第12話 精霊王の祝福

 フレドリックはその剣先を、ボルケニクの首に突きつけた。あと少しでも動いたら、その剣はボルケニクの血を大衆に晒すことになるだろう。

 ボルケニクは息を止めている。その緊張感に、声も出せない。

 だが彼は、ゆっくりと両手をそらへと上げた。そうでもしないと、この状況から逃れることは出来ないと。……そう悟ったからである。

 もうその瞳に闘志はない。あるのは、フレドリックに対する恐れ。

「……降参。俺の負けだ」

 フレドリックはそれを聞くと、その全身から放つ緊張感を緩ませる。そして剣を下ろした。それと同時に、纏わせていた影が引き……剣は杖へと戻る。

 決着がついたと、観衆も悟ったのだろう。大歓声が上がった。その大歓声はやがて、フレドリックの名前のコールへと変わっていく。彼は名を呼ばれて顔を上げると、ぐるりと三六〇度を眺めてから……微笑を浮かべ、大きく、頭を下げた。

 再び大歓声が上がる。その光景をアリシアは、何も言わずに見つめていた。

 何も思わなかったのではない。感動のあまり、声が出なかっただけだ。

(リック。私の愛しのリック。本当にすごい人だわ。貴方は、本当に……)

 思わず目尻に浮かびかけた涙を、慌てて鼻を啜って抑える。泣いてはいけない。ここで喜んでしまっては、せっかく犬猿の仲で通してきた、今までの苦労が壊れてしまう。

 アリシアは、薄く微笑むだけに留めておいた。このくらいなら、許されるだろう。

 ……と思っていると、ふとフレドリックが自分を見上げた。その表情は少しばかり固く、アリシアには……彼が少し、緊張しているように見えた。

 フレドリックが、アリシアを見つめている。その異様な光景に、観衆は静かになった。彼が、彼女がどうするのか。誰もが注目している。

「……アリシア・レイアナード」

 フレドリックが、凛とした声で彼女の名を呼んだ。その柔らかな声はアリシアの鼓膜を、心を、こんなにも揺さぶる。

 何かしら。アリシアは、その情動を周囲に気取られぬよう、出来る限り冷徹な声で答えた。

「……精霊王、アニミメント様の名の下に約束しよう。私は君と一生を添い遂げ、必ず君を幸せにすると」

 大衆の前でされた堂々とした告白に、女子生徒たちは黄色い声を上げ、男子生徒たちは雄叫びをあげた。誰もが色恋沙汰を好んでいるのである。

 そしてその騒めきに飲まれ、アリシアは思わず頬を赤く染めていた。まさか、こんな大衆の前でそんな大胆なことを告げるなど……確かに彼らしいと言えば、そうなのだが。

 しかも、ただの告白しただけではない。精霊王の名を使うあたり、本当に抜け目がないというか。確実に外堀を埋められているのがアリシアにも分かった。わざとその外堀の内側で気づかないふりをしていたい、というのが正直な思いだが。

 アリシアは思わず吹き出す。だったらもう本当に、そうしてしまおうと思って。

「……あら、随分大胆な告白ね。そこまで言うなら、お手並み拝見……といこうかしら」

 その告白を、嫌味交じりに受ける。

 フレドリックも笑った。そしてその場に跪くと、首を垂れる。感謝の意を体で示して。

 再び大歓声が上がった。大衆の前で決闘がなされ、そして、犬猿の仲で有名な男女が婚姻を結んだ。その約束がなされた。

 二人を祝福するように日が照り、光が舞い、柔らかな風が吹き、草木はその葉を揺らし、その葉から珠のような雫が歓喜の涙のように垂れた。

『うげ、アニミメント様が祝福してる……ええ~……マジ~……?』

「……? ウィンク、何か言った?」

 その光景を見たウィンクが、小さく呟いた。しかし大歓声に飲まれてその声は上手く届かず、アリシアは思わず聞き返す。ウィンクは不満そうに、なんでもない、と呟いた。

 シャイも露骨に嫌そうな顔をしている。だが二匹の大精霊は「仕方がない」とでもいうように嘆息すると……その場で一度、くるりと回る。ウィンクは暖かな光を与え、シャイは静かな闇を与えた。

 大精霊の意は、大精霊の意。二人はアリシアとフレドリックの婚姻を、嫌々ながらも祝福した。

 アリシアとフレドリックは自身の大精霊の反応に、思わず少し驚いてから……思わず互いに顔を見合わせ、そして、少しの間だけ、幸せそうに笑い合った。

 まるで、とても仲の良い恋人同士のように。


 この日が後に、歴史を大きく動かした決闘だと語り継がれることを、二人はまだ、知らない。



 ◇ ◆ ◇

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