第五幕:願はくは われ春風に 身をなして
5-1.お前を失ったからだよ
支度を全て終え、トウ子と
「
「みつやさんは悪くありません。信じてもらえなかったわたしのせいです」
「大方は蜘蛛
「わたしは、嬉しいです」
「嬉しいって?」
「幸せを願ってくれていることが。でも、私の幸福は
「そっか」
まるで自分のことのように、みつやは
みつやを先頭に、
現在、
みつやは先程から、道の様子を見ては何かを探しているようだ。
「みつやさん、何を探してらっしゃるのですか?」
「四つ角。辻にあるんだよ、
「それでしたら、私の実家が近くです。
「よし。じゃあ
「ご案内します」
複雑な道から、
「……ぼくの母親は、優しい人だった」
「え?」
不意にみつやが口を開くものだから、
みつやは眼鏡を指で押し上げ、懐かしむような面持ちを作る。
「愚かなまでにね。誰にでも優しかった。父が
「どうして……?」
「あの人は弱い人だから許してあげましょう、といってね。まあ、僕を父の暴力から守るためだったのかもしれないけど」
「みつやさんも虐げられていたのですね」
「うん。殴られて、蹴られて。しょっちゅう物置に閉じこめられてた。暗所が怖くなったのはそれが原因」
「そう……だったんですね」
「ぼくは
ぽつり、とささやかれた言葉に、
きっとみつやは、母の温もりを求め、夜な夜な
「わたしは……いいえ、誰もみつやさんの母親代わりにはなれません」
「うん。わかってるんだけどね。
自嘲気味に笑い、みつやはそれから話をやめた。
(優しさは毒、というのは、みつやさんの原風景に焼き付いた言葉なのね)
沈黙の中、
(それを与えるのは、ただ一人でいい……
無言の
「あ……」
白熱灯で浮かび上がる実家。その隅に建てられた離れは、まだ取り壊されていない。
「あの離れは?」
「わたしが暮らしていた場所です……お姉さまがもしかすれば、壊すことをやめさせたのかもしれません」
そう、小声で答えたときだ。
酔っ払ったと思しき
「どこかに隠れましょう」
みつやと共に、近くにあった電灯の影へと身を潜める。
「いいの、
「何がでしょう?」
「だって、
「……わたしはまだ、
「それに?」
「
それに、
「行きましょう、みつやさん」
「なんか強くなったなあ、
ささやくみつやに苦笑だけをこぼし、真鶴は樫の木が見える四つ辻へと向かった。
『真鶴や』
唐突に木々の梢がさざめき、
「じいや?」
天を見上げると、風一つもない中、葉がこすれているのが見えた。
『久しぶりだの、元気にしておったようで何より、何より』
「じいやも無事でよかった。ヤツデやユズリハも、大丈夫?」
『大丈夫よ、
『トウ子さまが当主さまにお願いをしてくれたんだ! だから平気さ』
「やっぱりお姉さまだったのね。あなたたちが刈られたりしなくて、本当によかった」
『
胸を一旦撫で下ろした
「ええ、これから
『それもある。今現在、まつろわぬものたちが荒ぶりつつあるのだ』
「まつろわぬものたちが?」
「どうしたの、
「樫のじいやが……まつろわぬものたちが、荒ぶりつつあると」
「そりゃあ確かに、今日は満月だけど……」
みつやは眉根を寄せ、顎に指を添えて何かを考える素振りを作った。
「樫のじいや、一体何が起きているの? 満月だからかしら」
『
「
「
「どういうことですか? みつやさん」
小首を傾げて問えば、みつやは難しい顔でその場をさまよいはじめる。
「
「
「そう、古来から病をもたらす元になった、とされるものに。それに当てられて、一般のまつろわぬものたちもきっと、姿を本来のものに変えてしまうだろう」
「猫又さんや
「凶暴になる。人間や敵意を持ったものを食らうほどに、ね。とはいえ、こんなことは今までになかったから、
「でも、どうして
うろたえるみつやを見ながら呟けば、樫がさざめいた。
『お前を失ったからだよ、
「えっ?」
『お前を失い、深い悲しみと絶望でやけになったのだ、
「わたしが……いなくなったから?」
『それだけ
また
微笑んで一つ、うなずく。
「わたし、
「
「大丈夫です。わたしには……この懐中時計があります」
「それ、って」
帯から差し出してみつやに見せた懐中時計は、仄かに緑に輝いていた。
「
「ちょっと手にとっていい?」
「はい、どうぞ」
と、みつやに手渡す。彼はじっと、懐中時計を凝視した。穴が空くくらいの勢いでだ。
「なるほど……加護の
「本当ですか?」
「秒針は狂ってるけど、正しい
言って、みつやは時計を
「結界の場所は見つけた。あとはそれを切って飛びこむ。準備はいい?」
「……大丈夫です、いつでも」
「やっ」
と、かけ声一閃、みつやは四つ角の虚空を切り裂いた。
「空間へ、走って!」
真鶴は言われるまま、裂け目のようなものに飛びこむ。
迷いも、恐れも、何もなく。ただ、慕う人のところへおもむくために。
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