第17話 星の巫女の回想~春~

 端的に言って、アステールは誘拐されたのだった。

 大切に育てられる星の巫女の存在は、隠していても噂として国民に広まりつつあったのだ。その力を狙った輩の犯行だった。

 手慣れていない実行犯であったこと、騎士たちが優秀であったことから翌朝には保護され、事なきを得る。これは後から分かったことだが、まだ小さいアルベルトが、侵入者にアステールの居場所を教えてしまったらしい。もちろんアルベルトは、その幼さから罪に問われなかった。

 アステールだとて弟を責めるつもりはない。しかしそれからというもの、星の巫女は一層大切に育てられることになった。

 大切……言い換えて、半監禁状態。

 誘拐からさらに三年後。アステールはまだ窓の内側から外を眺めている。

(まるで檻……ね)

 格子に指先を触れながら。

 移ろいゆく景色を羨ましく思う心も、段々と擦り減っていった。悲しみ。のち、諦観。もう自分はここから出られないのだ。星の巫女として、誰とも添い遂げることなく、この城の中、たった一人で。

(せめてこれからの人生、家の人間とは上手くやっていこう。そうでなければ、私が苦しくてどうにかなりそう)

 相も変わらず、使用人や姉弟たちとの間にある壁は大きく高い。外の教育機関に通うようになったアケリーは、交友関係を広げていった。アステールに対しての興味も薄れ、存在を無視するようになった。アルベルトはものの分別がつくようになってからというもの……どんどんと捻くれていくことになる。長男である彼は本来家の継承者となるはずだった。しかしアステールは特別な星の巫女。継承権がアステールにあると既に決まっている。大きくなってそれを理解してしまったアルベルトが、全てに対しての気力を失ってしまったのだ。

『どうせこの家はアステール姉様が継ぐのでしょう? だったらぼくなど、いらないではないですか』

 勉学に励みなさい、と先生に怒られたその日。アルベルトがそんな冷たい目をしていたことを思い出す。彼は早くも理解してしまったのだ。自分はどうあっても、星の巫女を支える為の存在にしかなり得ないと。

 姉弟たちとの隔絶は、どうしたら良いかまだ分からずじまいだ。

 使用人たちも同様。三年前から何も変わらない。

 息苦しかった。外に出られないこと、それだけが問題ではない。何よりこの狭い世界で誰とも上手く付き合えないことが、アステールの中での息苦しさだった。

「お嬢様、立食パーティご参加の許可が下りました」

「本当?」

 ある日のこと。シンラの言葉にアステールは目を見開いた。

 スピカ家では、定期的に近隣貴族を呼んでの交流会……立食パーティが行われる。アステールは再三「参加したい」と申し出ていたのだが、両親に反対されていた。

 危険があるかもしれないから出てはいけない、と。

 シンラはゆっくりと頷く。

「えぇ。お嬢様もそろそろ表立って動くお年頃。外の方と交友を持っておくのは良いことだと、ご両親が仰っておりました。普段よりも警備をしっかりとしておくから、安心するようにとのことです」

「嬉しい……!!」

 無表情な侍女の前であることも忘れて、目を輝かせた。

 こんなに胸が躍るのはいつぶりだろう。城の人間以外と出会えること、外の人とならば良い友好関係を築ける可能性があること。様々な予感に心から気持ちが弾んだ。喜びの感情が、声となって溢れ出すようだ。

「いつ? どこで行われるの?」

「一週間後、スピカ家の庭です」

「どれくらいの方が来るのかしら」

「近隣の方以外にも、遠方からお招きする方もおられるようです。五十人ほどはいらっしゃるかと」

「まぁ……まぁ、まぁ!」

 うろうろ、うろうろ。部屋の中を右往左往してしまう。

 そんなアステールを見つめるシンラは変わらず無表情だ。もしかしたら呆れているのかもしれない。しかし気にする余裕もなかった。

 スピカ家の庭、ということは屋敷の内側であることに変わりはないけれど。

 今自分がいる鳥籠の扉が開け放たれた。そんな気分だった。



 楽しみにする予定というのは、どうしてこうもゆっくりとした歩みでやって来るのか。けれど振り返ってみればあっという間な気もした。

(すごい……!!)

 そわ。そわ。アステールは辺りを見回す。

 家の広い庭を埋める程の人、人、人。いつも窓の内側から賑わいを聞くだけだったアステールにとって、見慣れずワクワクする光景だった。

 談笑する人々。いい香りを漂わせる食事の数々。心なしか風景が鮮やかに、色とりどりに見える。

「こんにちは」

「ごきげんよう。お元気そうで何よりですわ」

「こちらのワイン、とても素晴らしいですな」

 会話の波を潜り抜けながら、ひとまず庭を一周する。

 五十人ほどと聞いていたが、それ以上いるのではないだろうか。胸が膨らむ一方で、どこかじんわりと背筋が震える心地がする。緊張、していた。こんな人数に囲まれたことなどない。箱入りの物知らずな娘、と言われたら何も言い返すことが出来ない。この場に見合った振る舞いが出来るか不安だった。

「こんにちは、お嬢さん」

「っ……!! ご、ごきげんよう」

 思わず声が上ずってしまう。今日初めて話しかけてくれたのは、きちっとした黒ジャケットを着こなした気立ての良さそうな紳士だった。控えめに微笑んで、アステールを見下ろしている。

「可愛らしいお嬢さんだ。私はエリック。貴女の名前をお伺いしても?」

「……アステールと申します」

 教わった通りの作法で、挨拶を返す。

 瞬間、エリックの顔がさっと青ざめた。

 え、と。アステールも青ざめる。何か間違っていただろうか。動きが硬かっただろうか。何か不快なことをしてしまっただろうか……考えが駆け巡る。

 そうしている内に、エリックの方が口を開いた。

「し、失礼。星の巫女様でしたか」

「え、あ、待ってください」

 ください、も言い終わらない内に。

 男は離れて行ってしまった。ぽつんと一人取り残される。

 頭が真っ白になった。のち、埋め尽くしていく思考。

(……あぁ)

 今の一人目で分かって、しまった。

(外の人たちも、結局同じなのね)

 城の中の人と同様。アステールを「星の巫女」として畏怖する。誰もアステールとして見てはくれず、星の巫女の名前だけが巡る。

 落ち着くために、手元のグラスを仰いだ。味は遠く、ほんのりとした薄味が舌の上に残る。

「……どうして、こうなってしまうのかしら」

 弾んでいた気持ちが、一気に冷めていく。

 希望が夜の闇に打ち砕かれるように。花が乾いた季節に散るように。

 自分には、パーティを楽しむ権利すらないのだろうか。

 庭の片隅に寄る。何人もの人にあんな反応をされるのならば敵わない。あんな思いをするくらいなら、端から眺めていよう。きっとそれだけでも非日常は味わえるから。

 立食パーティには、アケリーもアルベルトも参加している。彼らは輪の中心にいた。元々外での交友を築くのに長けているアケリーは当然のこと、アルベルトも上手くやっているようだ。「当主になれないのなら自分が作法を身に着ける意味はないと」言いながら、ここではちやほやされるのだから良い気持ちになっているのだろう。

 ここでも孤独なのはアステールだけだ。

 そっと俯く。今日のために仕立てた服。靴。視界に入って、滲んだ。

 はっとして慌てて目元を拭おうとする……が、思い止まる。化粧をしているのだ。下手に拭えばぐしゃぐしゃになってしまう。

 いや。

 だけど。

(もういいか……)

 どんな顔になっても。

 自分はどうあっても「星の巫女」なのだから。


「こんにちは。……どうされたのですか?」


 その時。

 柔らかく、低い……けれどまだ子どもっぽさを残した少年の声が。

 頭上から優しく降り注いだ。それは乾いた土地に降る恵みの雨のように。花を咲かせる雨のように。

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