働き過ぎに注意

「ひっ」


 何か後ろで大きな音がしたので振り向くと、そこにはパティの姿があった。


 しまった。と徹は自らの迂闊さを悔やむ。

 少しでも農地の拡大を早めて村への恩返しがしたい徹は、誰もいない時間にこっそり仕事をしに来たのだ。何故こっそりかと言えば、普通に仕事をする時に樹を切り倒し過ぎてしまうと怪しまれるから。

 夜が明けたら新たに切り株が出来ている、というのはいささか不自然ではあるが、数本を素手で荒々しく折っておけば、獣のせいにでもして誤魔化せるのではないかと考えている。まさか人の手で折られたなどとは誰も思うまい。


 だが、まさかその様子をパティに目撃されてしまうとは。これでは言い逃れのしようもない。さて、どうしたものか。

 思索を巡らせている間に、パティは狼狽したまま口を開いた。


「あの、すいません。違うんです。そんなつもりじゃなかったんです。ただ、シキガミさんをびっくりさせようと思って、後を付けて来ただけで」

「えっと。パティさん、まずは落ち着いて話を」

「ごめんなさい、助けてください。きゃっ」


 予想以上のパニックに陥っているパティは、逃げようとしてその場で勢いよく転んでしまった。


「うう。罪深き私に神が罰をお与えになったんだわ。これからはせめてお菓子やお肉の量を減らさないと……」


 倒れたままぶつぶつ呟くパティを見て、いや案外余裕あるなこの人。と思う徹は、両手を高くあげたままの格好で近付いていく。


「パティさん、落ち着いてください。私に害意はありません」

「へ?」


 倒れたまま振り向いたパティは、不思議そうな表情をしながら身体を起こす。


「殺さないんですか?」

「確かに不気味な容姿をしているかもしれませんが、私はそのようなことをするつもりは毛頭ありません」

「あ、いえ、そんなつもりでは」


 会話をしていくらか冷静になったのか、パティは立ち上がって全身をはたくと、徹への謝罪の言葉を口にする。


「ごめんなさい。私、ひどいことを言ってしまいました」

「いえ、あの状況では当然の反応だと思います。ひとまず教会に戻って少しお話をさせていただければと」

「わかりました」


 そうして教会に戻った徹は、リビングのテーブルに向かい合って座り、異世界から転移してきた事実以外の全てを洗いざらいパティに話した。

 記憶喪失で、近くの山の中で目覚めたこと。その際に、どういうわけか明らかに人間のレベルを超えた力が身についていたこと。そして、それらの事実をなるべく他人に知られたくないこと。

 聞き終えたパティは理解したとばかりに頷いた。


「そういった経緯があったのですね」

「はい。ですからパティさんやロブさんには本当に感謝しています」

「いえ。きっと記憶を失う以前から、シキガミさんは徳を積まれていたのでしょう。神のお導きに違いありません」


 それより、とパティは続ける。


「気になることが一つあります」

「と、仰いますと」

「シキガミさんはあちらの方にある山で目覚めた、ということでしたよね」

「はい。違いありません」

「あそこは、魔王誕生の地として知られている場所なのです。魔王はあそこで闇の神ヴァイスより命を授かったとされています」


 一瞬、徹の時が止まる。

 魔王生誕の地? そんな物騒なところだとは露ほどにも思わなかった。自然にあふれたのどかで空気の美味しい山だった。最初にモンスター二頭と遭遇したが、本当にそれだけだ。

 パティは徹の考えていることを察したのか、何も言わずともその疑問に答える。


「とは言っても、魔王生誕というのは今から何百年以上も前のことだと聞いています。あの山の周辺はそれからしばらくの間焼け野原になったそうですが、魔王はすぐに魔王城が建設された南の方へ移動しました。そこからオリオールができ、しばらくしてこの村が出来たのです」


 オリオールというのは、ここから離れたところにあるらしい大きな街だ。パティはそこの孤児院で育ったと聞いている。


「ですから、実はこの村の歴史というのは浅いんですよ」

「なるほど。貴重な数々の情報、ありがとうございます」


 だが徹はそこで、今更な疑問を一つ発見してしまった。


「あの、パティさん」

「はい?」

「本当に今更ではありますが、この村は何という名前なのですか?」

「ええ、ご存知なかったのですか」

「はい。お恥ずかしながら」


 パティは大きい目を更に見開き、いかにも驚いたという表情を見せた。しかし、すぐに居住まいを正し、一つ咳ばらいをする。


「グラスの村へようこそ。シキガミさん、改めて今後ともよろしくお願いします」




 成り行きではあるが、協力者が出来たのは結果としてはいいことだと思える。

 どちらにしろ、協力者の存在なしに自分が大きな力を持っているという秘密を隠し通すのは難しかっただろう。

 パティに秘密がばれたことを、徹はそうポジティブに捉えていた。


 夜が明けて、足取りも軽く仕事場の林へと向かっている。

 朝の新鮮な空気というのは何度味わってもいいものだ。心が洗われる。今までは俳ガスやアスファルトの混じったどんよりとしたものしか吸い込んでいなかったので知らなかったが、本当の朝の空気というのは気持ちをリセットし、今日も一日頑張ろう、という気にさせてくれるものなのだ。

 だから徹もそんな気持ちになっていた。今日も一日、林を開墾して村への恩返しをするのだ、と。


 ところがそんな想いに水を差すかのように、仕事場は騒然としていた。

 今日は多くの村民が開墾に参加する日なのだが、彼らのほとんどがある地点に集まって何やら話をしている。そしてそこは徹の担当しているエリアであり、昨夜樹を素手でへし折った辺りでもあった。

 まさか、と嫌な予感が脳裏をよぎる。


 徹は彼らの近くまで歩み寄り、背後から恐る恐る声をかけた。


「あのー、すいません」


 全員が一斉にこちらを振り向く。その中にはロブの顔もあった。


「おう、シキガミか。ちょっと妙なことがあってな。これを見てくれ」


 ロブが手で示した先には昨日徹が素手でへし折った樹の切株がある。当然、確認するまでもなく状態は把握していた。

 だがそんなことは言えるはずもなく、視線をやってから驚いたフリをしつつ問い掛ける。


「これは?」

「今日来たらこうなってたんだ。昨日俺が見に来た時、ここの樹は折れていなかった。そうだよな?」

「ええ、そうですね」

「だとしたらこれをやったのは動物か魔物、恐らくは魔物だろうな」

「動物の可能性は低いということですか?」

「ああ。そりゃあ幹をかじったり、体当たりするくらいのことはあるだろうが、倒すまで何かをするメリットはあいつらにはねえ」


 考えてみればその通りだ。徹は己の浅慮を恥じた。


「もちろん動物の線が完全に消えたわけじゃねえが、オリオールの騎士団に通報くらいはしといた方がいいだろうな。魔物だった場合に備えて警備をしてもらわなきゃならねえ」


 街の騎士団なる方々にまで迷惑をかけることになってしまった。

 やはり急がず焦らず、じっくりと樹を切り倒していくしか方法はないようだ、と徹は肝に銘じる。


「とは言っても魔物ならすぐに討伐されるだろうし、そんなに心配はいらねえ。とりあえず今日は昨日と同じ感じでやってくれ」

「わかりました」


 ロブの一言で、その場に集まっていた村民たちは一斉に持ち場へ戻っていき、開墾の作業を開始した。

 今日は徹だけが一足早く切り株を抜く作業をやることになっている。

 数に限りのある貴重な牛だ。他の村民たちが樹をある程度切り倒すまでにはこちらの作業を済ませたい。


「ンモ~」


 懸命に縄を引く牛。

 しかし、牛には悪いが遅い。遅すぎる。徹があまり上手く扱えていないだけなのだろうが、牛が中々に切り株を引っこ抜いてくれないのだ。


「……」


 ちらりと周囲の状況を確認した。

 徹は専門の開墾要員ということもあって、他の村民たちよりも広いエリアを任されている。つまり、村民ほぼ総出の今日でも近くに人は少ない。

 今なら少しくらい牛に手を貸してもばれないのでは。

 いや、だめだ。と首を左右に振った。徹は会社で何度も同じミスを繰り返して、その度に佐藤に励まされたことを思い出す。彼は元気にやっているのだろうか。


 しかし、今は佐藤のことを気にしている場合ではない。


 改めて周囲の状況を確認する。やはり人気は少なく、皆作業に集中していてこちらのことを気にする素振りはない。

 頭ではわかっている。ここで牛に手を貸せばまた作業が不自然に早くなり、そろそろ徹本人が怪しまれる可能性も出て来るだろう。


 だが所詮は徹も人間だった。

 しばしの葛藤の末、誘惑に負けて牛が引っ張っている縄に手を添える。それから念入りにこちらに向く視線がないことを確認すると、ほんの少し力を加えた。


「ブモッ!?」


 牛も驚くほどの勢いで切り株が地表にその全容を曝け出す。


「ンモ~」


 切り株から縄を外している間、牛がじっとこちらを見つめていた。

 そのつぶらな瞳から感情を読み取ることは出来ないが、きっと恐怖や困惑だろう。それとも感謝だろうか。手を貸してくれてありがとう的な。


 そこからは何故か牛が妙に大人しくなって言うことを聞くようになり、作業もよりスムーズに進められるようになった。

 たまに徹がこっそり手を貸せば、合わせ技によってかなりの速さになる。

 単純作業には割と没頭してしまう性格の徹は、昼食休憩の時間になっていることにも気づかなかった。


 そろそろ一息つこうかと腰を下ろしていると、背後から声がかかった。


「お、おいシキガミ、そろそろ昼食の時間なんだが」


 どうやらロブが親切にも昼休憩の時間であることを報せに来てくれたようなのだが、どういうわけかその声は震えている。


「お前……」


 振り向けば、ロブは徹の担当エリアを指差したまま固まっていた。

 しまった、やはりまたやり過ぎてしまったのか。だとしたらさすがに不自然だと、そろそろ徹自身が疑われてもおかしくないところだ。

 手に汗を握りながら続きを待つ徹だったが、永遠にも思える時を越えて紡がれたそれは意外なものだった。


「ちゃんと休憩はしてんのか!? 別に昼じゃなくても休憩を挟んでいいんだぞ!?」


 やはり働き過ぎを心配されてしまった。ここまで来るとわざとじゃないかと思えてもくるが、そういう人柄なのだろう。

 確かに、徹も自分のことでなければまさか人が素手で幹を折ったり、切り株を引き抜いたりなどしたとは思わないし、と納得する。


「休憩はいただいていますよ。ですから元気が有り余っていますし、むしろこれからが本番というところです」


 実は休憩というものの存在を忘れていたのだが、ロブの心配をなくすべくそう言っておいた。

 しかし、何故か彼は持っていた農具を取り落とし、口をあんぐりと開けてしまう。


「こ、これだけやっておいてこれからが本番だと?」


 ロブは徹に歩み寄ると正面で屈み、肩を力強く掴んで目線を合わせた。


「いいか。今日はもうパティのとこに帰って休め」

「えっ?」

「無理をし過ぎだ。今日の分の賃金もちゃんと払うから。な?」

「いえあの、私のような身分のものにご配慮いただいて大変恐縮ではありますが、本当に元気ですので」


 ロブは静かに、だが力強く首を横に振った。


「そう言ってぶっ倒れたやつを俺は何人も見て来た」


 何人も見て来たらしい。

 あ、これはマジなやつだと徹はどこか遠くを見つめながら目を細めた。


「昨日今日でこれだけやってくれりゃ充分どころの話じゃねえ。それよりあんたの身体の方が心配だ。いいか、これは命令だ。今日のところは帰れ」


 何が何でもこれ以上は働かせないという強い意志を感じる。


「それに、これだけ使ってりゃ牛の方も休ませる必要が」

「ンモ~」

「いや、そうでもなさそうだな」


 当の牛は注目を浴びた瞬間、まだまだやれるぞ、とアピールでもするかのように元気に鳴き声をあげる。


「まあ、とにかくシキガミはもう帰れ。わかったな?」

「わかりました」


 これ以上の抵抗は無駄だと悟った徹は大人しく帰ることにした。

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