人にはそれぞれ秘密がある

 昼食休憩を挟んでひたすら木こりに勤しんでいると、いつの間にか空が赤くなっていることに気付いた。

 ちなみに昼食はパティがパンを用意してくれた。いつも通り遠慮はしたのだが、またも厚意を無下にするのは罪ですと怒られてしまう。自分は罪だらけの男なので、天国に行くことは叶わないだろう、と徹は思った。

 今日からしばらくは日当が貰えることになっている。ようやく世話になりっぱなしの状況から脱出出来そうなことに安堵した。


 徹が帰り支度の準備をしているとロブがやってくる。

 ロブは挨拶をするなり、徹の担当していたエリアを視界に入れて目を見開いた。


「お、おいこれ、シキガミがやったのか?」

「はい、そうですが……」


 何かやらかしてしまったのだろうか、と内心で心配しながら返事をすると、ロブが発したのは意外な言葉だった。


「いやあ、大したもんだなあ。村で一番樹を切るのがうまいやつでもこうはいかねえ。シキガミ、ちゃんと休憩はしたのか?」

「ええ。適宜いただきました」

「あんまり無理はするなよ。ちゃんと金は払うからな」

「ありがとうございます」


 どうやら他の人がこなすよりもかなり早めのペースで樹を伐採してしまったらしい。休まずに仕事をしていたのではないか、と心配された。

 次はもう少しペースを落として樹を切ろう、と考える徹なのであった。


 本日の仕事は終わりとのことで、徹はロブと共に村へ帰ってきた。その際、とある村民が二人に挨拶をする。


「よう、ロブさん」

「よう。仕事帰りかい?」

「ああ。ロブさんは林の開墾か? 今日はその日じゃなかった気がするけど」

「それがな、朗報だ。開墾専門で働いてくれる人が見つかったんだ」

「そりゃあいい。それがこちらの兄ちゃんかい」

「おう。シキガミ=トオルってんだ。よろしくしてやってくれ」


 目線で促され、徹も挨拶をした。


「式上徹と申します。微力ながら村の発展の為に尽力する所存です。よろしくお願い致します」

「よろしくな」

「今見て来たんだが、初日から気合が入っててな。結構な数の切株が出来てたぜ」

「これまでは人手が足りなくてあっちまで手が回らなかったからなあ。助かるよ」

「農地を広げるってのは先祖代々の悲願だったからなあ。あの世で皆喜んでくれてるだろうよ」


 先祖代々の悲願、という言葉に、徹はそれほどのものだったのか、と思う。

 ならば自分の仕事は良くしてくれた村の人々への恩返しにも直結する。徹はそのことを心に刻みつけておいた。




「只今帰りました」


 教会の裏口から居住スペースに入りつつ挨拶をすると、徹は異変に気がついた。


「邪念撲滅、邪念撲滅……」


 リビングでテーブルに着いたパティが、その上に置いてあるお菓子に向かって、両手を組み合わせて目を瞑り、祈りを捧げているのである。

 お菓子はタルトのようなもので、徹の元にも香ばしい匂いが漂って来た。しかし、一体全体どういう状況なのか掴めない徹は、素直に声をかけることにする。


「あのー」

「ひゃっ」


 パティは大きく肩を跳ね上げて小さな悲鳴をあげた。


「シ、シキガミさん!? 帰ってらしたんですか!」

「ええ。あの、驚かせてしまって申し訳ございません」

「あ、いえいえこちらこそ。御見苦しいところを……」


 頬を紅潮させたパティが慌てて立ち上がり、またも謝罪合戦となってしまう。何が見苦しいのかすらもよくわからない徹としては早く説明が欲しいところだ。


「それであの、ここで何をしていらっしゃったのでしょうか?」

「……」


 徹が尋ねるなり、パティは俯いてテーブルに着きなおし、無言を貫いている。その表情を窺い知ることが出来ず、何を考えているのかが読み取れない。

 しまった。この質問はするべきではなかったのだろうか。しかし、一度してしまった以上はやっぱりいいです、と撤回するのも失礼な気がする。

 仕方なく徹も向かいに座って相手の出方を待つことにした。


 時計の針の音だけが時を刻む、永遠とも思える静寂。パティが意を決した様子で顔を上げ、それを破った。


「シキガミさん」

「はい」

「実は私、とても罪深き人間なんです」

「一体どのような罪を犯したのですか?」

「甘いものが大好きで」

「はい」

「その誘惑に抗うことが出来ないのです……」


 徹の頭に疑問符が浮かぶ。だから何だと言うのだろう。食べたいなら食べればいいのではないか。


「シスターたるもの、お菓子や美味しい食べ物の誘惑に負けることなく、食べ物は常に野菜のみ、飲み物は水のみで生活しなければいけません」

「それがあなたの神の教えなのですか?」

「いいえ、シスターはそうあるべき、と私が考えているだけです」


 そもそも昨日のご飯も野菜以外のものを普通に食べていたような。しかし、神の教えでないと言うのなら、まだ何とかなるかもしれない。


「ですが、シスターの皆様も人間です。時にはお菓子を食べたり、お酒を飲みたくなる時だってあるでしょう」

「その欲望に打ち勝ってこそのシスター。私は負けっぱなしなのです。ですから、とても罪深い人間なのです」

「そうですか……」


 これは根の深そうな問題だ。

 徹は説得を一旦諦めて、テーブルの上のお菓子に目をやった。


「で、今日もそれと戦っていたと」

「はい。村の方からお菓子をいただきまして」

「その厚意を無下にするのも罪ですよね?」


 うまいこと指摘をしたつもりだったが、パティは意外にも鷹揚に頷くと、真剣な眼差しで徹を射貫いた。


「その通りです。ですから、ここで私が罪人にならない道はただ一つ」

「まさか」

「はい。シキガミさんにこれを食べていただくことです」


 まさかの展開だった。もちろんタルトは嫌いではないが。

 徹は手を横に振りながら抗議をする。


「いえ、これは村の方がパティさんに宛てたものでしょう。私のような者がいただくわけには」

「では、私は罪人になるしかありませんね……」


 食べればいいだけの話なのでは、と思ったが、恩人にそうまで言われてしまっては徹も立つ瀬がない。

 迷った末に一つの決断を下し、頷いた。


「わかりました。それではお言葉に甘えていただきます」

「はい。そうしてください。是非食べてください。今すぐに」

「今すぐにですか?」

「はい、そうです。私の目の前で、さあ」


 パティのキャラが少し変わっている気もするが、それだけこの戦いに必死だと言うことなのだろう。

 徹は言われた通りにタルトを一つ摘まみ、口の前まで運んだ。しかし、


「ぐぬぬ。邪念撲滅、邪念撲滅」


 パティがタルトを睨みつけながら魔を打ち払う文句を口にするので、非常に食べづらいことこの上ない。

 そしてやっとの想いで口に入れ、噛みしめると。


「ああっ……」


 と、残念そうな声を漏らすパティ。

 徹は残りのタルトを自室へと運び、後からいただくことにしたのであった。


 〇 〇 〇


 ふと目を覚ましたが、まだ朝ではなかった。

 部屋に陽光の差し込む気配はなく、周囲も静かで、聞こえるのは風や虫の鳴き声くらいのものだ。

 もう一度目を瞑るが寝付けない。仕方がない、とパティは身体を起こして部屋から出ることにした。


 この頃の夜というのは少々冷える。まずはホットミルクでも作ろうかとリビングへ足を向けた。現在はシキガミという客人もいるので、起こしたりしないように出来るだけ音を立てずに移動する。

 するとパティがリビングに近付いたタイミングで、そこから外へ直接出る扉の閉まる音がしたのだ。

 考えるまでもなくシキガミしかいない。

 この村はほぼ全員が顔見知りなので、泥棒というのはまず有り得ない。少なくともパティは見たことも聞いたこともなかった。


 こっそり扉から出て、今しがた出て行った人物の後ろ姿を確認する。

 夜なので少々わかりづらいが、やはりそうだ。あの線が細く見えて意外にしっかりとした身体付きをしている人間はあまりいない。


 そうとわかった瞬間、パティは自身の口角が上がるのを抑えられなかった。

 後ろからこっそり付いて行って驚かせてみよう。あのあまり表情の変わらないシキガミが驚く様子を見るのは楽しそうだ。

 しかし、そんな悪魔のささやきに対してパティは首を横に振る。

 人にいたずらする想像をして楽しそうだなんて、シスターとしてあってはならないことだ。


「邪念撲滅、邪念撲滅……」


 咄嗟に両手を組んで目を瞑り、何に向けるでもなく祈った。


 パティは特別に雑念の多い人間というわけではない。単純に色んなことが楽しいだけの、歳相応の若者なのだ。

 赤子の頃に兵士に拾われ、近隣の街の孤児院で育ったパティは、ある年齢になった時にこの村にシスター見習いとして派遣された。

 ここで働いていたシスターは親、もしくは姉の役割を果たした。叱るべき時は叱ったが、基本的にはのびのびと、厳しい規則を設けたりはせずに、なるべく彼女の個性を伸ばす育成方針を図った。

 故にパティは、良くも悪くもシスターには向かない、天真爛漫な若者として成長を遂げたのである。


 親代わりのシスターには今でも感謝している。病気で亡くなった時は悲しみから立ち直るのに相当に苦労したが、村の人たちの支えもあって何とかやってこれた。

 きっと、天国で彼女は見守ってくれている。とパティは夜空に浮かぶ星々のきらめきを眺めながら思う。

 あの方の為にも、一人前のシスターとなれるよう、雑念は振り払わなければならないのだ。


 そう誓いながらも、足は自然とシキガミが消えた方向へと向かっていた。


 一体どこまで行くのだろう。

 距離を取って静かにシキガミの後を追いながらも、パティは疑問に思う。夜に出歩くのに慣れていないので少しだけ怖いという気持ちもあった。

 シキガミは村から出て、林の方に向かっている。あそこは恐らく、現在彼が開墾を任されている辺りではないだろうか。


 林に入れば遮蔽物には困らない。

 パティは継続して身を隠しつつも、大胆に距離を詰めていく。


 するとある地点でシキガミが立ち止まり、樹を触り始めた。

 真面目そうな人なので、眠れないから仕事をしに来た、というのも可能性としてなくはない。だが、そうだとしても道具を一切持っていない。

 結局、パティには彼が何をしに来たのかが全く読めなかった。


 しかし、次の瞬間であった。

 シキガミが両手で樹の幹を持った状態で力を込める素振りを見せると、それは渇いた音を立てながら、徐々に傾いてしまう。

 樹を折っているのだ。素手で。しかも、折れた樹の幹を支えたままゆっくりと地面に下ろそうとしている。腕にかかる負荷は相当なもののはずだ。


 あまりの光景に、驚愕、恐怖、困惑と言った様々な感情が一斉に胸の内に去来したパティは、頭の中が真っ白になってしまった。

 結果、思わず後ずさり、偶然落ちていた木の枝を踏みつけて折ってしまう。


 ぱき、と綺麗な音が響き、素手で樹をへし折る男がこちらに気付いてしまった。

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