第3章 お呼びじゃないお客様

第12話 衝撃の事実

「行ってらっしゃい、気をつけて」

「あぁ、行ってくる」


 エマは伸び上がってエドガーの頬へキスをした。


 スタンピードとまではいかないが、北の森を巡回していた兵士が魔物の群れを確認した。その為、騎士団の中で魔獣討伐隊が編成され、エドガー指揮の元、二週間予定の魔獣討伐が行われる。


 もちろん、エマは待機だ。エマは、自分に魔力チートも剣術チートもないことを知っている。剣一本で魔獣を倒して魔法の世界で無双する!……なんて、どこかの小説にありそうなことは自分には起こっていない。逆に、聖女というチート能力がなくなったのだから、マイナスもいいところだ。

 自分がついて行ったら、明らかに邪魔にしかならないのがわかっているから、討伐隊に入れてくれなんて無謀なお願いはできない。できないが、やはり自分の知らないところでエドガーに何かあったら……と考えると、不安でしょうがないのだった。


「屋敷を頼んだ」

「うん」


 エドガーからも軽いキスをもらい、ギュッとハグされる……が、いつまでたってもエドガーの腕に囲まれたままで……。


「伯爵様、もうそろそろ行きませんと」


 セバスチャンに促され、エドガーは渋々エマから離れる。


(エドガーも不安なのかな?中型の魔獣の群れと聞いているけれど、もしかしたら凄く獰猛な種類の魔獣の群れだったとか!)


「……明日届くのに」


 眉間にグッと皺が寄り、いかにも悲壮感漂うエドガーの表情に、エマの不安がより大きくなる。


(けど、明日届くって?何が?)


 もし討伐に必要な物が明日にならないと届かないというのならば、私が明日届ける!……という気概を持って、エドガーの制服を掴んで引っ張ると、エドガーは大きな溜め息を吐いて、もう一度ハグしてきた。


「明日、ベッドが届くのに……」


 職人の拘りから、ある特別な木材を使いたいからと、エドガーのベッドを注文してから三ヶ月、いまだに主寝室にはベッドがなく広々としていた。エドガーも、初夜は新しいベッドで……と言ってしまった手前、エマの狭いベッドで一緒に寝ていても、キスをしたり抱きしめたりするだけで、夫婦としての交わりはまだなかった。


 エドガーの我慢はすでに限界突破しており、触れれば切れるナイフ並みにギラギラしている。

 その殺気立った様子に、獣性の強い獣人などはエドガーに近寄れないようで、イアンなんかはエドガーが近寄ってくるのを感じると、耳をペタッと後ろに倒して、エマの後ろから前には出てこなくなってしまう。その点、イリアの方が顔面蒼白、ガタガタ震えながらではあるが、エドガーの前に立てるので、イアンより大物なのかもしれない。


 それにしても、これから討伐に行くというのに、出かける間際の言葉がこれって……。


「ベッドって……」


 ポロッと溢れたエドガーの言葉を拾い、エマは驚きのあまりエドガーの顔をマジマジて見てしまう。


 この苦渋に満ちた表情が、討伐に対する不安とかではなく、まさかの初夜が遅れることに対する不満だったなんて。


「いや、別に、なかなかベッドが納入されないことに苛立ってなんかないし、そのベッドがやっと届くのに討伐に行かなきゃいけないことに不満なんかないぞ!」


(なんか可愛くない?可愛い過ぎない?渋くて格好いい旦那様が、まさか私との初夜を楽しみにしてくれてたなんて!毎晩腕枕にドキドキしているのは私だけで、エドガーはてっきり余裕かまして高鼾なのかと思ってたよ)


 逆である。

 ムラムラしてなかなか眠りにつけなかったのはエドガーの方だ。


「エド、無事に早く帰ってきて。帰ってきたら、新しいベッド二人で使おうね」


 エマがエドガーにだけ聞こえるようにそっと耳打ちすると、エドガーはゥグッと喉を鳴らし、大きく頷いて踵を返した。


「十二日……いや十日で討伐完了して帰る」


 エドガーが屋敷から出ていくのを見守っていたエマの後ろで、イリアとララがボソボソとつぶやく。


「あの様子だと、一週間くらいで殲滅して帰ってきそうだね」

「さすがに伯爵様一人が強くても、騎士団率いて行くんだから、進む速度とかもあるでしょ」

「いやぁ、徹夜で討伐とかしそうじゃない?」

「だから、他の騎士がついてこれないって。今回は、イリアのお兄さんも討伐組に入っているんでしょ」

「まぁね、獣人兵士は討伐に参加しないと歩合が発生しないからね。じゃんじゃん討伐行って稼いでもらわないと」


 獣人兵士の基本給は低く、魔獣や盗賊の討伐により歩合が発生する。

 しかし、騎士団が討伐隊を結成して北の森に魔獣や盗賊を討伐に行くのは、今回みたいに巡回によりスタンピードになりそうな魔獣の群れを確認した時だけで、月に数回あるかないかだ。

 ゆえに、獣人兵士達は北の森の巡回に率先して向かい、巡回中に見つけた魔獣を個別に討伐して、給料アップをはかるのである。

 しかし、エマの護衛も任されているイアンは、エマを連れて巡回に行く訳にもいかない。獣人兵士の給料の他に、護衛分の特別手当がついてはいるが、やはり他の兵士達が魔獣何頭倒したから今回の給料は期待できる……なんて話ているのを聞くと、「アーッ!俺も魔獣倒しに行きてえッ!」と爪がうずくのはどうしようもない。


 そして今回の討伐の間、エマは獣人キララになることを禁じられた。


 エドガーが討伐に出てしまい目が届かないからという理由と、イアンが「俺が討伐に行っている間にキララになんかあったら、職務放棄で俺が伯爵様に殺されるから、絶対に騎士団にくるんじゃねぇ。二週間くらい、大人しく辺境伯夫人してやがれ」と、普通ならば不敬罪で首を斬られてもおかしくないようなことを、堂々と言ってきたからだった。


 セバスチャンにも、そろそろ辺境伯夫人としての礼儀作法や知識を学んで欲しいと言われていたので、この二週間は騎士団には顔を出さずに、侍女二人と共に礼儀作法のレッスンを受けることにしたのだ。


「エマ様、お昼前にマナー講師の方がいらっしゃいますから、部屋にいらしていただけますか」


 エドガーの姿が見えなくなると、セバスチャンが扉を閉めてエマに言った。


「うん、今日は部屋にいるから大丈夫よ。ところで、マナーの先生ってどんな人?怖い?」


 気難しいオールドミス、アルプスの少女ハ○ジのロッテン○イヤー女史みたいな人をイメージし、エマはゾゾッと身を震わせる。


「そうですね、厳しいとは聞きますね。子爵夫人なのですが、現王妃のマナー講師も勤めたと聞いてます」

「現王妃って?」


 第三王子との結婚式の時に王も王妃もいたんだろうけれど、あの時は意味もわからずパニック状態だったからほとんど記憶がない。その後も、婚約破棄を言われた時にも王妃みたいな人もいた気がするが、第三王子の俺様っぷりが酷過ぎて、それ以外は全く記憶に残っていなかった。


 あの王子の母親にマナーを教えた人……って、それだけで大丈夫?って思わなくもない。


「エリザベス第一妃です」

「第一妃?」


(まさか、まさかだけど、この世界って、一夫多妻制?!)


 獣人兵士や屋敷の使用人達などの話を聞いていても、奥さんが二人いるなんて話は聞かなかっから、一夫多妻制が普通の日本人としての記憶しかないエマにとって、まさかこの世界が一夫多妻制だなんて思ってもみなかった。

 しかし、わざわざ第一夫人と言うからには、第二、第三夫人もいるんだろうと想像できて、その衝撃の事実にエマは部屋に戻ろうとしていた足がピタリと止まってしまう。


「エマ様、急に立ち止まっては危ないですって」


 瞬時に反応できたイリアと違い、すぐ真後ろを歩いていたララは、エマにぶつかりそうになって文句を言う。


「ごめん。セバスチャン、妃様って何人いるの?」

「今の王さまの妃様は三人でしょ。皆様、王子様をお産みになってるから、どなたも次期国王母になりえる方々よね。エマ様ったら、そんなことも知らないの?孤児の私だって知ってる常識よ」


 ララが得意げに答え、一言多いララをイリアか小突く。


「第一妃様のエリザベス様には王太子のアーチ様と唯一の姫君のサーシャ様、第二妃のミランダ様には第三王子のチャールズ様と第四王子のトーマス様、第三妃のサーシャ様には第二王子のベン様がいらっしゃるんですよ。ですから、今回のマナー講師の方はエマ様の元婚約者のチャールズ様とは派閥の違う、第一妃様系列の方ですからご安心を。王妃様だけではなく、王太子や姫様にもマナーをお教えした大家ですから」


 セバスチャンが丁寧に説明してくれて納得する。人に指を差して婚約破棄を言いつけるような俺様王子の母親のマナー講師だったら信用もできないが、エドガーがそんな人物をエマの講師に決める筈がなかった。

 一夫多妻制についてエマが聞こうとした時、ララが先にセバスチャンに詰め寄った。


「ねぇ!ちょっと、王子が元婚約者ってどういうことよ?!」

「話しておりませんでしたか?エマ様は元聖女様です。聖女の力と共に記憶もなくされておりますが」

「「エェッ?!」」


 屋敷中に侍女二人の声が響き渡り、セバスチャンはこの二人にも教育が必要だと、再認識するのだった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る