第9話 新婚生活の明と暗
「なんか、最近の団長……いつもより鬼気迫るものがないか?」
「それに比べて副団長、地に足がついてないっていうか、明らかに浮かれてるよな」
騎士達がボソボソとエドガーとルイスを見比べて話している。
新婚の二人の明と暗。
エドガーは、いつも通り……いやいつも以上に鍛錬に精を出し、ギリギリまでストイックに身体を追い込んでいた。まるで、わざと体力を削っているかのように見えた。
そのおかげで、さらに身体に厚みが出て、元から逞しい身体つきだったのが一回り大きくなったようだ。そして精悍な顔つきは更に引き締まり、強面度までアップした。
それに比べ、副官のルイスは金髪碧眼の絵に描いたような優男風の美丈夫だ。騎士団副団長なので、それなりに逞しい体躯をしているが、魔法よりも剣技を重視するエドガーと違い、魔法も剣技もバランスよく使いこなすルイスは、スマートなタイプの魔法騎士だ。金髪碧眼と見目も良い為、ルイスファンの女子は多いのだが、長年婚約していた婚約者と最近晴れて結婚できたとかで、浮かれに浮かれていた。
「団長、顔色悪くないですか?」
「別に体調に問題はない」
エドガーは眉根の皺を深くさせ、タオルで汗を拭う。第一鍛錬場では、騎士も獣人兵士も入り乱れて打ち合いの稽古をしていた。武器も様々で、今までの整然としていた騎士の訓練風景とは一風異なっている。
パワー系獣人やスピード系獣人との乱取りは、騎士達のレベルをかなり底上げさせた。
「なんか鬼気迫るというか……」
「おまえは浮かれ過ぎだ」
エドガーは、自分の副官であるルイスがアンにべた惚れで、ひたすらお預け状態のまま五年待ち続けたことを知っているから、無事に結婚できた今、多少浮かれたくなる気持ちは理解できる。理解できるが、今は自分がお預け状態をくらっているせいか、無駄に血行の良いルイスを見るとついムカッとしてしまう。
「団長の奥様のおかげです!本当、素晴らしい。慈愛の聖女の二つ名は伊達じゃない!」
「エマはもう聖女じゃないだろ」
「エマ様の助言のおかげで、ただの子種、子育て要員扱いから、ちゃんとした夫婦になれたんですから、エマ様には感謝しかないです」
感無量という感じで涙を滲ませるルイスには、うちの侍女がすまんとしか言いようがない。
ルイスは、ルイス・ハワードから、アンの家に婿養子に入ることで、ルイス・カンテルになった。カンテル家は元はデュボン家の傍流で、歴代デュボン家の執事を勤めてきた。ルイスもいずれセバスチャンの後を継ぐのだろうが、騎士団副団長としても手放せない人材だけに、その時期の見極めが難しい。
エドガー、ルイス共に出来過ぎる人物の為、三番手以降がなかなか育たないのだ。
「エマはなんの助言を?」
「乳母はいらないそうです。経験者と、相談しながら子育てなさりたいそうです」
「子育て?!」
まだ初夜さえ敢行できていないのにと、騎士団団長の時は敢えて感情を出さないようにしていたエドガーが、珍しく声を大きくして聞き返す。
ララが潜り込んだエドガーのベッドを処分し、新しいベッドを発注したのだが、エドガーの使っていた特注サイズは、木材の調達から始めないとならず、出来上がるのに数ヶ月かかるらしいのだ。
つまり、エドガーはエマの小さい(女子としたらゆったりサイズ)ベッドにエマとくっついて寝ているのに、最初にそのベッドでは寝るだけ宣言をしてしまった為、可愛い嫁に手を出せずにフラストレーションを溜めに溜めまくっているという訳だ。
一緒に寝ない……という選択肢がないあたり、拗らせている中年素人童貞だったらする。
「はい。アンは団長のご嫡子の乳母を切望してましたから、同じ時期に妊娠出産を目指してて、俺との婚約も最初は時期がきたら速やかに子作りして、子供が生まれたら、俺主導で子育てするのが婚約の条件でしたし」
「いや、さすがに無理だろ……」
カンテル家の忠誠は理解していたが、さすがに妊娠に百発百中は難しいだろう。
「まぁ、そうでしょうね。今は、団長夫妻よりも早く、人数も多く、とにかく子育てのプロフェッショナルになって、エマ様に乳母に任命してもらうんだと、毎晩怪しい飲み薬を飲まされ、まぁ色々と頑張らさせられて、少々寝不足気味で……」
それは、肌艶を見ればわかる。同じ寝不足気味(可愛い嫁が寝ぼけて抱きついてきたりして、悶々として眠れる訳がない)でも、二人の寝不足の理由は正反対であるのだが。
「ならば鍛錬をしろ。ひたすら剣を振れ。気合で寝不足なんかどうにかなる。俺が相手してやる」
「まぁ、はい。お願いします」
エドガーとルイスは模造刀を手にすると、空いているスペースで打ち合いを始めた。
★★★
エドガーが過酷な鍛錬によりフラストレーションを解消しているその時、いつも以上に元気なエマもまた鍛錬……というか忍者ごっこ?……を楽しんでいた。
「おまえ、実は猿の獣人だろ」
「ネズミですけど」
エマは手近な木の枝に飛びつくと、反動をつけて蹴上がりの要領で枝に上り、さらに象の獣人兵士ダイゾの手の届かない上の枝まで器用に上っていく。
「ウワッ、手裏剣投げんじゃねぇよ。当たると地味にいてーよ」
「煙玉!」
刃を潰した手裏剣を投げていたエマは、手持ちの手裏剣を投げ尽くすと、最近開発したての焙烙玉を投げつけた。
焙烙玉と名付けているが、火薬はないので、衝撃があれば開く簡単な魔導具の中に小麦粉(煙玉)や胡椒(くしゃみ玉)、唐辛子(目潰し玉)、スペシャルブレンド(特製キララ玉)などを仕込んでいた。
以前、革袋に入れて料理長のサントスに作ってもらった特製唐辛子胡椒玉の改良バージョンで、キララが持っているのは対人用に威力を落としたもので、対魔獣用のものも制作中だ。
そして、エマが煙玉だと思って投げた焙烙玉は、煙玉ではなく特製キララ玉だったようで、ダイゾが赤い煙幕に包まれた。
「あ……間違えた」
特製キララ玉はスペシャルブレンド、全てがいい感じで入っている。
ダイゾはくしゃみを連発しながら、目を押さえてうずくまっていた。煙幕が落ち着いたのを見計らって、エマはダイゾの上に飛び降り、クナイをその首に当てた。
「首もらい!私の勝ち」
「ブワックション!クション!ちきしょう!」
「目を擦ったら駄目。ほら、目を洗いなよ」
エマがダイゾの頭の上からジャバジャバと革袋に入れていた水をかける。
「おまえ、大雑把過ぎだろ。クソッ!パンツまでビチョビチョだ」
「アハハ、ごめんごめん。ついでに煙玉のつもりで特製キララ玉投げちゃったのもごめん」
「フンッ!運がいい奴だ。もし煙玉だったら、飛び降りてきたおまえを逆に捕まえてぶん投げてるだろうから、キララの負けだっただろうに」
「ええ!ビックリして、私のこと見失わない?」
「おまえ、煙玉って叫びながら投げたじゃねぇか。何がくるかわかってたらビックリはしねぇだろ」
「そっか」
「魔獣にゃいいが、人間相手なら無言でぶつけろよ」
ダイゾは、シャツを捲りあげて顔を拭いながら言う。
ゴッツイ腹筋が無造作にさらされたが、エマは少しもそれに興味を示すことはない。毎晩、至高の筋肉に包まれて寝ているのだから、それ以外の筋肉に魅力は感じないのだ。
「キララ、おまえいつまでダイゾの上に乗ってんだよ」
「イアン」
肩車のようにダイゾの上に乗っていたエマを、イアンがひょいと抱えて下ろした。
「ダイゾ、タオル。キララ、手裏剣」
ボアがダイゾにはタオルと水の入った革袋を、キララにはキララが使った手裏剣を回収して渡してくれた。
「キララ、明日は俺が勝つからな」
「アハハ、私は誰の挑戦でも受ける」
「アホか」
エマが腰に片手を当て、人差し指で高らかに天を指差しながら言うと、ダイゾはゲラゲラ笑いながらエマの背中をバシンと叩いて次の鍛錬相手にボアを指名し、乱取り稽古を始めた。
「絶好調だな」
「まぁね。イアン、打ち込み稽古する?」
「しねぇよ。ダイゾみたいに特製キララ玉食らいたくねぇからな」
「えー、面白くないの」
「鍛錬に面白さを追求するなよな」
イアンと二人、木陰に行き並んで座ってボアとダイゾの乱取り稽古を観戦する。
「ところでさ、おまえの屋敷に新しい侍女かなんか雇ったか?」
「新しい侍女?いっぱいいるから、古くからいる侍女さんの顔と名前すら一致してないのに、新しい人なんかわかるわけないじゃん」
「おまえ、辺境伯夫人だろ。雇用している人間くらい把握しろよ」
イアンは周りに人がいないのを確認しつつ、声を落として言う。
確かにイアンの言う通りなので、エマは云い返すこともできず、地面を手裏剣でほじくり返す。
「だって、みんな何もしなくていいよって言うんだもん」
「それじゃ駄目だろうが。俺もお貴族様の仕事なんかわかんねぇけど、家族だってみんな何かしら役割あんだろ。父ちゃんは仕事行くし、母ちゃんは仕事と育児だろ。俺らも働ける年齢の子供は働くし、働けないのは学校行ったり家事や家のことやるぜ。一番下の三歳のジアだって、床拭くのが仕事だ」
「イアンちって大家族なんだっけ?」
イアンは指を折って数える。
「俺入れて十一人な」
「十一人○る……」
思わずキララ時代に好きだった漫画の題名をつぶやいてしまったエマは、「この世界には漫画ないなぁ、読みたいなぁ」と無性に漫画が恋しくなる。
「なんて?」
「いや、なんでも。で、一番下が三歳?」
「おう。俺と双子の妹のイリアだろ、一つ下がサマンサ、二つ下がアリアとアリサ、五つ下がライラ、九つ下がハンナ、十一下がミーシャ、ミーナ、ミーテ、んで、末っ子で次男のジアが十二下だ」
(なんか色んなことにツッコミたい!)
「イアンは双子?」
「獣人に双子、三つ子は当たり前だぜ。多産系だからな」
「みんな、イアンみたいな獣耳ついてるの?」
イアンは「馬鹿かこいつ」みたいな表情を浮かべる。獣人兵士が皆獣耳がついているから、それが当たり前なのはわかっていたが、イアンは猫獣人だ。しかも、十人いる弟妹の中で、九人は女の子。猫耳っ娘なのだ。
(見てみたい!イアンの妹ちゃんズなら、絶対に可愛い!)
猫耳っ娘に囲まれる想像をしてホワンとしているエマを見て、イアンは「馬鹿かこいつ」顔から一転、最近の心配事についてダメ元で聞いてみようと、少し真面目な表情に戻して口を開いた。
「あ……、あのよ、無理だったらいいんだけどさ、下働き……水くみとか洗濯とか野菜の皮むきとか……人があんまやりたがらない仕事でいいから、屋敷で募集ってしてないかな?」
「え!イアン、騎士団辞めるの?!」
「俺じゃねぇよ!妹……俺と双子の妹なんだけど、この間仕事クビになってさ。短気っつうか、ちょっとカッとなりやすいっていうか……、仕事長続きしなくてさ。つい先週も、客のこと引っ叩いたらしくて」
話を聞くと、イアンの妹のイリアは姉御肌なところがあるらしく、食堂で働いていたところ、同僚にしつこく絡んでいた客が同僚のお尻を撫でたのを見て、カッとなり頬を引っ叩いてしまい首になったということらしい。他にも、商家の下働きで旦那さんに手を出されそうになり旦那さんを半殺しにしたとか、花屋で客にお尻を撫でられそうになり花瓶で殴り倒したとか……、イアンと双子だから、十五歳にしてすでに二十軒クビになっているらしい。
「仕事の覚えは早いし、手先は器用だから繊細な仕事もできる。掃除洗濯炊事なんか、小さい時からしてるから完璧だし、本人はまだ子供産んでないけど、妹達の面倒も見てるから子育てはプロ級だぜ。一応読み書き計算くらいなら大丈夫だし……」
「採用!」
「獣人だけど、俺等は猫族だから爪だってしまっとけるから安心だし、いざとなれば下手な新米騎士よりはすばしっこくて……」
「だから、採用だってば」
「え?」
まさか、すんなり辺境伯邸で雇って貰えるとは思っていなかったのだろう。イアンは、自分の耳を疑ったようで、耳をパタパタ動かしていた。
「一応セバスチャンにも聞いてみるけど、私の侍女でどう?」
「ハァッ?!わかってんのか?俺の妹だぞ」
「わかってるよ。猫獣人の……何ちゃんだっけ?」
「イリアだよ。おまえ!……辺境伯夫人だろが。獣人の侍女なんか普通雇わねぇよ」
声を大きくしたり小さくしたり忙しいことだ。
「……普通の辺境伯夫人ならね。でもほら、私だから」
「まあ、そうだな……じゃねぇよ」
「とにかく、一度連れておいでよ。ほら、獣人なら身体能力半端ないでしょ。侍女兼護衛もできちゃったりしない?」
「そりゃ、その辺のゴロツキには負け知らずだけどよ」
今のところ、エマの専属侍女はアンだけで、アンはほぼ休みなしで働いている。
最近はエドガーとエマが同じ部屋で寝る(注:言葉のまんま、寝るだけ)ようになってからは、夜勤はしなくはなったものの、アンの働き方改革も必要だ。しかも、ルイスと結婚したアンは、いつ産休育休に入るかわからない。その時の為にも、エマ付きの侍女があと二〜三人いると、ローテーションで休みが取れるんじゃないだろうかとは、常々考えていた。
エマ的には、侍女は必要ないとは思うのだが、イアンの妹ということは、エマと獣人キララの二重生活を暴露して、なおかついい感じで協力してもらえるんじゃないか……なんて、目論んでみてたりする。
「じゃあ、明日、連れてきてみて。私、これからセバスチャンに話してみるから」
思い立ったが吉日、エマは引き止めるイアンの叫び声も虚しく、走って行ってしまった。
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