第54話:大人と子供

「あのぉ」


 明さんと頷き合い、数拍。おずおずとした声と手が上がった。


「ちょっとだけ口出ししても?」

「もちろんです」


 ずっと沈黙の出島さんだったから、そのままかと思った。もちろん気になることがあるなら、言ってもらうほうがありがたい。


「俺のとこの社長がね、ちょっと前に介護の話をしてて。それは親だから老人ってことになるんだけど、いくら血縁でもできることには限界があるって」


 脈絡の無さそうに思うことを突然。彼とお話していて、前にも何度かあった。

 どれも最後には、心の底から納得して頷けた。


「育手さんも、そういう経験があるんじゃないですか? だから端居さんに、ヘルパーさんを付けてもらおうとか」


 問われた明さんは、目を見張った。しかしすぐ、ためらい気味に「ええ」と。


「祖母が。苦労したのは私じゃなくて、母と叔母ですけど」

「ああ、やっぱり。やろうと思えば、育手さん自身が端居さんの手足にもなれる。でもそれじゃあ、自分の生活がままならない」


 当たり前だ。あたしの手足になるなんて、お風呂や食事、トイレにだって行く。それを全て手伝っていたら、他には何もできない。

 だからヘルパーさんという職業があって、だから明さんも勧めてくれたはずだ。


「っていうのを、ズルいと思ってるんじゃないですか? 自分のやるべきことなのに無責任だ、みたいな感じで」

「……何で分かるんです」

「世間的に不器用って言うらしいですよ、そういうの。俺も同じで、負ける気がしませんけど」


 大人が二人、眩しくて細めたような眼で互いを見る。睨み合うようでもあって、かと思えばやはり同時に「フッ」と小さく噴き出した。


「えっ、何? 何ですか? ズルいわけないじゃないですか。そんなこと思わないですよ」


 会話の意味はさっぱり分からないが。いや、分からないからこそ。あたしは子供なんだなと思った。


「だって明さんはカフェの仕事しないと。お店も回らないし、お金に困るでしょ?」

「うん、そう。だから育手さんは鳶河さんをどうこうより、鴨下さんからお金を引っ張り出すのを優先したんじゃないかな。それはそれで苦渋の選択と思うけど」


 へへっ、とは笑わなかった。叱られた犬みたいに首を縮め、明さんに向く視線が「違いますか?」と問うて見えた。


「はい、仰る通りです」


 白くて長い指。背すじを伸ばした明さんは、両手で自分の頬を叩いて押さえつけた。隠れていないのは唇だけで、それも左右から挟まれてムニュッとひしゃげた。


「穂花ちゃんの治療費も生活費も、何もかも。私が全部持つって言いたかった。だから鳶河はボコボコにしてやる、他の誰も口出しするなって」


 ぎゅっぎゅっとマッサージのように眼や頬の辺りを揉み、明さんは両手を外した。


「でもそんなお金は無くて、カッコ悪いなあって。そもそもが私達のせいなのに」


 まっすぐ、あたしを見ていた明さんの視線が段々と下向く。終いにすっかりうなだれ、ボソボソと言葉を続けた。

 ここまであからさまに落ち込むのは、初めて見た。


「ずっと居てくれたから、妹みたいに思っててさ。だけど今回は見損なわれただろうし、どうしようってあせって――」

「み、見損なわないですよ。明さんはいつもカッコいいですよ、最初に会った時からずっと」


 手を伸ばし、明さんに触れようと思ったが届かない。けれども明さんも手を出してくれて、握り合う。


「本当に?」

「だって今、言ってもらってる条件も明さんがやってくれたんじゃないですか。不満は無いですよ」


 もっと気の利いた言葉はあったはずだが、正直な気持ちを言うのが精一杯だ。


「良かった。ほんとごめんね、謝んなきゃいけないことがありすぎるけど。ごめん」

「大丈夫です。明さんは何も謝ること無いです」


 上ずった声を治すのに、明さんの鼻がスンと鳴った。あたしも咳払いのフリをして、喉に込み上げた気持ちを呑み込んでごまかす。


「あのぉ」


 あれ、時間が巻き戻っただろうか。出島さんは遠慮気味に手と声を上げる。


「不満っていうのでもないんですけどね」

「何かまずいことが?」

「いやいや。追加の案、ですかねえ」


 明さんに聞き返されると、出島さんは首を竦めた。だから次は、あたしが聞く。


「追加って、どんなことですか?」

「あのね。俺の会社というか、たぶん社長の個人的な付き合いなんだけど、弁護士の人が居て。さっきの条件を、その人に持って行ったほうがいいと思うんだよ」


 あたしには、いつものように話してくれる。それであたしもホッとできるし、何だか嬉しい。


「うちもある程度の台数を抱えてるから、事故と無縁じゃなくて。これくらいならって現場で話を済ませた時に限って、後からひたすら揉めるのを何回も見た」


 だからどんなに小さな事故も必ずその弁護士さんに連絡する、と出島さんは言った。


「今回の件も、要は示談にするってことでしょ? 俺の伝手で良かったら、相談してくるけど」

「うん。私もそれがいいと思う」


 また大人が二人して、意見を揃える。それを出遅れたみたいに感じるのが、あたしの子供っぽいところだ。


「――出島さんのお手間になりますけど。あたしもお願いしたいです」

「全然」


 ニカッと笑い、彼はくたびれたメモ帳を取り出した。相談すべきことをブツブツ口に出しながら、書き留める。


「あたし?」


 会話の途切れたせいか、明さんも何やら突然にひと言。


「えっ、どうかしました?」

「ううん、何でもない」


 クスッと笑われたのはいいけれど、何を問われたやらさっぱり分からなかった。

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