5-6.残りは俺への処罰

 不意に樫の梢が、動いた。土台となっている部分がうごめき、真鶴まつる加賀男かがおを山の中へと戻す。


 真鶴まつるは枝に触れ、幹へ額をつけて微笑んだ。


「樫さま、ありがとう」

『うむ。ワシらは少し眠る。力を使い切ったゆえに。多少枯れるが、案ずるな』


 樫はそれだけいうと、真鶴まつるとの念話を一方的に切る。その言葉どおり、伸びた樫の梢は枯れ木となり、そこら中へ力なく落ちていった。


星帝せいていの旦那」


 事の経緯を見守っていただろうハナミが、木々を踏み、真面目なおもてで近付いてくる。


「迷惑をかけたな、ハナミ」

末路衣まつろいまでするなんて、乱心にもほどがあるよ。真鶴まつるがいたからどうにかなったけどさ」

「……面目ない」


 加賀男かがおはハナミへ深く、頭を下げた。ハナミは嘆息し、未だ降り注ぐ花びらを手にする。


「それにしてもこの花はなんだい? これが長雅花ながみやばななのかい、真鶴まつる

「ええ、と……違うのではないかと思います。本物は紫色ですし、形も異なっていますし」


 喜びの感情と共に咲いた花に、それでも真鶴まつるはただ、首を傾げることしかできない。


「なんか意味があって咲いてんのかね、これさ」

「申し訳ありません、ハナミさま。わたしにもわからなくて」


 花弁と花粉は、手や体に触れれば雪のごとく溶け消えてしまう。本物の長雅花ながみやばなのように形をとることもない桃色の花がなんなのか、想像もできなかった。


「ハナミ、一度、土淵つちぶちまで戻りたい。状況を確かめるためにも。転移を頼めるか」


 周囲の様子をうかがっていた加賀男かがおの言葉に、ハナミはうなずく。


「あいよ。真鶴まつる星帝せいていの旦那と一緒に戻ろう。らんや銀冥ぎんめいも一緒にいるかもしれない」

「はい、お願いします」


 真鶴まつる加賀男かがおと共にハナミの手をとり、目を閉じる。


 次の瞬間、胃が持ち上がるような感覚がした。


加賀男かがお真鶴まつるちゃん!」


 数秒もかからずに戻ってきたのだろう。みつやの嬉しそうな声が届く。


 真鶴まつるはまぶたを開けた。地面に横座りしているふゆ、その傍らにはらんと銀冥ぎんめいもいる。


「ご無事で何よりです、星帝せいていさま」

「すまない。俺のせいで莫大な被害を出してしまった」

「それなのですが……あちらをご覧に」


 らんの神妙な声音に、加賀男かがおと一緒に指を差された方を見た。


 街並みの瓦や煉瓦は割れたままだ。だが、木造の建物、木でできた部分だけは――


「傷がない、だと?」

「は。謎の花びらと銀の花粉が降り注いだかと思えば、次第に元通りに」

「他に怪我人は」

「負傷者は多数おるのォ。ただ、建物に使われた木材だけは直ってきておる」


 真鶴まつるは、次第に降る勢いをなくしている花びらを手のひらへと載せる。溶けて消えてしまう。しかし目の前の建物を見ればわかるが、木材に当たった花弁と銀粉だけは別だ。


 またたいた、と思うと、破損した箇所が綺麗に、たちどころに治っていく。


真鶴まつる、やはりこれは長雅花ながみやばなの一種かもしれない」

「え……?」


 加賀男かがおの声に、真鶴まつるはたじろいだ。


「形や色が違えど、何かを治癒する、という点では似通っていると思う。不完全な長雅花ながみやばなだといえば説明もつく」

「これが、長雅花ながみやばな……」


 思わず呆けてしまう。不完全なものとはいえ、長雅花ながみやばなを咲かせたことに戸惑いがあった。


「凄いじゃあないか、真鶴まつるちゃん。完璧じゃないけど、祝貴品しゅくきひんの一つを作れただなんて」

「でも、どうして……?」


 みつやの声に首を傾げた。なぜ、いきなり花を咲かせられるようになったのだろう。


 祝詞のりとも我流のもので唱えた。なのに、長雅花ながみやばなが咲くなどということがあるのか。


(喜びを取り戻したから……?)


 とおのときに副作用で感情を失った。裏華族うらかぞくの人間が祝貴品しゅくきひんを生み出すのも、基本その年頃だ。


真鶴まつる。君は俺のせいでなくした感情を一つ、取り戻している。抑圧されていた分の力が溢れ出たのかもしれない」


 加賀男かがおが優しく、柔らかく口角をつり上げた、そのとき――


加賀男かがおさまっ!」


 何かのまじないか、両手を見えない縄で括られたふゆが、声を張り上げた。


「……ふゆ

加賀男かがおさま、ご理解下さいますわよね? わたくしはただ、御身をなぐさめようとしただけ……」

「君は俺のことを、おぞましいと思っているようだな」


 いわおのような声音にだろう、ふゆは顔を引きつらせる。


「違いますわ。ご、誤解というもの。全て加賀男かがおさまを思ってのことですのよ」

「全ての声が聞こえていた。化け物だと、不気味だと」


 加賀男かがおが一歩、前に出た。


「君のことは妹のように思っていた。だからこそわがままも、許した」


 褐色の人差し指をふゆの額にくっつければ、彼女の顔がみるみるうちに青ざめていく。


罵倒ばとうするのは構わない。だが、俺に水と偽り酒を飲ませたのは、見過ごせない行為」

「お慈悲を……お慈悲を、加賀男かがおさま!」

「今回の件については俺にも落ち度はある。……だが、これ以上君をおさとして、まつろわぬものとして扱うことは、できない」


 ひっ、とふゆが息を飲んだ。


「今ここに、土蜘蛛ふゆ、君のまつろわぬものとしての力を、く。戻れ、蜘蛛に」

「いやぁぁぁぁっ!」


 加賀男かがおは冷徹に言い切ったのち、額に当てていた指を勢いよく、天へと突き上げた。


 ふゆ音の体が跳ねた。その全身が黄土色の光に包まれたのち、真鶴たちの目の前で瞬時に縮んでいく。


 残ったのは恐ろしいほど小さい、一匹の蜘蛛だった。


「……ふゆへの罰は、これでしまいだ。残りは俺への処罰だな」


 蜘蛛が素早く逃げていったのを見計らい、手を戻した加賀男が一人、うなずく。


「ハナミ、らん、銀冥ぎんめい。お前たちはどうすべきだと思う?」

「処罰など……星帝せいていとして我らを導いてもらわねば、困ります」

「ってもね。この状態を、末路衣まつろいまでして招いたのは事実だ。無罪ってわけにはいかんだろうさ」

「これは夜叉鬼やしゃおにが正しいぞよ。無罪にするには被害がありすぎたからのォ」

「貴様ら! 星帝せいていさまに世話になっておきながら……」

「それとこれとは話が別だよ。けじめはきちんとつけなきゃいけない」


 ハナミと銀冥ぎんめいの言葉に、らんが悔しげに歯ぎしりをした。


 真鶴まつる加賀男かがおの側におもむくと、顔をうつむかせてささやく。


「申し訳ありません、あなたさま」

「何を、謝る」

「わたしがもっとはっきり、思いを告げられていたら。微笑みを浮かべられていたらと思うと……あなたさまにいらない不安をさせてしまったのは、わたしですから」


 自分の不甲斐なさを言葉ににじませた真鶴まつるへ、加賀男かがおは慌てたように渋面じゅうめんを作った。


「君を信じられなかった俺が悪い。君とみつやとの仲を、その、色々言われて」

「わたしがお慕いするのは、あなたさまだけです」


 真鶴まつるが微笑んで言い切れば、加賀男かがおの渋いおもてがもっと深くなる。その顔つきに不安になるのは、最初、陽月ひづき家で出会ったときの姿を思い出したからだ。


「まだ……信じていただけませんか?」

「いや、違う。これは」


 思い切ってたずねれば、今度は慌てた様子で手を振られてしまう始末だった。


「あなたさま?」

「照れてるんだよ、真鶴まつる星帝せいていの旦那は照れてるときにも、しかめっつらをするんだ」

「……」


 ハナミの笑い声に加賀男かがおが目を伏せ、嘆息する。


「そうなのですか?」

「……君の前では、格好つけていたかった」


 観念したように呟く加賀男かがおの頬は、確かに赤い。


「こがねとして君と出会い、君への思いが募ったんだ、真鶴まつる。今でも君を見ると、その、胸が高鳴ってどうしようもないし、それに」


 加賀男かがおが困ったように眉根を寄せ、あちこちに視線をさまよわせた。


「ああ……何から話せばいいのかわからないくらい、君を、思っている」

「あなた、さま」


 微かな笑みに、優しい視線に、真鶴まつるの胸がとくんと高鳴る。


 勝手に笑顔が浮かんでどうしようもない。とめどない喜びが全身を駆け巡る。


 思い、思われる喜びと愛おしさ。花火のように心中で弾ける、嬉しいという気持ち――どれもが加賀男かがおだからだ。加賀男かがお相手だから、そうなる。


「きーめた」


 ふと、ハナミが喜色めいた笑みを浮かべて声を上げた。


 真鶴まつるが横を見れば、三人のおさとみつやが何かを納得したようにうなずいている。


「そうさのォ、夜叉鬼やしゃおにの企みに乗るとするか」

「同意。一番の罰となるだろう」

「ぼくにもわかるくらいの罰だね、それ」


 面々の台詞の意味がわからず、真鶴まつる加賀男かがおと顔を見合わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る