては口が過ぎましたので、謹慎処分にしましょう」


 セバスチャンはベルを鳴らして侍従を呼ぶと、騎士を呼ぶように伝えようとする。


「セバスチャン!」

「はい、大奥様」


 怒りで戦慄いているカテリーナは、扇子をセバスチャンに投げつけた。扇子はセバスチャンの額に当たったが、セバスチャンは気にするでもなく頭を下げる。


「不愉快だわ!部屋に案内なさい。あなた、エドガーが帰ってきたら覚えておきなさいよ!」


 エマを睨みつけ、カテリーナはセバスチャンに呼ばれて来た侍従を突き飛ばして応接間を出て行く。


「カテリーナおば様!」


 ミアもバタバタとカテリーナを追いかけて応接間を出て行った。


「ララ、イリア」


 それまで無言で立っていたアンが、ララとイリアに声をかけ、二人はビクリと肩を震わせる。


 二人の直属の上司はアンで、侍女は常に感情を出さずに主に仕え、空気のような存在でなければならないと言われてきた。仕事中でも仕事外でも無駄口を叩くな……とも言われてきたのだから。


「「はい、アンさん」」


 二人にとってこの中で一番怖いのは、エマでもセバスチャンでもなく、アンであった。


「謹慎中に、侍女の心得を清書してらっしゃい」

「「はい!」」

「謹慎は明日の昼まで。それ以上はエマ様のお世話に支障がでるから無理。父さんいいわよね?」

「「父さん?!」」


 ララもイリアもアンとセバスチャンの関係を知らなかったようだ。二人で顔を見合わせ、「似てる?」「鼻?鼻筋かな」とかボソボソと話している。


「エマ様がよろしければ」

「謹慎なんか別に必要ないけど、そうだ!ここにあるお菓子、全然手を付けてないからお土産で持って帰りなよ。イリアは、家にあんま戻ってないじゃん。妹弟にお菓子持ってってあげれいいじゃん。ララも、グループの子らに持っていきな。足らなかったら、サントスに言えばいくらでも作ってくれるよ」


 謹慎というよりも、ただの里帰り、ララに至ってはただの早上がりに遅出になっただけであった。


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