第44話:世界一周
ああもう、あたしは何を言ってるんだ。メッセージを毎日送ったら迷惑ですか? と聞きたかっただけなのに。
自分でない誰かを借りて、自分を問うのは恥ずかしいと言ったばかりなのに。
「あのっ、本当は」
「うん」
夜空を見上げた彼が、しきりに動かしていた視線をあたしに向ける。
本当は、あなたとあたしはどういう関係ですかって。今はコーヒーと紅茶片手の、茶飲み友達みたいだけど。
何かをすれば、何かを言えば、別の何かになれますか。
「……あ、いえ。ほんとに言いたかったのは何だっけって、分かんなくなっちゃって」
「あはは、あるある」
笑う吐息が、弱々しいとも言えるくらい優しかった。それなのに、あたしの全部を包む声。
あたし、何になりたいの?
たぶんの答えは分かるけれど、どう言えばいいか分からない。絶対に間違いたくなくて、必ず正解になる言葉が見つからなかった。
「月が綺麗だねえ」
ボソッと。独り言かな、と返事をためらう。でもやっぱり彼の隣にはあたしだけで、急いで答える。
「はっ、はい」
「今日が満月なのかな。綺麗だけど、北極星が見えないね。俺の田舎なら、どっちも綺麗に見えるのに」
「北極星ですか」
突然、何だろう。さっぱりだけど、同じように見上げた。
真ん丸の月。イメージにある夜空より、少し白んだ黒の中に。彼の言う通り、他の星は一つとして見つけられない。
「星、好きなんです?」
「いやさ。前に、灯台みたいだって話したと思うんだけど」
軽く握った拳で、脇に立つ鋼鉄の物体をコンと。
「ええ。大阪までずっと走って、もうすぐ目的地だって知らせてくれるんですよね。夜道に立つ自動販売機が」
「うん、そう」
力みなく「へへっ」と笑うのを、とても久しぶりに聞いた気がする。
「大昔の船は星を頼りに航海したんでしょ? だからそれで、うまいこと言おうと思ったんだけど。やっぱり慣れないことしてもダメだね」
「聞きたいです」
そのまま、彼はお話をやめそうに思った。俺なんかが、と。あたしに言わせれば、あり得ない遠慮をして。
「何か教えようとしてくれたんですよね? うまいことなくていいので、教えてください。出島さんのお話、聞きたいです」
「うわあ。教えるとか、そんな大層なもんじゃないよ。ただ俺もムダに歳を重ねたから、自分ではこう感じるなってのはある。笑われるかもしれないけど、反面教師的にでもね」
ひと言ずつに頷いた。あたしは聞きたい、聞きたくて堪らないから。
「教えてください」
揃えた膝を彼に向け、頭を下げる。すると彼はアタフタと、プラケースからずり落ちそうになった。
「言う。言うって。落ち着いて」
「あたしは大丈夫です」
落ち着いているとは言っていない。彼の腕を引っ張って体勢を戻し、お話の始まりを待った。
きっと幼稚園の、絵本の時間より楽しみな顔で。
「人生って、船で世界一周するみたいなもんかなと思うんだよ。キツイのは、ただ船を進めてもどこにも着かない。時々、小さな島とか港が見えるけど近かったり遠かったり。進路を変えて、降りてみないことにはどんな場所かも分からない」
分かります。とは声に出さず、首を縦に振る。
「でもどうにか、ここだって決めて今までの航路から外れなきゃいけない。で、そこが目的地だと思ったら上陸して、違うなと思ったら元の航路に戻る。そういう航海だから、時間を重ねることそのものには意味が無かったりする」
スクーターへ語りかけるようにして、あたしには顔を向けない。困ったね、とでも言いたげに眉を下げて。
「進学先とか、就職とか。選択を間違えたら、どんどんムダな時間を使っちゃうんですね」
「そうだねえ。でも港が場所とは限らなくて、人間もだと思う。友達とか上司とか」
そこまで言って、出島さんの瞳があたしを見る。横目に、すまなさそうに。
「それって、明さんのことですよね。店長っていう港とカフェっていう港と。明さんはいい航路を選んでる」
あの夫婦が理想的なのかという問いの、これが出島さんの答えらしい。同じことをトビで考えるなら、あたしにはいい航路と思えない。
「いい航路だろうね、だけどこの先は嵐に遭うかもしれない。逆に今まで嵐続きの人も、急に天国みたいな港を見つけるかも」
「その人次第ってことですか。失敗も次に正解を見つける為の経験だし、あたしが同じ港へ立ち寄っても成功するとは限らない」
彼の言葉をよく噛み砕けば、おそらくそういう意味になる。
「俺が言っても、説得力が無いけどね」
気まずげに笑って頭を掻きながらも、出島さんは頷いた。
「一旦は正解と思う港が見つかっても、次はもっといい港に出逢うかもしれない。それは自分が成長したからかもしれないし、途中で見つけた誰かのおかげかもしれない」
「どんなことも、
どんな思いで、この考え方に辿り着いたか。想像したのを裏付けるように、彼は付け加える。
「そもそも正解と思ったのが勘違い、ってのもあるね」
「ありますね、きっと。でも説得力はありますよ」
「ええ? そうかな」
ちょっと疲れた風の、とろんとした眼。上げた口角とは反対に弧を描き、柔らかな笑みが形作られる。
「だって、カフェの中まで来てくれたじゃないですか」
あれは彼にとって、港へ立ち寄ったのか。それとも溺れた人に浮き輪を投げただけか。
いや、どちらでもいい。あたしが出島さんという港へ入っていけば同じこと。どうしても、近づくほどに速度を落としてしまうけど。
「あ、いや、その、あれは、ほら。参ったな」
照れ笑いで、かいてもいない汗を彼は拭う。
あの時は驚くばかりだったけど、思い出せばカッコいい姿なのに。何だかあたしがからかったみたいで、わざと口を尖らせて見せる。
するとますます慌てた様子で「あっそう言えば」と話題を変えた。
「話に出た、店員の男の子ってどうなったの?」
「名前を聞くの忘れたから、また聞いとくって言ってました」
ズルい。でも可愛いと思って、笑ってしまうあたしは失礼なんだろうか。
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