第44話 第二部 その3最終日

 病院についたら、透琉はすぐに入院となった。

 彼のご両親にも加藤さんが連絡し、ご両親は車でここまで来るそうだ。


 佳月や祥真も顔色が悪い。


「透琉君は、ダニが原因の感染症の疑いがあるんだ。君たちも、検査が必要かもしれないけど……。虫除けスプレー、何使ってた?」


 佳月と祥真はそれぞれ虫除けスプレーの名前を言う。


「君は?」


 加藤さんに訊かれた僕は、ポケットに入れていたスプレーを出す。


「なるほど、ジエチルトルアミドとイカリジンが両方入っている虫除けか。君は、大丈夫かもな」


 少し細い目で、加藤さんは僕を見た。

 まさか、こんなに薬剤に詳しい人だったなんて……。


 結局、中学最後の夏休みは、中途半端に終了した。

 透琉は一晩入院し、軽い症状だったので、迎えに来た親御さんと一緒に帰って行った。

 佳月と祥真と僕も、それぞれ帰宅した。


 家に帰っても、僕は放心状態で、宿題もあまり進まなかった。

 父さんはチラチラ、何か言いたそうに僕の顔を見ていたが、結局何も言わず何も訊かず、仕事へと戻って行った。


 夏の終わりごろ、回復した透琉から連絡があり、学校の側のカフェで会った。

 痩せたな、透琉。


「ごめんな、冒険もキャンプも出来なくしちゃって」


 透琉の笑顔は、いつもより弱々しい。 


「ううん。もう、大丈夫?」

「ああ。いろいろあって迷惑もかけたけど、良い想い出になったよ」


 透琉は、氷が溶けかけたアイスコーヒーを飲む。


「九月から、俺転校するんだ……」


「えっ! 聞いてないよ、僕」

「うん、誰にも言えなかったから」


 透琉のお父さんが海外赴任するので、一家で渡米するんだって。

 知らない、そんなの。

 なんで、言ってくれなかったんだよ。


 早く聞いていたら、僕は……。


「また、会えるよ。そのうち帰って来るからさ」

「……うん」


「俺さ、お前と友だちで良かったよ」


 全く邪気のない透琉に、僕の心は裂かれるようだった。


 僕は……。

 僕はね、透琉。

 君が、君のことが……。


 嫌いだったのに!



 学校の門の前で透琉と別れた。

 ふと、視線に気がついて顔を上げると、加藤さんが手を振っていた。


「よお、元気だったか?」


 僕は無言で通り過ぎる。


「もう、あんなこと、するなよ」


 加藤さんの低い声で、思わず僕は振り返る。


「君が立てた計画だろ?」

「な、何が……」


「夏の山に行こう。中坊男子が好きそうな、心霊話を作って」

「そんなこと……」



 ――中学最後の夏休みだから、冒険みたいなことをしたいって、最初に言い出したのは誰だったろう。



 そうだ。

 言い出したのは、僕なんだ。

 英語総合の授業の時、僕が担当だったので選んだDVDは、あの映画だった。


 透琉がネットの心霊スポットの話をしたのも、事前に僕が教えていたからだ。


「君は知っていたね。彼、透琉君の家が、オーガニックを好むって」

「それは、みんな知ってますよ。透琉のお母さん、添加物とか界面活性剤が好きじゃないって」


 だから、透琉が虫除けに使うのも、蚊を寄せ付けないハーブ水だけなんだ。

 そしてもともと、透琉は長袖シャツが好きじゃない。寒くても、割と半袖を着る。


「ハーブ水でも、蚊や一部の害虫は避けられる。けどな、悪質なリケッチアを人に感染させる、面倒なダニの種類に効く虫除けは、ディート成分だけなんだ。虫に詳しい君は、それも知っていたんだね」


「別に、知っていたらいけないですか」


「いけなくはないさ。ただ、その知識を利用して、友だちを危険な目に合わせた。それはいけないことだろう?」


 僕は無言になる。

 だって、加藤さんの言うことは、全部その通りだから。


「君のお父さんの仕事は、農地の害虫駆除の研究だったね」


 僕は思わず加藤さんを見る。

 なんで……。

 そこまで……。


 この人、何?

 警察の人?


「俺の兄が、君のお父さんの後輩でね、大学の。今でも少々、付き合いがあるんだ」


 ウチのお父さんと、加藤さんのお兄さんが知り合い……。

 加藤さんは、ひょっとしたら、僕の事、知ってる?


「君は、害虫に関しても詳しかったんだね。ダニ類は冷却すると活動性を失うとか、そういうこと。だから、君の長袖に、忍ばせることが出来た。人肌温度になると、ダニはまた、吸血行動を起こすことも」


 僕の顔色は多分、白っぽくなっているだろう。

 どうして、この人はそこまで……。


「透琉君が感染した病気は、害虫に噛まれてすぐ、発病するものではないからね。おそらくは『少年の家』に来る前か、来た日の晩、透琉君にくっつけたんだろう。吸血鬼の噂や、いきなり君が透琉君に噛みついたのは、体内に出来ているダニの吸着跡を、誤魔化すためだったと俺は思っている」


 僕の声が震える。

 いつもより低い声だ。


「証拠、あるんですか……」


 ああ、これじゃあ、白状しているのと同じだ。


「ないよ。探す気もない。他の人に言う気もない。俺が知りたいのは、なぜ、そんなことを君がしたのか、それだけだ」


 なんで?

 なんで、なんだろう……。


 嫌がらせ?

 透琉に、そんなことする気はなかった。


 僕にも、よく分からない。


 みんなに好かれて、リーダーシップもあって、女子に人気のある透琉のことが、僕は嫌いだった。

 嫌いだった?


 陽葵と仲良くて、羨ましかった。

 誰を?

 透琉と陽葵、どっちを羨ましかったんだろう……。


 透琉にもっと、僕を、僕だけを見て欲しいと思った。

 もしも一緒に吸血鬼になれたら、ずっと一緒にいられるかもしれない、なんて夢想した。


「下手したら、死んでしまう病だよ」


 僕の胸はドクンと音をたてる。


 死んで、しまう……。

 確かに、本にはそう書いてあったけど。

 薬を飲めば、治るって……。


「今まで一緒に過ごした人が、いきなりいなくなってしまう。それは悲しい、寂しいことだ。

 その原因を自分で作ったとしたら、君は一生、その傷を抱えてしまう。

 そんな傷、俺は君に、君たちに、負って欲しくない!」


 ――お前と友だちで良かったよ


 透琉の声が聞こえた。


 嫌いだけど。

 嫌いじゃなかった。


 悔しいけど。

 憧れた。



 「こっからは俺の単なる推測、あるいは妄想だと思ってくれても良い。

 君はひょっとして、自分の性別と求められる性役割が、今混乱しているんじゃないか?」


 僕は固まる。

 動けなくなる。

 やはりこの人は、加藤さんは僕の父さんから聞いているんだ。


「生まれ持っての性別と、君が今感じている性別は、異なっているよね」


 そう。

 学校では、僕は「男子」として存在している。学校が渋々認めてくれたから。

 クラスの友だち、透琉は勿論、祥真も佳月も、僕を男子として扱う。

 戸籍の性は違うけど。


 だから仲間たちは僕に、恋バナを振ることはない。

 男女別リレーの選手に、僕を選ぶことを避ける。


 男子だと思って、思いたくて生きて来たけど、最近混乱と歪みを感じていた。


 僕は心が男子のまま、男子を好きになっている。


 おかしいよね。

 変だよね。

 それを自分で認めたくなくて、一番好きな男子を、一番嫌いだと思い込もうとした。吸血鬼になった女性たちは、きっと旦那さんのことが好きだったんだ。旦那さんが帰ってきたら、その首に噛みついて一緒にいるつもりだったんだ!



 でもこんなこと、誰にも相談出来なかった。

 父さんにだって……。


「いつ、知ってたんですか? 父さんに聞きましたか?」


 加藤さんは首を振る。


「俺の本業は、中高生相手の仕事だから、見ていればなんとなく分かる」


 ――また、会えるよ


 次に透琉と会う時に、僕はどんな顔をして会えるのだろう。

 足元に、ぽたぽた落ちるのが自分の涙だと、しばらくの間気付かなかった。

 加藤さんは僕の肩を支えながら、一緒に歩いてくれた。


「君が君であることに、性別も国籍も関係ない。だから、一人で悩むな。話くらいなら、いつでも俺が聞いてやる」



 夏の夕暮れが寂しいものだって、僕は初めて知ったのだ。



***注***

参考文献:角田 隆:マダニ類ーしつこい吸血鬼ー、森林科学47、2006

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