第18話 星の巫女の回想~冬の予兆~
ゆっくりと顔を上げる。
青みがかった黒髪に黒目、アステールと同年代ほどの少年だった。身長は頭一つ分、彼の方が高い。目元はその声に見合う柔らかさを湛えており、微笑を浮かべた薄い唇と整った鼻筋は、こちらに好印象を与える。
屋敷の者ではない。知らない少年だ。
暫し見惚れてしまって、我に返る。自分は今ひどい顔をしているはずだ。顔を逸らそうとして、しかし間に合わない。顔を覗き込まれてしまった。
優しい顔つきが、さっと陰るように曇る。
「何かあったのですか? 嫌なことでもされたのでしょうか?」
「い、いいえこれは、その……っ!?」
「僕で良ければ、話を聞かせてください」
ハンカチを目元に添えられて、体が強張ってしまった。
目を瞑る。涙が吸い取られていく。恐る恐る目を開ける。光が飛び込んでくる。……光に包まれた彼の表情は、また元の微笑に戻っていた。その表情に、心臓が高鳴った。ドギマギとして、顔を合わせることが出来ない。そう思うのに、視線を逸らせない。
(何かしら……この感覚)
気付けばすっかり涙は止まっていて、悲しい気持ちも止んでいて。気持ちの全てがこの少年に奪われている。
「僕はキースと言います。隣国の侯爵の息子です。貴女は?」
問いに、再び心臓が高鳴る。別の意味での高鳴りだった。
ちらりと顔を見せる先ほどの傷。名を名乗れば、彼もまた逃げていくのだろうか。
(離れてほしくない)
咄嗟に過った気持ちに、自分で首を傾げる。「傷つきたくない」なら分かるけれど、初めて出会った人に、こうも強く「ここにいてほしい」と思うものだろうか。
不思議な気分だ。
「……?」
少年……キースが首を傾げる。
いつまでも黙っているわけにはいかない。アステールはぎゅっと唇を引き結んだ。手にした温もりを手にする思いで、口にする。
「私はアステール・スピカ……星の巫女です」
「アステール、こちらへ」
「えぇ、ありがとう」
それから数か月後。
アステールとキースは、共にスピカ家の庭を歩いていた……手を取り、微笑み合いながら。
通う風に吹き出し、すれ違った花の名前に二人で思いを寄せる。想いが通じ合ったあの日から、二人は逢瀬を重ねていた。
わざわざ自分から星の巫女、と名乗ったアステール。少年は驚いた顔をしたが、それでも変わらない対応をアステールに与えてくれた。
それだけで嬉しかった。それだけで満たされた。
キースに抱き始めた温かな想いに気付くのはそう遅くなく、彼のことばかり考える日が増えた。その矢先、キースからも同じ気持ちが伝えられる。
『アステール様……アステール。僕とお付き合いをしてはくれないだろうか』
刹那に溢れた感情は言葉にならず、堪らずキースを抱き締めた。その体温を、今でも覚えている。
今繋いでいる、この手の体温と同じだ。
キースは一目惚れだった、と言ってくれた。
アステールもきっと同じだった。出会って涙を拭ってくれたその瞬間から、彼に心を奪われていたのだから。
「この花は、実をつけるのですよ。採って洗って、蜜に付けたものがとても美味しいのです」
「へぇ、それはぜひとも食べてみたいな」
「今度用意しておきますわね」
温かいひと時。ようやく自分にも、寄り添ってくれるひとが現れたのだと思った。未だ檻の中だって構わない。その檻の中に通い、共に話を交わしてくれる人がいるのなら。
外に出られないアステールの元へ、彼は何度も通ってくれた。
『申し訳ありません。貴方にばかり足を運んでもらうなんて……』
と言えば、
『アステールに会うための足だ。他に何のために使うんだい?』
と茶目っ気たっぷりに返してくれた。
その言い草が可笑しくて、嬉しくて。
笑えなかった数年分、たくさん笑わせてもらった。
「貴女がここを出られるようになったら、僕の住んでいるところも色々案内したいな」
「えぇ。とても楽しみにしておりますわ」
「いつか外に出たら」なんて、希望をくれた。
星の巫女としての呪縛がいつ完全に解き放たれるのかは分からない。けれどキースと共にいられるのなら、きっと大丈夫と思える。
「今日はいつまで、ここにいられるのですか?」
「いられるのならいつまででも……と言いたいところだけれど、今日は所用があって、あと一時間ほどしかいられないんだ」
すまないね、と頭を撫でられる。
くすぐったくて照れくさい。この温かさを、今日はあと一時間しか感じていられないのだと思うと一方で寂しかった。誤魔化すように顔を背ける。
「まぁ、今日が今生の別れではないですし。また会えますから、構いませんわ。何ならその所用とやらを早く終わらせるために、早く帰ってもよろしいのですよ?」
「……ふふ」
「なっ、何を笑っておりますの!?」
「いや? アステール。自分じゃ気づいていないかもしれないけれど、君って本音を隠すとき妙に塩対応になるよね」
口を噤む。その通りだ。そんなこと、自分では分からない。
キースはくすくすと小さく笑って、アステールを抱きすくめた。
「誤魔化さなくていい。隠さなくていい。つんけんしないで、本音を言っていいんだよ」
「……本当は寂しい、です」
「うん、それで良い」
観念して落とした言葉は、キースにきちんと拾われた。大きな胸に受け止められて、自分の中の何かが解けていく感覚がする。アステールは、昔から対人関係において我慢や諦めを学んできた。その反動で、凝り固まったモノがあるのだろう。
それをキースは溶かしてくれる。
それをキースは分かってくれる。
自分も彼に釣り合う人間になりたい。そう思いながら、顔を上げた。
「キース様。私……」
「アステール様、キース様。失礼致します」
アステールの声を、遮る声がある。
顔をやると、使用人の一人だった。何か用だろうか、と二人で顔を見合わせる。あと一時間しかないのだ。二人の時間を堪能させて欲しいのだが。
「キース様。ヨケイナ様がお呼びです」
「お母様が?」
「何でも話をされたい……と」
「何だろう。何か悪いことでもしてしまったかな」
キースは冗談っぽく笑って、アステールに向き直る。
「すまないアステール。行ってくるよ」
「えぇ……」
母がキースに話。本当に、何の用事だろうか。何か胸騒ぎがした。
アステールとキースの関係はヨケイナも知るところであり、暗黙に了解されている。と、アステールは思っていたが、違うのだろうか。少なくとも今までに口出しをされたことはない。この関係に関して何か言われるのだとしたら……。
(杞憂だと良いのだけれど)
──しかし、アステールの不安は、杞憂には終わらなかった。
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