5-3.ヤマタノオロチ

夜叉鬼やしゃおに。貴様まで邪気じゃきに当てられて暴れるな、阿呆が」

「あーん? 当てられちゃいないよ、まだ、ね」


 瓦と茅葺かやぶきの屋根を飛び跳ねるように伝い、ハナミが笑みを浮かべたまま真鶴たちの元へ下りてきた。


「オレの娘が土蜘蛛の子飼いにやられてる。それに、ちっこい真鶴まつるにいわせると、どうやら星帝せいていの旦那はあの女の側にいるみたいだ」

星帝せいていさまがお側に? ではやはり、この異変は全てあの女のせいか」


 チッ、と舌打ちするらんは、不機嫌極まりない顔を作った。


鬼江おにえの方もめちゃくちゃになってる。アンタらのとこはどうだい」

神代かみしろも無論、気に当てられたものたちのせいで被害甚大」

怪里あやさとでは全員に家屋の中におれ、とは命じてきたが。ほんに厄介なことになったのォ」


 三人の長が、それぞれ疑問の視線を真鶴まつるへ送る。


「なあ、アンタがいてどうしてこうなったんだい」

「そのとおり。真鶴まつる嬢、なぜあの女の下に行かせた」

「ええと……どこからお話しすれば」


 純粋な問いに厳しい眼差し。どれから答えていいのか、少し悩む。


 加賀男かがおとの仲に亀裂が走ったことも踏まえて、全てを話した方がいいだろう、と結論を出した。なじられることも覚悟の上でだ。


「実は」

「待って、真鶴まつるちゃん。ここで話していたらいくらあの時計があっても、危ないよ」


 口を開いた真鶴まつるを止めたのは、周囲をうかがうみつやだった。


 確かに今現在、蜘蛛は近寄ることなく後退している。だが、赤や黄色、青といったその瞳には明確な敵意があり、いつこちらに飛びかかってきてもおかしくはないだろう。


 蜘蛛たちの姿を見たハナミが、鼻でせせら笑った。


寿々すず家の坊や、アンタ確か、結界張れるよね?」

「そこまで強くはないものだけど。なんで? ハナミさん」

「ここで蜘蛛を食い止めるのはアンタの仕事。その隙に、オレたちは真鶴まつると城へ行く」

「はぁぁあ? それってぼくに囮になれっていうことだよね?」

「同意。たまにはいいことをいうな、夜叉鬼やしゃおに

「どうせ短い命であろ。ここで侠気おとこぎを見せてみィ」

「勝手に短命にしないで!」


 悲鳴を上げるみつやを無視し、ハナミは真鶴に対してにやりと笑む。


「アンタもそれでいいだろ? アンタからは清浄な気を感じるよ。少なくともオレたちはアンタの側にいりゃ、おかしくなることはなさそうだ」

「皆さまが邪気じゃきに当てられない、というのは大切なことですけれど……」


 真鶴まつるはまたもや悩んだ。みつやをここに独りで置いて、はたして大丈夫かと心配がある。みつやを見つめれば、彼は大げさなほどに肩を落とした。


「わかったよ、わかりました! こうなった責任の一端はぼくにもあるからね」


 肩をすくめて、みつやはスーツから五本の小刀を取り出す。


 そのまま自身の周りを囲う形で、五角星を描くように地面へと全ての小刀を突き刺した。


「そんじゃ、坊や。任せたよ」

くまいるぞ、真鶴まつる嬢」

「え……ええ。みつやさん、ここはお願いします」

「一時間耐えられればいい方だからね! それまでに帰ってきて!」


 ハナミに手を引かれ、大声を後ろに真鶴まつるは走り出す。らんと銀冥ぎんめいも、また。


「ちょいと失礼するよ」

「きゃっ」


 真鶴まつるはハナミに、たわらを担ぐように体を持ち上げられ、肩に載せられる。


 蜘蛛は全て、みつやの方を睨んでいた。過ぎ去る真鶴まつるたちへ牙を向けるものも多少はいたが、らんと銀冥ぎんめいが軍刀、それと赤い炎で蹴散らしていく。


「さて、と。どうしてこうなったのか、話してくれるかい?」

「……わかりました」


 横並びになったおさたちへ、真鶴まつるは事の経緯を素直に話した。


 ふゆ音が霊気れいきの調節を願い、加賀男かがおと共に自身の城へ戻ったこと。


 停電が起き、みつやとの仲を誤解されたこと。


 長雅花ながみやばな、ならびに真鶴まつる加賀男かがおの繋がり――それらを簡潔に、なるべく順序立てて。


「なるほど……星帝せいていの旦那が影ヶ原かげがはらに住んでたのには、そんな理由があったんだねぇ」

星帝せいていさまに慕われておきつつ、付け入る隙を与えたのは落ち度だぞ、真鶴まつる嬢」


 らんの叱咤に、真鶴まつるは素直に首肯する。


「はい。らんさまの仰るとおりです。わたしのせいです」

「しっかし、恋慕れんぼというものは怖いのォ。星帝せいていどのが我をなくすまで、ぬしを慕っていたとは、な」

「でも、聞く耳を持たなかった星帝せいていの旦那もどうなのさ。そりゃあ衝撃だったかもしれないけどね」


 左右に、直線に。そしてまた左右にと、複雑な道を迷わず駆けていくハナミたち。


 城下町は蜘蛛でいっぱいだ。そのほとんどが今来た道、すなわちみつやの方を睨みつけている。囮として置いてきてしまったことを、真鶴まつるは申し訳なく思った。


 辺りの家屋はぐちゃぐちゃになり、瓦礫の山が散乱している。人の形をしたものはほとんどおらず、大半が蜘蛛に変わっていた。


 相変わらず不気味な赤い月が周囲を照らす中、真鶴まつるはものを落とさないよう帯を腕で支え、片手でハナミの着物に掴まるだけで精一杯だ。


「我をなくしたとはいえ、ここまでの異常は今までにないぞ。星帝せいていさまが影ヶ原かげがはらに来てからそれなりの年月が経つが……」

「もしかしたらあの女、土蜘蛛が何かまた、しでかしたのかもしれないね」

傾国けいこく佳人かじんでも気取っているつもりかのォ、笑えぬわ」


 三人の会話を聞き、胸が痛くなる。


 加賀男かがおは無事だろうか。ひどい目に遭っていないだろうか。いや、きっと苦しませているのは、自分だ。会ってくれるか、顔を合わせてくれるかもわからない。


天乃あまのさま……)


 それでも、と帯を支える腕に力を込めた。


(わたしは早く、あなたさまの顔が見たいのです)


 逃げないと決めたのだ。全てを受け入れ、加賀男かがおの傍らで微笑むためにと。


「おっ、城が見えた。ちょっくら跳ぶよ、真鶴まつる

「はい……!」


 まずはらんが先んじて。次いで、銀冥ぎんめいが。そして最後にハナミが、跳躍する。


 高い。浮遊感と少しの衝撃。それでも真鶴まつるは目をつぶらない。全てを見届け、きちんと確認するまで、あらゆることから逃げ出すのをやめた。


「ほいっとね」


 ハナミたちが着地したのは、天守閣の高欄こうらん内だ。ここまで高い場所にくると、月がより大きく見えた。


 ハナミは存外優しい所作で、真鶴まつるを肩から下ろしてくれる。


「ありがとうございます、ハナミさま。運んで下さって」

「ツキミが礼になってる礼さ。さて」

「……中からの邪気じゃきがひどい」

「ぬしも感じるか、犬神。とすれば、星帝せいていどのはここにおられることだろうのォ」

「あの女は、御殿ではなく天守閣で暮らしている。やはり、共にいると考えるのが自然」

天乃あまのさまとご一緒……」


 らんの言葉に、つきんと胸へ棘が刺さった感覚を覚えた。思いを知った今、ふゆと共にではなく、自分の側にいてほしい。身勝手だがそう感じる。


「なんにせよ中を見りゃいいだろうさ。壁をぶっ壊すよ!」


 と、ハナミが棍棒を構えた直後だった。


「ひいッ!」


 悲鳴を上げて花頭窓かとうまどから飛び出してきたのは、ふゆだ。


「ふゆさま!?」

「アンタッ、なんて頓狂とんきょうな声上げてるんだいっ」


 真鶴まつるから向かって右側にある花頭窓かとうまどを破壊し、腰を抜かしておののく彼女の顔は、恐怖にまみれている。


「あ、ああっ……加賀男かがおさまが……」

天乃あまのさまがどうなさったんですか! ご無事なのですか?」

「お、お前……なぜ、ここにっ」


 泣き出しそうな顔で、それでもふゆ真鶴まつるを睨みつけてきた。


「話はあと。何をしたのだ、星帝せいていさまに。話せ、土蜘蛛」

「それ、は……」


 悔しそうに、悲しそうに、ふゆが唇を噛んだ――刹那。


「いかん、みな、一度退避せよ!」


 銀冥ぎんめいが声を荒らげた。


 らんもハナミも、そしてふゆもみな、何かを察する。


 真鶴まつるは一歩、後ろに下がるしかできない。それに気付いたのだろう、ハナミが抱きかかえて後ろへと跳んでくれた。


 直後、天守閣の屋根が、破砕音と共に壊される。


「くっ」

「この気は、よもや」

「……星帝せいていの旦那……」


 もうもうと立ちこめる白煙の中、真鶴は見た。


 巨大な――それこそ一つ三十三尺10mはある巨大な蛇の頭が、殻を破るように城を壊しながら出てきているのを。


「ヤマタノオロチ……」


 汗の玉を浮かばせつつ、らんが呟く。


 その声音に気付いたのかどうか。ただ、宙に浮いた真鶴まつるたちをねめつける瞳は、ホオズキのような色をしていた。


 オロチの瞳の中にこもるのは、絶望と、怒り。そして。


(泣いてらっしゃるのですか、天乃あまのさま)


 深い、強い悲しみがあることを悟った真鶴まつるは、手を伸ばそうとした。


 だが――手が動かない。足も、爪先の一つすら動かせなかった。


 畏怖いふ。恐怖。本能が震えている。怯えている。


 声の一つすら出せずにいる面々の前で、城を完全に破壊した加賀男かがおが、ヤマタノオロチとして顕現けんげんした。

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