第53話:画策
次の日と、その次の日。出島さんはお見舞いに来なかった。
仕事だからだ、来てもらうほうが却って困る。スマホがあれば、ニャインのやり取りくらいはできただろうけど。仕方がない。
そして日曜日。午後一時ぴったりに、彼は来てくれた。これは約束した時間。
同じく午後二時、明さんもやって来た。出島さんから連絡してもらった通りで、一人。
「痛みとか、どう?」
「痛いですよ。少しは腕とか、動かすのが楽になってきましたけど」
「うん。それなら良かった」
そういえば用件まで伝わっているのか、聞いていない。もう三人で顔を突き合わせる中、彼に確認するのもおかしな気がした。
何と切り出すか悩む間、あたしの手の近くに座った明さんは何も言わなかった。その向こうの出島さんも。
――まあ、いいか。気になることから聞こう。
「明さんは、鳶河さんのこと。トビのこと、大切ですか?」
「え、何で?」
「どうしてあの人が捕まらないようにするのか。考えても、他に思いつかなくて」
「ああ、そういう」
明さんの首が縦に揺れる。それはただ納得したのか、質問の肯定なのか。
「大切ってことはないよ。捕まったら、ざまぁとも思わないけど。穂花ちゃんも同窓会とか出席して、同級生の誰かが逮捕されたなんて話があったらモヤモヤするでしょ。特別に仲が良くなくてもさ」
「じゃあ、何で」
ベッドの端をぎゅっとつかむと、声が大きくなった。かすれていたのは、ほとんど治った。
「ごめん、裏切られたって思うよね。たった今まで、気づかなかった」
あたしの手を、明さんの手が包む。だけどサッと手を引いて逃れた。
「トビにね、会いに行ったの。この間の事務所で、ボッコボコにしてやろうと思って。それこそあいつが死んでもいいって」
「――そんなことを?」
空っぽになった自分の手を、明さんは握って開く。また握って、震わせて、
「できなかった」
丸椅子へ座ったまま、明さんは上体を折り畳む。腰を百八十度に曲げ、また「ごめん」と。
「教えてもらえますか?」
少し待って、先を促した。すると明さんは、ハッと驚きの顔を上げる。
「聞いてくれるの?」
「聞いてみないと何も分からないので」
カンニングみたいな返答だが、そうとしか言えなかった。出島さんに目を向けると、真顔で小さく頷いてくれる。
「あいつ、穂花ちゃんが自分で落ちたって言って。目とか泳いでんのに、ヘラヘラ笑いやがるの。それで私、殴った。一瞬、意識が無いくらいにキレた」
「殴ったんです?」
「うん。でも蔵人が一緒に行くって聞かなくて。何だろうって思ったら、トビを庇った。だから吹っ飛んだのは蔵人」
殴れなかったけど殴った。謎かけみたいな状況に答えが出たと思ったら、今度は店長の行動が分からない。
「邪魔するなって押し退けても、何度でも割って入るの。五回くらい殴って、蹴って、埒が明かないから聞いた。何で庇うんだって」
店長よりも明さんのほうが背は高い。その拳を無防備に受けて、無傷では済まないはず。
そこまでトビのことを? と思うと、相槌も打てない。
「そしたらあいつ、謝るの。『僕がバカなせいで、とんでもないことになってごめん』って。『でもこれ以上、明を傷つけられない』ってさ。意味分かんないって言っても、何回も謝るの」
そうだった。忘れたわけでもないけれど、元は店長の浮気疑惑からだ。あの事務所での会話が二、三年も前に感じる。
「それで蔵人が、私達が何をしたってトビは大したことと思わないって言って。やればやるだけ、穂花ちゃんに逆恨みが向くだろうし。だから鴨下さんを巻き込もうってなった」
「巻き込むと、何が?」
「穂花ちゃんの保障をしてもらって、それをトビの借金にしてもらう。そしたらトビの親にも、こんなことになってますって証拠になるし」
あの蛙の面に何とやらのトビも、親には比較的に従順らしい。いつでも通報できるんだぞと言っておけば、監視の目も厳重になる。と明さん。
「なら、今からでも通報したっていいんじゃ?」
「そうすると逆恨みが直にこっちへ来るから。たぶん穂花ちゃんに。一旦はあっちに預けて、親でももう面倒みきれないので通報してくださいってならないと」
明さんなりに、店長とあれこれ考えての結論のようだ。聞けば他に手立てはないような気持ちになる。
「悪く言って申しわけないですけど。タチの悪すぎる人ですね」
「自分勝手な片鱗は昔からあったけどさ、ここまでとは思わなかった。ごめんじゃ済まないけど、ごめんね」
先ほど空振りさせた手に、今度はあたしから触れる。少なくとも、あたしにとって最上を考えようとしてくれた。
出島さんの言った通りだ。
「私ら夫婦の問題だったのに、いちばんの迷惑は穂花ちゃんで。問題のトビはたぶん今も、悪いとも思ってなくて。どうしようか困って困って、急いで鴨下さんと話をつけに行ったり。色々してるうちに、私もテンパってた」
あたしの手を両手で包み、お祈りの恰好で明さんは頭を垂れる。
「ちゃんと説明もせずに、ますます困らせたね」
「いえ、もう分かりましたから」
完璧と思っていたカッコいいお姉さんが、今は疲れて見えた。そこへ罵詈雑言を上乗せする感覚はあたしの中に存在しない。
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