第6話カノッサの屈辱

教皇グレゴリウス7世は聖職者叙任権を世俗権力から教会の手に取り戻して、教皇権を強化しようとした。しかし、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はこれに反発した。

これが、叙任権闘争に発展する。皇帝は改革を無視しようとしたため、教皇は皇帝を破門した。


ドイツ諸侯は破門解除がなければ皇帝を廃位するという決議をしたため(ハインリヒ4世はドイツ諸侯に陥れられようとしていた)1077年、雪が降る中、城門でしかも裸足で3日間断食と祈りで謝罪した。その日は1月25日であった。

この一連の事件を「カノッサの屈辱」と呼ぶ。

しかし、皇帝も反撃する。

1080年、教皇は再び皇帝を破門するが、逆に教皇廃位の決議を得た。

1082年、軍隊を送りローマに遠征してグレゴリウス7世を追放する。

追放された3年後、1085年教皇は病死する。


結果的には、1122年ヴォルムスの協約で両者の妥協が成立した。

教皇権は13世紀のインノケンティウス3世の時に絶頂を迎える。

時の皇帝が雪の晩、裸足で祈り続けて許しを得る際、グレゴリウス7世の姿は無かったと言う。

これほどの屈辱は無かったであろう。

僕は何かしらの辱めにあったら、いつもカノッサの屈辱を思い出す。

ローマ=カトリック教会は西ヨーロッパ全体に権威を及ぼし、絶大なる力を持っていた時代。

教皇権の威力が垣間見える。

だが調べると、グレゴリウス7世もかなりの苦労人だった事や、自分に対してプラスに゙ならない破門解除は、彼の聖職者としての優しさではあるまいか?

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