地獄に仏

 建物から出たはいいが、途方に暮れた徹はその場で立ち尽くしてしまった。

 いきなり稼ぐ当てがなくなってしまったのだ。この世界の常識も知らないから、こういう時にどうしたらいいのかもわからない。


 元の世界であれば、生活に困った時は生活保護という制度があった。

 徹はお世話になったことがないのでよく知らないが、全力で頑張っても生活に困窮する人に対して、国が最低限の生活を保障してあげるよ、的なものだった気がする。

 しかし、少なくとも徹は、ファンタジー世界を舞台とした作品でそのような制度が登場したのを見たことがなかった。

 底辺に落ちた主人公というのは、生活保護を受けている間に資格を取ったり技術を磨いたりという現実的な手段は取らず、臥薪嘗胆の心意気で苦しい生活を甘んじて受け入れ、そこから成り上がるものなのだ。


 絶望のあまり余計な方向に思考が逸れてしまった。徹は慌てて首を振り、再びこれからどうするべきかを考え始める。

 生活に困ったら、という言葉で真っ先に思いつくのは教会だ。


 教会は孤児院として孤児たちが生活していたり、生活に困っている人に対して配給をしたりなど、慈善事業をしているイメージがある。

 しかし、教会は最後の手段だろう。

 神に仕えているような信心深い人たちに対して、ちょっと困ったくらいで飯をくれ寝床を貸してくれと言うのはいささか抵抗がある。罰も当たりそうだ。

 となると後はロブさんを頼るくらいだが、気の良い人とは言ってもさっき知り合ったばかりの人だ。図々しいのは否めない。


 さて、どうしたものか。


 冒険者ギルドがある村の中央広場的な場所には噴水がある。そこに腰を落ち着けてから再び今後について考えた。

 結果、徹は教会にいくことを決断する。


 とは言っても飯をくれ寝床を貸せではなく、この世界の人たちが生活に困った時にどうしているのかを教えてもらうことにしたのだ。

 役所に生活保護を申請しに行くのではなく、交番に道を尋ねに行く感覚に近い。


 善は急げだ。徹はすぐに立ち上がると教会に向かって歩き始めた。

 実を言えば教会の場所はわかっていた。建物が他と違って石造りなので遠目にも目立っていたからだ。見た目もかなり「教会」している。


 教会に到着した。周囲には人が見当たらないのでとりあえず中に入ってみる。

 静謐、という言葉が似合う空間だ。入り口から祭壇までの道には赤い絨毯が敷かれていて、その左右にはいくつかの長椅子が並べられていた。

 中には誰もいないので徹の足音がよく響く。ステンドグラスから差し込む光が祭壇にある像を照らして神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「すいません」


 誰もいないということはないだろう、と声を出してみるが返事はない。


「どなたかいらっしゃいますでしょうか」


 もう一度声を発するが、虚しく自分の元へ返って来ては消えていくだけだ。

 どうしたものか、と徹は首を傾げる。

 外から見た感じではこの奥に居住スペースがあるはずだ。しかし、ここに誰もいないからと言っていきなりそちらを訪問するのはどうなのだろう。

 ファストフードチェーンに寄った際、カウンターに店員がいないからと言って裏口から入って探すようなものではないのか。


 そう考えた結果、徹は誰かが来るのを待つことにした。


 そして長椅子に腰かけ待つこと数分といったところか。奥の居住スペースへと繋がる扉が開き、一人の女性が礼拝堂へと入ってきた。

 徹が立ち上がって迎え入れる態勢を作ると、彼女もこちらに気付き、花のような笑顔を浮かべる。


「あら、いらっしゃい」


 腰まで伸びる、絹糸のような美しい金色の髪が陽光を反射して鮮やかに輝く。

 目鼻立ちはすっきりしていて、宝石のような碧の瞳には思わず吸い込まれてしまいそうな力があった。

 身長は徹よりも低く、年齢はいくらか下に見える。黒を基調として、襟元が白という衣服から見るにここで働く修道女と考えて良さそうだ。


 徹は背筋を正して、一度腰を折ってから口を開いた。


「突然お伺いして申し訳ありません。私は式上徹と申します」

「シキガミ=トオルさんですね。私はパティと言います。本日はどういったご用件ですか?」


 いきなりやってきた、変わった服装をした見知らぬ男に対してこの態度。さすがは聖職者だな、と感心した。

 徹は冒険者として仕事を探しにこの村にやってきたこと。しかしここでも見付からず遂に財産が底を尽きたことなどを説明する。

 全てが真実ではないがそこまで嘘は言っていない。これからの物事を円滑に進める為にはこれくらいの設定がいいだろう。


 説明を聞き終えたパティは、笑顔のまま一つ頷いた。


「そういうことでしたら、是非当教会の寝床をご利用になってください。お口に合うかはわかりませんが、食事もお出ししますよ」


 驚いた徹は、首と右手をぶんぶんと左右に振って応える。


「いえいえ、そんなつもりではなかったのです。仕事の探し方とか、生活に窮した時にどうすればいいかなどを教えていただければと思いまして」

「それでしたらなおのこと、生活が落ち着くまではうちに泊まっていってください。魔王が討伐される前は、冒険者の方々はよくご利用になられていたんですよ」


 何てことだ。と徹は思う。

 見ず知らずの人間にこんなに親切に出来る人がいるなんて。しかし、ここは引き下がるわけにはいかない。徹は自らの思いを正直に告げる。


「それでも、私のような人間に教会の資産を使っていただくわけにはいきません」


 しかし、パティも笑顔のまま引き下がろうとはしない。すっと、顔の前に人差し指を立てて言った。


「実はですね、この建物もここにある食料も私のものなんです」


 そういう問題ではないのだが。

 呆気に取られて固まっている徹に対し、パティは続ける。


「ですからこれは教会のシスターとして施しをしようというのではなく、私個人がシキガミさんに寝床と食料を使って欲しいだけなんです。人の厚意を無下にするのも罪の一つなんですよ?」


 徹は感動してしまった。目の奥が熱くなるのを感じる。

 言っていることは滅茶苦茶だが、その中心にあるのは純然たる親切心。初対面の人間をも信じることの出来る純粋無垢な心。


 これ以上親切を断り続けるのは本当に罪になりそうだ。徹は観念して、一つ頷いてから言った。


「ではお言葉に甘えます。ありがとうございます」


 この恩はいつか必ず返さなければ、とまだ名も知らない神に誓った。




 寝床は確保したものの仕事がない状況に変わりはない。さて、どうしたものか。

 教会内部の案内や宿泊の際の注意点などを教えてもらっている間に、気付けば外から差し込む光に朱が混じり始めていた。

 そろそろ住民たちが仕事を終える頃だし、何をするにしても今日はゆっくりするべきだ、というパティの言葉に、徹は素直に従うことにする。


 やがて太陽と月が交代をした頃、夜の食事が始まった。再度謝罪と礼を重ねた徹はパティと共にそれをいただく。

 その最中、パティがそう言えば、と話を切り出した。


「シキガミさんは、まだお仕事は決まってないんでしたよね?」

「ええ、恥ずかしながら」

「でしたら、ロブさんという方を頼るのがいいと思います」

「ロブさんを?」


 知っている名前がパティの口から出たことに少々驚いた。もっとも、あまり大きな村でもないし住民同士が知り合いというのは何ら不思議ではないが。


「あら、もしかして既にお知り合いでしたか」

「ええ。この村に来て最初に声をかけた方でして。快く道案内をしていただきました」


 パティは笑顔で頷いた。


「ロブさんは農業に従事している方々の、実質的なまとめ役をしていらっしゃいます。人手を必要としている方がいれば紹介してくださると思いますよ」


 結局ロブを頼るのが早かったということだ。それなら仕方がないし、何よりお世話になっている者の言葉に逆らう気もない。

 徹は明日、ロブを頼ることを心に決めた。


 翌朝、パティからロブの農地がある場所を教えてもらった徹は、早速赴いてみることにする。

 土と緑の匂いが混じる、冷えた空気が心まで綺麗にしてくれるような気がした。村は朝から活気があって、目的地への道すがら、笑顔で談笑したり仕事に精を出す人々の姿が散見される。

 昨日聞いたことだが、この村はアルバと言うらしい。


 徹はまだ二日目ながらアルバをとても気に入っていた。何とか仕事を見付けてここで暮らしていければ、と思う。


 ロブの農地では、既に持ち主が仕事に精を出していた。徹は近くまでゆっくり歩み寄ってから声をかける。


「すいません」


 ロブは作業を止めて振り返った。


「おお、誰かと思ったら昨日の兄ちゃんじゃねえか。どうだ、仕事はあったか?」

「そのことでご相談がありまして」


 徹は一通りの事情を説明した。

 冒険者としての仕事が一切ないこと。パティのところでお世話になっていること。ロブに相談してみたらどうか、と提案を受けたこと。

 聞き終えたロブは笑顔で頷いてから口を開いた。


「そういうことなら話は早え。丁度人手が足りなくて困ってたんだ」

「と、言いますと?」

「魔物もいなくなったことだし農地を拡大しようってことになっててな。村の外にある林を開墾していってるんだが、手が足りなくて進行が遅いんだよ。兄ちゃん、仕事としてやってみるか?」

「喜んで」


 断る理由のない徹は二つ返事で引き受ける。

 どんな内容でもやるつもりでいたのに、力仕事と来た。なら、大きな力を手に入れている自分にはうってつけだ。

 早速仕事をくれたロブに感謝しつつ、仕事に関するレクチャーを受けた徹は、すぐに現地である村の外の林へと案内された。


 仕事内容は単純で、木を切り倒して切り株を引っこ抜く。これだけ。

 しかし、力仕事も力仕事なので、伐採した木を運んだり、切り株を引っこ抜く際に牛を使わなければならないのがネックだ。人にも牛にも労働力には限りがある。なるほど進行が遅くなるわけだ、と徹は農作業に従事する村民たちを眺めながら思った。


「それじゃあこの辺を頼むぜ……おっと、そういや名前を聞いてなかったな」

「式上徹です」

「おう。それじゃあシキガミ、よろしくな」


 ロブは他にも仕事があるので、案内をして斧を支給するとすぐに帰って行った。


 林には徹以外の人影は見当たらない。大抵の村民は自分たちの仕事をしながらここの開拓をしているので開墾専門の人員というのは徹だけと聞いている。つまり、村民たちがこちらにやってくる日や時間はある程度限られているのだ。

 徹は自分が任されたエリアの、出来るだけ村から離れた場所まで行くと、早速樹に向けて斧を、力を抜けるだけ抜いて振ってみた。


 小気味のいい音と共に斧が樹の幹に食い込んだ。


「これだけ力を抜いてもこの威力……」


 徹は、これを機に力を加減する練習をしようと考えていた。

 何故か日常生活の際には以前のように生活が出来ているのだが、戦闘だったり何かに対して攻撃をしようとすると強大な力が発揮される。徹としては早急にこの力をしっかりと操るべく研究をしたいと考えていた。

 そういった狙いもあってこの仕事は一石二鳥なのだ。


 しかし、これだけの力だと、例えば人間との戦闘になった際にうっかり命を奪ってしまいそうで怖いな……。

 そんなことを考えながら仕事をしていると、時間はどんどん過ぎていった。

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